« 訂正・松原正先生東京講演會 | トップページ | 讀解力の問題 »

2004年9月16日 (木)

本氣でもない癖に

プロ野球オーナー会議/ファンの声をなぜ無視なのか 論説

 最近の報道によれば、全國の野球ファンは球團合併に激怒してゐるらしいのだが、赤字で青息吐息の親企業を責める以前に指彈すべき相手がゐる筈だ。野球ファンを止めた元ファンだ。球團經營が左前になつた最大の原因は客が減つた事だ。野球に飽いたり愛想を盡かしたりしてサッカーその他に寝返つた元ファンの連中こそ、野球衰退の「元凶」ではないか。
 しかし、怒れる大勢のファンのうち誰も元ファンを説得して野球ファンに戻さうとは云はない。出來ない相談だと知つてゐるからだ。マスコミも云はない。云へば元ファンの機嫌を損ねるからだ。要するに誰も本氣でないのだ。本氣なら眞の原因に正面から取り組まうとする筈だ。本氣でもないのに自分が怒つてゐると思ひ込むほど、愚かな事は無い。

|

« 訂正・松原正先生東京講演會 | トップページ | 讀解力の問題 »

コメント

これまた的外れなご批判をなさるのですね。野球ファンをやめた元ファンが「悪」であるかのようにお書きですが、資本主義市場において魅力の減退したメディアから消費者が離れるのは当たり前であり、この点で消費者が非難されるいわれはありません。どこかの、全てのメディアがお上が与えたものであるという独裁国家なら別ですが。この場合、メディアから離れた国民は「悪」です。日本はいつから独裁国家になったのですか?

プロ野球界の衰退を嘆くのであればば、経営努力を怠ってきた経営者側が非難されて当然です。資本主義社会であれば。もし、今後経営努力がうまくいけば、離れたファンも帰ってくるでしょう。メジャーリーグではそうでした。

投稿: ハザマ | 2004年9月16日 (木) 14時36分

>資本主義市場において魅力の減退したメディアから消費者が離れるのは当たり前であり、この点で消費者が非難されるいわれはありません。
 
 資本主義市場といふ観點ばかりで見れば、消費者から見放されかけてゐる商品(サービス?)は、生産縮小・中止或は仕樣変更を經營者側が勝手に決めても消費者に非難される謂れはござりませぬえ。故にも、ファンが断固現状維持を唱えるのならば、球團の算盤が合ふやうにファンとして客足を戻すやう元ファンを説得する等して職業野球界の振興に尽力すれば良いのに、それをして居らぬと言ふ事はやはり「其処までする気も義理も無し」と思うてをる證據であり、木村氏の仰た通り所詮本氣にあらぬと云ふ事でござりますえ。
 ファンが相手取るべきは元ファンであるとの主張は的外れとは思へませぬ。

投稿: 井上和樹 | 2004年9月16日 (木) 21時29分

>プロ野球界の衰退を嘆くのであれば
木村氏、何も嘆いてゐないと思ひますが?

投稿: 野嵜 | 2004年9月16日 (木) 22時22分

>井上さん
論点がずれています。私は、元ファンが「悪の元凶」であるという非難は的外れだ、と言っているのです。元ファンは主体的な「選択」に基づきファンをやめたのであって、そのような選択に至らしめる原因にはメディアとしての野球に魅力がなくなったからなのであり、これは経営者の企業努力の欠如が原因です。企業努力を怠り、ファンを乖離させた経営者に「企業努力をしろ」(これにおいては、元ファンをいかに呼び戻すかという問題が焦眉です)と現行ファンが主張するのは当たり前でしょう。どんなに元ファンに、現行ファンが「帰って来い」と呼びかけても、魅力の無いメディアに金と時間をつぎ込む馬鹿はいるはずもなく、ファンに戻る人はまずいません。この元ファンの主体的な消費活動をあなたは否定なされるのですか?

ともかく、この木村氏の論で理解に苦しむのは元ファンが「悪の元凶」とされる点です。野球ファンを辞めることが「悪」である根拠を示してほしいものです。嗜好性の変化が「悪」であるのでしょうか?

>野嵜さん
これは私の文章表現が拙かったとお詫びします。この場合、嘆いているのは木村氏ではなく「現行ファン」を指します。
しかし、この程度の些細な文章表現の誤謬が、私の論の妥当性を否定するものでしょうか?揚げ足を取って私の論を貶めるような真似はやめて、全体の論理を問題にしてほしいものです。

投稿: ハザマ | 2004年9月17日 (金) 00時50分

>論点がずれています。私は、元ファンが「悪の元凶」であるという非難は的外れだ、と言っているのです。

 論點がずれてゐます。木村氏は野球離れした元ファンを「悪の元凶」とは云うて居られませぬ。文脈から考へて今回の問題に憤るファンにとつて元ファンこそが「元凶」なりと云うて居られます。亂暴に云へば、元ファンに對して「惡し」と云うて居られるのではあらずに、ファンに對して「相手が違ふぞ、片腹痛いわ」と云うて居られる訣でござりますえ。
 初めに貴方が木村氏の意見を誤讀している爲に私の意見も誤讀して居られます。

投稿: 井上和樹 | 2004年9月17日 (金) 01時41分

>井上さん
私の論点は以下の点です。まずこの点にお答えください。なぜ元ファンに「元凶」「裏切り」といった否定的ニュアンスが極めて強いレッテルをはるのかが理解できない、と言っているのです。
「元凶」とは問題の根源の所在を指します。プロ野球問題の場合、元凶は経営者であることは明らかです。ファンの乖離は「元凶」により派生した「結果」です。おわかりですか?この事件を病気に例えましょう。病人に対処療法を施すのが、元ファンに戻ってくるよう呼びかけることです。病人に根本治療のが、経営側の体質を根本的に改造することです。
木村氏が現行ファンにとって、元ファンこそが元凶であるという主張はわかります。誤読なんかしておりません。木村氏の主張を認識しているからこそ、木村氏の認識が的外れである、と指摘できるのです。
原因と結果をすりかえて権威・権力の側の責任を回避する行為を権威主義と言います。権威主義は開かれた議論の敵です。もし、井上氏が権威主義ではないと自認するのであれば、真摯に私の論を受け止められるはずです。問答無用に木村氏が端から正しいと思い込むのは権威主義の何物でもありません。まず、相対的に私と木村氏の主張を配置し、その論理構成を比較なさってください。
もう一度、木村氏の論に対する私の反論を述べますので、無視なさらずご一考ください。無視は私の主張が論理的であり、反論できなかったと見做される場合があります。

元ファンは主体的な「選択」に基づきファンをやめたのであって、そのような選択に至らしめる原因にはメディアとしての野球に魅力がなくなったからなのであり、これは経営者の企業努力の欠如が原因です。企業努力を怠り、ファンを乖離させた経営者に「企業努力をしろ」(これにおいては、元ファンをいかに呼び戻すかという問題が焦眉です)と現行ファンが主張するのは当たり前でしょう。どんなに元ファンに、現行ファンが「帰って来い」と呼びかけても、魅力の無いメディアに金と時間をつぎ込む馬鹿はいるはずもなく、ファンに戻る人はまずいません。(この点は木村氏も述べておられます。木村氏の論が矛盾しているのは、現行ファンやマスコミによる元ファンへの呼びかけに実効性がない、という認識に至っているにも関わらず、その実効性のなさを認識して経営者側の体質改善の要求という実効性のある行動をお門違いと否定する点です。実効性がある行動を取る、という合理的な選択がお門違いとされるのもおかしな話です。道義論に持っていったとしても、先に述べた原因と結果の取り違えにより、正当性はもはや剥奪されています)

投稿: hazama | 2004年9月17日 (金) 08時42分

>これまた的外れなご批判をなさるのですね。野球ファンをやめた元ファンが「悪」であるかのようにお書きですが、資本主義市場において魅力の減退したメディアから消費者が離れるのは当たり前であり、この点で消費者が非難されるいわれはありません。どこかの、全てのメディアがお上が与えたものであるという独裁国家なら別ですが。この場合、メディアから離れた国民は「悪」です。日本はいつから独裁国家になったのですか?

 「資本主義市場において魅力の減退したメディアから消費者が離れるのは当たり前」だと云ふ事は、仰る通り、餘りにも當たり前で、わざわざ斷るべき事とも思はれません。私が元野球ファンを責める道理が無いのは、「元凶」とわざわざ鉤括弧を附けた事からも明らかな筈ですが。

>プロ野球界の衰退を嘆くのであればば、経営努力を怠ってきた経営者側が非難されて当然です。資本主義社会であれば。もし、今後経営努力がうまくいけば、離れたファンも帰ってくるでしょう。メジャーリーグではそうでした。

 別にプロ野球の衰退を嘆いてなんぞをりませんが? ハザマさんの仰るやうに資本主義社會ではサーヴィスの消費者(ファン)に市場離脱の自由が認められてゐます。しかし、同樣にサーヴィスの供給者(球團運營企業)にも市場離脱の自由が認められてゐます。ハザマさんはなにゆゑ企業側だけに道義的足枷を課すのですか。それこそ「独裁国家」の發想だと思ひますが。

投稿: 木村貴 | 2004年9月17日 (金) 09時19分

この件に関しましては、ほとんど木村さんと意見が多く一致していると議論の結果思い至りました。この場合、「元凶」とは現行ファンからの視点からの言葉遣いであり、木村さんの視点からの使用ではないのであれば理解できます。
「なぜ企業だけを責めるのか」という点に関しては、これまで述べなかっただけです。現行ファンの現在の主張にもどかしい部分があると思います。ただ、駄々っ子のように、2リーグ制を叫んだところで、先立つもの(金)がなければプロ野球そのものが存続しないわけで、一ファンなりにその方策は考えているのかと言いたいのです。
この問題は、端的に言えばある金満球団のおこぼれをどのように分けるのか、という点に帰結します。特にセリーグ5球団のファンは、アンチ金満球団という立場でその構造を支えてきた責任が多少はあるだろう、すなわちファンにも責任は当然ある、と思います。ここでもある程度木村さんと意見は共有されているのではないでしょうか。
私にとっては有益な議論でしたが、いかがでしょうか。

投稿: ハザマ | 2004年9月17日 (金) 19時18分

>「なぜ企業だけを責めるのか」という点に関しては、これまで述べなかっただけです。現行ファンの現在の主張にもどかしい部分があると思います。

 いや、ですから私は野球ファンではありませんので「現行ファンの現在の主張」に「もどかしい部分がある」などとは感じてをりません。只、經濟と道徳を同一視する馬鹿者だと感ずるだけです。

>ただ、駄々っ子のように、2リーグ制を叫んだところで、先立つもの(金)がなければプロ野球そのものが存続しないわけで、一ファンなりにその方策は考えているのかと言いたいのです。

 方策を考へもせず、實行する氣も無しに企業を道義的に非難するのは愚かな事だと私は最初から云つてゐるのですが。

>この問題は、端的に言えばある金満球団のおこぼれをどのように分けるのか、という点に帰結します。

 なにゆゑハザマさんは「讀賣ジャイアンツ」と明確に書かず、「ある金満球団」などとぼやかした書き方をなさるのでせう。

>特にセリーグ5球団のファンは、アンチ金満球団という立場でその構造を支えてきた責任が多少はあるだろう、すなわちファンにも責任は当然ある、と思います。

 「セリーグ5球団のファン」はどうすれば良かつたのですかね。巨人とは試合をやらせないとか?

>ここでもある程度木村さんと意見は共有されているのではないでしょうか。

 全然。だつて私はプロ野球がどうならうが構はないんですから。

投稿: 木村貴 | 2004年9月18日 (土) 02時44分

なぜ「読売ジャイアンツ」と書かなかったかと言えば、木村さんが「読売ジャイアンツ」と特定できたように、この議論の明白な前提であり、はばかった嫌味たらしい書き方をすることで嫌悪の情を示したのみです。『春秋』の微言大義は高尚過ぎましたか?(笑)

それにしても予想だにしなかったおもしろい回答をいただきました。
>全然。だつて私はプロ野球がどうならうが構はないんですから。
私はてっきり誤解しておりました。木村さんは多少なりともプロ野球に関心があり、それでこのような発言をなさるのかと思っていたのです。そうでないとすると、これは一般大衆がいかに愚かかということを指摘するに過ぎない文章ということになります。なぜそのような指摘が必要なのでしょうか?答えは簡単です。あなたが知的エリートを自認するには、大衆が愚かであれば愚かであるほど都合がよいのです。自分の考えが大衆と乖離すればするほど自分の考えが正しくなるのです。このような倒錯は、木村さんのお嫌いな中島義道とも奇妙に一致しますし、また小谷野もこのような論法を取ったことがありました。(『もてない男』)このような論法は、自己を満たすことはしますが、ただ他者を不愉快にさせるだけであり、それこそあなたが望んでいる結果なのです。
さて、木村さんが大衆からの乖離を望んでいるだけであれば、それはそれで全く構いません。しかし、あなたは日本語表記を旧漢字・旧仮名遣いに戻すべきである、という主張をしておられます。日本語表記を旧漢字・旧仮名遣いに改めるには、大衆に受け入れられなければなりませんが、大衆がそれを望む筈もありません。それを木村さんがわからない筈もない。恐らく相当の学歴もおありで、相当の職歴もおありのようですから、それくらいの判断能力がないはずありません(それとわかるプロフィールを書くのが姑息ですね。権威で議論を正当化しようとしているんでしょうか)。ならば、旧漢字・旧仮名遣いを推奨する木村さんの主張は、木村さんとその取り巻きを大衆から乖離させるための手段・道具に過ぎないというわけです。どうだ、お前らにはこんな高尚な文章は書けないだろう、と言いたいわけです。そのような高みに立った言い方がどれほど不愉快なことかは、私のこの発言の冒頭の書き方で木村さんにもおわかりいただけたのではないでしょうか。プロ野球ファンがアノ文章を読んで感じるのはまさにそれです。(ちなみに私はプロ野球ファンではありません。念のため。私は大相撲ファンです)ちなみに、中島義道はあなたと同じ穴の狢と言えど、自分がいかに卑怯な存在であるかは常に述べており、それに苦悩しているとも言っています。まだ自分が偽善家であると自覚している分あなたよりましです。もしあなたが偽善かであると気付きつつ、このようなことを言っているのであれば、戦略としてなかなかのものであるとは思います。しかし、社会をそこまでなめないでいただきたい。わたしは恐らく木村さんより学歴も低く、かつ職業も劣るであろう若輩者ですが、そのような「愚民」にここまでかみつかれるのです(あなたは傷を隠して、蚊に刺されたか?とでも言うのでしょうが(笑)
さて、結論を述べましょう。
「本氣でもない癖に」旧漢字・旧仮名遣いを推奨するな。
私が言いたいことはこれに尽きます。笑止です。木村さんの底も知れたので、このサイトに新たに議論を持ち込むことは致しません。

以上をもちまして、私の勝利宣言とさせていただきます。

以下にお互いを慰めあう言葉が続くのでしょうか?
楽しみです。

投稿: ハザマ | 2004年9月19日 (日) 18時00分

なぜ「読売ジャイアンツ」と書かなかったかと言えば、木村さんが「読売ジャイアンツ」と特定できたように、この議論の明白な前提であり、はばかった嫌味たらしい書き方をすることで嫌悪の情を示したのみです。『春秋』の微言大義は高尚過ぎましたか?(笑)

それにしても予想だにしなかったおもしろい回答をいただきました。
>全然。だつて私はプロ野球がどうならうが構はないんですから。
私はてっきり誤解しておりました。木村さんは多少なりともプロ野球に関心があり、それでこのような発言をなさるのかと思っていたのです。そうでないとすると、これは一般大衆がいかに愚かかということを指摘するに過ぎない文章ということになります。なぜそのような指摘が必要なのでしょうか?答えは簡単です。あなたが知的エリートを自認するには、大衆が愚かであれば愚かであるほど都合がよいのです。自分の考えが大衆と乖離すればするほど自分の考えが正しくなるのです。このような倒錯は、木村さんのお嫌いな中島義道とも奇妙に一致しますし、また小谷野もこのような論法を取ったことがありました。(『もてない男』)このような論法は、自己を満たすことはしますが、ただ他者を不愉快にさせるだけであり、それこそあなたが望んでいる結果なのです。
さて、木村さんが大衆からの乖離を望んでいるだけであれば、それはそれで全く構いません。しかし、あなたは日本語表記を旧漢字・旧仮名遣いに戻すべきである、という主張をしておられます。日本語表記を旧漢字・旧仮名遣いに改めるには、大衆に受け入れられなければなりませんが、大衆がそれを望む筈もありません。それを木村さんがわからない筈もない。恐らく相当の学歴もおありで、相当の職歴もおありのようですから、それくらいの判断能力がないはずありません(それとわかるプロフィールを書くのが姑息ですね。権威で議論を正当化しようとしているんでしょうか)。ならば、旧漢字・旧仮名遣いを推奨する木村さんの主張は、木村さんとその取り巻きを大衆から乖離させるための手段・道具に過ぎないというわけです。どうだ、お前らにはこんな高尚な文章は書けないだろう、と言いたいわけです。そのような高みに立った言い方がどれほど不愉快なことかは、私のこの発言の冒頭の書き方で木村さんにもおわかりいただけたのではないでしょうか。プロ野球ファンがアノ文章を読んで感じるのはまさにそれです。(ちなみに私はプロ野球ファンではありません。念のため。私は大相撲ファンです)ちなみに、中島義道はあなたと同じ穴の狢と言えど、自分がいかに卑怯な存在であるかは常に述べており、それに苦悩しているとも言っています。まだ自分が偽善家であると自覚している分あなたよりましです。もしあなたが偽善かであると気付きつつ、このようなことを言っているのであれば、戦略としてなかなかのものであるとは思います。しかし、社会をそこまでなめないでいただきたい。わたしは恐らく木村さんより学歴も低く、かつ職業も劣るであろう若輩者ですが、そのような「愚民」にここまでかみつかれるのです(あなたは傷を隠して、蚊に刺されたか?とでも言うのでしょうが(笑)
さて、結論を述べましょう。
「本氣でもない癖に」旧漢字・旧仮名遣いを推奨するな。
私が言いたいことはこれに尽きます。笑止です。木村さんの底も知れたので、このサイトに新たに議論を持ち込むことは致しません。

以上をもちまして、私の勝利宣言とさせていただきます。

以下にお互いを慰めあう言葉が続くのでしょうか?
楽しみです。

投稿: ハザマ | 2004年9月19日 (日) 18時00分

なぜ「読売ジャイアンツ」と書かなかったかと言えば、木村さんが「読売ジャイアンツ」と特定できたように、この議論の明白な前提であり、はばかった嫌味たらしい書き方をすることで嫌悪の情を示したのみです。『春秋』の微言大義は高尚過ぎましたか?(笑)

それにしても予想だにしなかったおもしろい回答をいただきました。
>全然。だつて私はプロ野球がどうならうが構はないんですから。
私はてっきり誤解しておりました。木村さんは多少なりともプロ野球に関心があり、それでこのような発言をなさるのかと思っていたのです。そうでないとすると、これは一般大衆がいかに愚かかということを指摘するに過ぎない文章ということになります。なぜそのような指摘が必要なのでしょうか?答えは簡単です。あなたが知的エリートを自認するには、大衆が愚かであれば愚かであるほど都合がよいのです。自分の考えが大衆と乖離すればするほど自分の考えが正しくなるのです。このような倒錯は、木村さんのお嫌いな中島義道とも奇妙に一致しますし、また小谷野もこのような論法を取ったことがありました。(『もてない男』)このような論法は、自己を満たすことはしますが、ただ他者を不愉快にさせるだけであり、それこそあなたが望んでいる結果なのです。
さて、木村さんが大衆からの乖離を望んでいるだけであれば、それはそれで全く構いません。しかし、あなたは日本語表記を旧漢字・旧仮名遣いに戻すべきである、という主張をしておられます。日本語表記を旧漢字・旧仮名遣いに改めるには、大衆に受け入れられなければなりませんが、大衆がそれを望む筈もありません。それを木村さんがわからない筈もない。恐らく相当の学歴もおありで、相当の職歴もおありのようですから、それくらいの判断能力がないはずありません(それとわかるプロフィールを書くのが姑息ですね。権威で議論を正当化しようとしているんでしょうか)。ならば、旧漢字・旧仮名遣いを推奨する木村さんの主張は、木村さんとその取り巻きを大衆から乖離させるための手段・道具に過ぎないというわけです。どうだ、お前らにはこんな高尚な文章は書けないだろう、と言いたいわけです。そのような高みに立った言い方がどれほど不愉快なことかは、私のこの発言の冒頭の書き方で木村さんにもおわかりいただけたのではないでしょうか。プロ野球ファンがアノ文章を読んで感じるのはまさにそれです。(ちなみに私はプロ野球ファンではありません。念のため。私は大相撲ファンです)ちなみに、中島義道はあなたと同じ穴の狢と言えど、自分がいかに卑怯な存在であるかは常に述べており、それに苦悩しているとも言っています。まだ自分が偽善家であると自覚している分あなたよりましです。もしあなたが偽善かであると気付きつつ、このようなことを言っているのであれば、戦略としてなかなかのものであるとは思います。しかし、社会をそこまでなめないでいただきたい。わたしは恐らく木村さんより学歴も低く、かつ職業も劣るであろう若輩者ですが、そのような「愚民」にここまでかみつかれるのです(あなたは傷を隠して、蚊に刺されたか?とでも言うのでしょうが(笑)
さて、結論を述べましょう。
「本氣でもない癖に」旧漢字・旧仮名遣いを推奨するな。
私が言いたいことはこれに尽きます。笑止です。木村さんの底も知れたので、このサイトに新たに議論を持ち込むことは致しません。

以上をもちまして、私の勝利宣言とさせていただきます。

以下にお互いを慰めあう言葉が続くのでしょうか?
楽しみです。

投稿: ハザマ | 2004年9月19日 (日) 18時01分

 同文投稿は惡意でしたのかブラウザの調子が惡うおはしたのか存じませぬけど。このやうな愚劣な文章は吐気がしますわ。犯人は犯行現場に戻るものと相場が決まつて居りますからこの文も讀む事でおはすやろう。
 
 言葉ははつきり書かねば木村氏が「金滿球團」を「讀賣ジャイアンツ」と推定して問詰められた時に、「讀賣ジャイアンツ」ではあらぬと言張れるやうに幾等でも逃道を殘せますな。またそれを認めるやうな事では他人も使う事を認める事になり、議論そして掲示板に惡しき先例を殘した事になります。甲ならあなたは逃道を殘しながら人に物申す下劣な輩であり、或は本氣であれを高尚な事と思うて居るならば、人や全體の事まで思慮が及ばぬ馬鹿阿呆の類でおはすえ。まあどちらでも撰ぶが宜しからう。

 木村氏のやうな「知的エリート」を見下す事によつて自分は何と偉いのだらうと優越感に浸るのは下劣漢としては當然かもしれませぬが、中島氏や大衆の「權威」を借る「木村さんより学歴も低く、かつ職業も劣るであろう「愚民」」には強者たらむと背伸をする人間の苦悩なぞ解らぬのでおはすやらう。中島氏の事は知りませぬから判斷しませぬけど、木村氏が人から見て些細と思へる事でも切掛けに「自分がいかに卑怯な存在であるか」と常々意識してこれを戒めとして努力して居られる事は、人の上の人を目指して居られる事はホームページの内容を讀めば明らかでおはす。一度ホームページの内容に目を通してから言ひなされ。

>さて、結論を述べましょう。
「本氣でもない癖に」旧漢字・旧仮名遣いを推奨するな。

今までの經緯から考えて何が結論なのか支離滅裂でとんと解りませぬが木村氏は正字正假名を「戰畧」で廣めても仕方ない、一人一人に日本語に對して意識を、正しい日本語の在り方とは何かと云ふ意識を持つてもらいたいと考えて居られるのでおはして、その結果として、論理的歸結として他人が正字正假名を撰び取つてくれるなら望外の喜びと思うて居られると思ひますえ。まあ「知的エリート」のする事はなんでも邪推するやうではあなたの高は知れたものでおはすけど。

投稿: 井上和樹 | 2004年9月19日 (日) 20時48分

>しかし、この程度の些細な文章表現の誤謬が、私の論の妥当性を否定するものでしょうか?

實際には「些細な文章表現の誤謬」ではありませんでしたね。

木村氏
>全然。だつて私はプロ野球がどうならうが構はないんですから。

ハザマ氏
>私はてっきり誤解しておりました。木村さんは多少なりともプロ野球に関心があり、それでこのような発言をなさるのかと思っていたのです。

ハザマ氏の主張誤解に基いてゐる、と指摘したのですから、私はハザマ氏の論の妥當性を根本的に否定してゐたのです。それをハザマ氏は、一方的に「揚げ足を取って私の論を貶めるような真似」と極附けた訣です。

ハザマ氏の文章には、この手の自己正當化の爲の惡意に據る性急な罵倒が多過ぎます。

投稿: 野嵜 | 2004年9月19日 (日) 21時19分

補足

もう議論はもちこまないとは言いましたが、多重投稿があった点は心よりお詫びいたします。どうも読み込みが遅く、何度かリロードしてしまいました。こちらからは削除できないようなので、重複を削除していただけるのであれば、削除していただきたく存じます。また、この投稿も同時に削除していただいても構いません。井上さんの発言の一部が不明なものとなる、と判断なされるのであれば、この私の発言はそのままでも構いません。

投稿: ハザマ | 2004年9月19日 (日) 21時20分

>なぜそのような指摘が必要なのでしょうか?答えは簡単です。あなたが知的エリートを自認するには、大衆が愚かであれば愚かであるほど都合がよいのです。自分の考えが大衆と乖離すればするほど自分の考えが正しくなるのです。

さて、ハザマ氏のこの「答え」は、妥當な答と言へるのでせうか。もちろん、不當な言ひがかりと言ふべきです。なぜなら、「あなたが知的エリートを自認するには、大衆が愚かであれば愚かであるほど都合がよい」と言ふ理由の妥當性がそもそも檢證されてゐないからです。ハザマ氏の「論理」は、動機の邪推に過ぎません。或は、單なるハザマ氏の假説です。

以下、表記に關するハザマ氏の非難も、ハザマ氏の惡意に基いた思ひ込みに基いた、事實とは何の關係もない惡口に過ぎません。

ついでに私もハザマ氏の動機を「邪推」しておきます。
どうやらハザマ氏は中島ファンのやうです。木村氏に中島氏批判をされたので、反射的に木村氏を非難し、取敢ず目につく表記の問題で腹癒せをしてゐるのでせう。
で、私は「邪推」と言ひましたが、ハザマ氏自身が中島氏を禮讚するやうな口吻を洩らしてゐる邊を見れば、私のは必ずしも根據のない邪推とは言へないでせう。その點、ハザマ氏の完全な邪推とは違ひます。

投稿: 野嵜 | 2004年9月19日 (日) 21時30分

ハザマ氏が、読売ジャイアンツを罵倒したり、木村氏を誹謗したりして、快を貪つてゐる事は明かです。
しかし、木村氏が、大衆を馬鹿にして快を貪つてゐる、と見るのは、妥當な見方とは言へないでせう。なぜなら、木村氏は「愚かであるべきではない」と主張してゐるからです。もし木村氏が、大衆と自分とを乖離させようとしてゐるならば、氏は大衆を愚かなままにしておかうとしなければなりません。しかし、氏にそのやうな態度は全く見られません。詰り、木村氏は大衆を見下してゐないのです。
この邊、ハザマ氏は自分の態度を木村氏に投影して、木村氏を罵つてゐるやうに思はれます。

投稿: 野嵜 | 2004年9月19日 (日) 21時37分

>ちなみに、中島義道はあなたと同じ穴の狢と言えど、自分がいかに卑怯な存在であるかは常に述べており、それに苦悩しているとも言っています。まだ自分が偽善家であると自覚している分あなたよりましです。

ついでに言つておきますが、中島氏が自分の態度について自己辯護してゐても、それを他人が眞に受ける必要はありません。
中島氏は、自分は人から良く物を貰ふが、迷惑なので常に返してゐる、と書いた事があります。迷惑とか言ふ感想について私は特に非難する積りはありません。ただ、「俺は良く人から物を貰ふんだぜ」と中島氏が自慢してゐるところには、隨分かちんと來た、と言ひたいだけです。

中島氏のやうな僞惡家は、「僞惡家である」との自覺から、「自分は僞善者よりも増しである」と云ふ傲りにすぐ移行します。そして、居丈高に僞善者を罵倒しつゝ、「自分は僞惡家だから惡い事をしても良いのだ、傲慢に振舞つても良いのだ」と自己正當化をはかります。ハザマ氏には、そのやうな傲慢さがあるやうに見受けられます。

投稿: 野嵜 | 2004年9月19日 (日) 21時46分

野嵜・井上両氏にはお別れを申してなかったので、お別れのあいさつ代わりに多少の反論をいたします。

井上さん
>西尾幹二の文章を「ちやんと」讀んでゐるらしい2ちゃんねるの方には、是非とも松原氏の批判のどこが誤つてゐるか解説……できるわけないか。
木村氏はこのような物言いをなさる方です。どこが謙虚なのでしょうか?人の上の立つことを目指す、と言いますが、勝手にあなた方の上に立っていればよい。思想を共有しない者の上に立とうとすることを「君臨」と言い、これは迷惑な上に暴力にも繋がりかねない横暴な思想です。
「読売ジャイアンツ」の件に関しては、あとで他の球団であったと私が当てつけようとしていた、なぞと解釈するのはそれこそ野嵜氏の言う「邪推」です。野嵜さんは井上氏もご批判なさった方がよろしいようです。


野嵜さん
議論は何のために行うのでしょうか?誤解を解くためです。私はその当初の目的を達成いたしました。木村氏が神でも無い限り、唯一の解釈しかない文章を書くことはできません。木村氏の文章伝達能力には限界が有り、議論なしには本意を伝達し得なかったということです。なお、当然のことながら私の読解能力も、当然完璧では有りません。誤解と誤謬は違いますよ。また、野嵜が問題なのは私が木村氏の致命的な欠点を指摘したにも関わらず、それを悪意の問題として片付けたことです。論理として読めなかったのは、あなたは私に対する悪意があるからではないでしょうか?
大衆から知的エリートが乖離すれば乖離するほど知的エリートが正しくなる、この論法がただの仮説と言う野嵜さんには神学研究の本を読むことをお勧めします。ある神学者は、なぜ悪が存在するかというと、それは神を信じる善なるものが善を自覚するためだと言い、悪が悪であるほど、また善なるものが神に近しいほど善が善として自覚される、と述べます。この構造と木村氏の位置は同じだと言っているのです。(神に近いことを知るに、相対的距離のかけ離れた悪が必要であると語る神父には吐き気をもようします。悪なんぞ存在しないのが一番なのですから。)自分の知に磨きがかかればかかるほど、愚かな一般民衆よりどれほど優れているかその距離が自覚できるわけです。さて、この論理のどこが「邪推」なのでしょうか。
また、私が中島氏のファンでそれゆえ取りあえず噛み付いた、とおっしゃいますが、あなたは木村氏の信奉者であるから、取りあえず噛み付いた、ということです。あなたのお嫌いな私と同類、と自らを貶めるのはなかなか自己反省が御得意な方ですね。論理で反論しないとこのような論の循環を産むだけです。信奉する木村氏と同じようなことを言って、お互いに正当性を確認しあう(傷をなめあう)のではなく、他流試合をなさってもっと自己を研鑽なさったらどうでしょう?井上氏は木村氏でさえいまだに努力している、とおっしゃっていますよ(何を努力しているのかさっぱりわかりませんが)。

投稿: ハザマ | 2004年9月19日 (日) 22時01分

ええと、同時に書き込んでいるようなので何がなにやら。

野嵜さん
最後に一つ言わせていただきますと、井上さんは木村氏は人の上に立とうとしている、とおっしゃっています。これはあなたと共通認識なんでしょうか。だとしたら、この態度を人を見下しているかどうか、判断するのは大衆です。大衆は愚かであるべきではない、という認識は前提に今の大衆は愚かであるという前提があります。そもそも大衆が愚かで優秀な人間が先導しなければならない、という発想が傲慢不遜です。『バカの壁』という他愛のない本が先ほどはやりましたが、バカとは自己の認識に恣意的に即して判断するものである、という趣旨の本でした。当たり前です。さて、「大衆は愚かであるべきではない」などと叫ぶ人間に、誰がついてくるというのでしょうか?あなたがただけです。そして、あなた方はお仲間以外誰もついてこないと知っており、ただルサンチマンを解消しあっているだけなのです。
また、中島氏の贈り物云々にいらだつなど私の知ったことでは有りません。あなたのルサンチマンを何の脈絡なく述べる場なのですか、ここは?中島氏が贈り物をたくさんもらうことを自慢しているかどうか、これはあなたが無根拠に判断したことであり、これをまさに邪推というのです。中島氏は、「迷惑なので」と言っており、テクストに即して読めば自慢はしておりません。コンテクストとして「自慢」を証明するに傍証となるテクストが必要です(詳しくはフランス現代思想をお読みください。日本の思想以外必要ない、なんて言いませんよね?)

投稿: ハザマ | 2004年9月19日 (日) 22時17分

補足
これにて私の反論は終了です。それでは失礼致します。

投稿: ハザマ | 2004年9月19日 (日) 22時19分

 ちと纏めて見ませう。
木村氏 「本氣でもない癖に」

ハザマ 企業が惡いのだから非難されて當然。企業と言ふ權威と責めるべきではないと言ふのは獨裁國家。元ファンを惡玉扱いとは何事か(此れは誤解基く)。

井上 企業側が商品を如何しようが原理的に自由。ファンが断固現状維持を唱へるのならば自分達で何とかすべき。

野嵜氏 ちと一言

ハザマ 先程の誤解に基き、井上は論点がずれている、元ファンを惡玉扱いは解せぬ。消費者側が野球を見ようが見まいが勝手ではないか。
 野嵜氏は些細なことは一々云ふな

井上 木村氏は元ファンを惡玉扱いしてはおらぬ。ハザマは誤解している

ハザマ 誤解なぞしてない寧ろ正しく理解している。消費者が離れていくのは企業が原因だ。企業に何とかせよと言つて何が惡い。企業側を辯護する木村と井上は權威主義者か。企業を責めるのが有効であるからそれをして當然だ。實効性のある行動を否定するのは怪しからん。

木村氏 一々言はなかつたが元ファンが惡い道理なぞ無いし云つてもいない。(ハザマは誤解している)
 ハザマの云う通り消費者側が野球を見ようが見まいが勝手だが、企業もサービスをどうこうしようが勝手。企業側だけを責める事こそ獨裁國家。(総統の名は「嫉妬」)

まともな議論は此処まで。以下はなにやら今まで見え隠れしていた人格非難が露骨になつて来る。

此処が違うと言ふ箇所がありましたら御指摘下され。
追記 野嵜氏の十九日以降発言からの議論の展開は今後纏まればと言ふ事で勝手ながら含まれて居りませぬ。

投稿: 井上和樹 | 2004年9月19日 (日) 22時27分

>井上さんは木村氏は人の上に立とうとしている

 少し言ひ方が悪うございました。人の上の人と言ふのは自分にとつて立派な人物・対象の事であり、自分もそのやうに立派になりたいと言ふ事であつて、階級的に上になりたいと言ふことではおはせぬ。

略字で失礼

投稿: 井上和樹 | 2004年9月19日 (日) 22時47分

>議論は何のために行うのでしょうか?誤解を解くためです。

さて、誤解は解けたでせうか。もちろん、解けてゐません。そして、誤解を解くためにハザマ氏はここで議論をしてゐるのでせうか。もちろんさうではありません。ハザマ氏は、嫌みを言つてゐました。嫌みを言つてゐると言ふ事は、單に誤解を解くのが目的で無い事の證據です。誤解を解くと言ふのならば、論理の話だけをすれば良いのであり、それ以外の要素をハザマ氏が持込んだのは、ハザマ氏に「誤解を解く爲の議論」をする氣がないからです。

>また、野嵜が問題なのは私が木村氏の致命的な欠点を指摘したにも関わらず、それを悪意の問題として片付けたことです。

ハザマ氏は木村氏の致命的な缺點を指摘したでせうか。もちろん、してゐません。その事は既に述べました。ハザマ氏が述べた「木村氏の動機」は、單なる邪推であり、事實ではありません。

>論理として読めなかったのは、あなたは私に対する悪意があるからではないでしょうか?

この「?」は何でせうか。ハザマ氏はなぜ疑問文で書いてゐるのでせうか。

>大衆から知的エリートが乖離すれば乖離するほど知的エリートが正しくなる、この論法がただの仮説と言う野嵜さんには

さて、私はそんな事を言つたでせうか。もちろん言つてゐません。私は、「木村氏は大衆から乖離しようとするエリートである」と云ふハザマ氏の斷定は、事實ではなく、ハザマ氏の未證明の假説であり、邪推である、と指摘したに過ぎません。

>ある神学者は、なぜ悪が存在するかというと、それは神を信じる善なるものが善を自覚するためだと言い、悪が悪であるほど、また善なるものが神に近しいほど善が善として自覚される、と述べます。この構造と木村氏の位置は同じだと言っているのです。

「同じ」だと、ハザマ氏は感じたに過ぎません。ハザマ氏の主觀が常に事實と一致するならば、ハザマ氏のこの説明は、證明になります。しかし、ハザマ氏の主觀が事實と一致するか何うかは、檢討の餘地があります。そして、神學を持ち出すまでもなく、「一個人の主觀が常に事實と一致する」と云ふ事はあり得ません。そこでハザマ氏の指摘は、具體的な根據に基いた事實の指摘でなく、主觀に基いた假説であり、臆測であり、邪推である、と言へます。

>また、私が中島氏のファンでそれゆえ取りあえず噛み付いた、とおっしゃいますが、あなたは木村氏の信奉者であるから、取りあえず噛み付いた、ということです。

私は木村氏の信奉者ではありません。私は事實の信奉者です。そして、木村氏は事實を述べ、ハザマ氏は主觀を述べてゐます。ならば私はハザマ氏でなく、木村氏を支持します。それだけの話です。

>論理で反論しないとこのような論の循環を産むだけです。

ハザマ氏は、論理を用ゐて木村氏を批判してゐません。ハザマ氏は、論理と云ふものを全く理解してゐません。邪推を事實と言ひ換へても、事實にはなりません。邪推を事實と言ひ換へて、それを根據に木村氏を非難しても、論理的に批判した事にはなりません。

>大衆は愚かであるべきではない、という認識は前提に今の大衆は愚かであるという前提があります。そもそも大衆が愚かで優秀な人間が先導しなければならない、という発想が傲慢不遜です。

「今の大衆は愚かである」と云ふ事は、木村氏の發想ではありません。木村氏は、「本氣でもないのに自分が怒つてゐると思ひ込む」ならば「愚かである」と、論理的に事實を述べてゐます。一方、ハザマ氏は、自分の思ひ込みと、事實とを、ごつちやにして、自分に都合の良い結論が出るやうに、論法のやうな外見を裝つて、敵の惡口を言つてゐるに過ぎません。「大衆が愚かで優秀な人間が先導しなければならない、という発想が傲慢不遜です」と云ふ主張に合せて、ハザマ氏は木村氏の發言を自分に都合良くねぢ曲げて、その「歪曲された木村氏」を罵つてゐるのです。このやうなやり方を「論理的な批判」と呼ぶハザマ氏の頭を疑ひます。ありのままの木村氏を批判するなら別に何とも申しませんが、自分に都合良く事實を歪曲して非難すると云ふハザマ氏のやり方には一言も二言も物を言ひたい――それだけです。惡意も何もありません。ハザマ氏は、自分の惡意を私に投影してゐるのでせう。

>また、中島氏の贈り物云々にいらだつなど私の知ったことでは有りません。

さうですか。私は中島氏の致命的な缺陷を指摘したのであり、その中島氏に依據するハザマ氏の主張は木つ端みじんに粉砕されてゐるのですが、それでも知つた事ではないのですか。ハザマ氏は逃げてゐるのです。

>あなたのルサンチマンを何の脈絡なく述べる場なのですか、ここは?

これは、ハザマ氏自身の發言の動機を述べてゐるのではないですか。

>中島氏が贈り物をたくさんもらうことを自慢しているかどうか、これはあなたが無根拠に判断したことであり、これをまさに邪推というのです。

あなたは中島氏の信奉者であり云々。

>中島氏は、「迷惑なので」と言っており、テクストに即して読めば自慢はしておりません。

>コンテクストとして「自慢」を証明するに傍証となるテクストが必要です

必要ではありません。書いて良い事と惡い事があります。「物を貰つた」と書くのは、自慢を常に意味し、惡い事です。テクストテクストと言ひますが、ハザマ氏には常識と倫理觀がありません。

ついでに言ふと、ハザマ氏は傲岸不遜です。ハザマ氏は私や木村氏を明かに見下してゐます。さう云ふ態度で大衆を辯護して、説得力が出る、とでも思つてゐるのでせうか。左翼の惡い癖です。

投稿: 野嵜 | 2004年9月20日 (月) 03時59分

「人の上の人」は、松原正氏の用語ですが、ハザマ氏にはさう云ふコンテクストが讀めなかつたやうです。

まあ、「人の上の人」の存在そのものを認められない人がゐて、某えろげ脚本ライターの某T氏がさうでしたが、すぐ「天皇主義者」だの何だのとレッテル貼りをして、自分に都合良く人の意見を歪曲して、それで勝つた氣になつて、「勝利宣言」を出して、快を貪るのですが、さう云ふ人が傲慢である事は、文章で非難の對象を徹底的に見下し、嫌がらせ的なレッテル貼りをし、偉さうに餘裕を見せて相手を不快にさせ捲るのを見れば明かでせう。
「人の上の人」を信じないのは人それぞれですが、それで「自分が一番偉い」とハザマ氏みたいに思ひ込んで、「大衆」の名の下に「知的エリート」を斷罪する、と云ふかつての共産主義者のやうな眞似をするのは如何なものでせうか。と言ふより、ハザマ氏がこの手の戰術に基いた論爭の手口を學んでゐる事は、ハザマ氏自身の發言にもかかはらず、ばればれです。

投稿: 野嵜 | 2004年9月20日 (月) 04時07分

>以下にお互いを慰めあう言葉が続くのでしょうか?
>楽しみです。

ハザマ氏のこの發言――或は他の發言についてもさうですが――を讀んだ人は、「ハザマ氏は單に誤解を解く爲に書いたのだな」とか、「ハザマ氏は全然人を見下してゐないな」とか、思ふでせうか。
ハザマ氏は、自分には全く惡氣がない、と本當に思つてゐますか?

私は最初の指摘で、特にハザマ氏に對して非難がましい事は言つてをらず、單に事實を指摘しただけでした。それに對してハザマ氏は、「揚げ足取り」だの何だのと、隨分高壓的に非難の言葉を返しました。それはハザマ氏が、單に「誤解を解く」だけの目的で、純粹に議論をする爲にした發言でしたか?

ハザマ氏の考へる「あるべき議論の姿」とは、一體どのやうなものなのですか? ハザマ氏のしてゐる「議論のやり方」は、狭間氏が理想として掲げる「あるべき議論の姿」と一致してゐますか?
ハザマ氏は、自分に都合良く木村氏の動機や主張を、剩へ井上氏の發言をねぢ曲げて、否定して見せ、擧句、「勝利宣言」を出しました。この議論のやり方は、ハザマ氏の考へる「あるべき議論の姿」において、正當なものだとハザマ氏は誓つて言ふ事が出來るのですか。

ところで、神學だのフランス思想だのを持出したハザマ氏は、権威主義者ですね。自分で自分の過去の發言の根據を突崩して何うするのですか?

投稿: 野嵜 | 2004年9月20日 (月) 04時19分

>『バカの壁』という他愛のない本が先ほどはやりましたが、バカとは自己の認識に恣意的に即して判断するものである、という趣旨の本でした。

これ、ハザマ氏自身に一番良く當嵌りますよね。

投稿: 野嵜 | 2004年9月20日 (月) 04時20分

と言ふか、「大衆」だの「ルサンチマン」だのと、ハザマ氏、フランス思想を學んだらしいですが、理論を適用する爲に事實をねぢ曲げてしまつてゐます。

學問の基本は、「ありのまゝにものを見る」事です。觀念で事實を解釋し、その上で再び觀念による批判を行ふ、と云ふかつてのマルクシズム的な論法は、ハザマ氏が今使つてゐるものですが、既に過去のものであり、反省される必要があるでせう。

或は、「大衆」の名の下に木村氏を斷罪しようとするハザマ氏は、「大衆」を権威と看做せば明かに權威主義であり――少くとも「權威主義の裏返し」であり、「自らを否定すべき文句で以つて他人を罵る」事をしてゐるに過ぎません。

それから。
ハザマ氏、私の動機をルサンチマンと極附けましたが、その根據は何ですか? さう極附けると否定するのが樂だから、ハザマ氏はさうしただけではないですか?
「さう假定すると説明出來るから、その假定は事實である」と云ふトンデモ論法をハザマ氏は使つてゐます。ハザマ氏は、自分の論法がをかしい事を、自覺してゐませんか?
假定以外の方法で、「木村氏の動機は大衆蔑視」「野嵜の動機はルサンチマン」を證明して下さい。もちろん、出來る訣がありません。神學だのフランス思想だのの権威を持出して威壓し、屈伏させようとするのは止めて下さい。ハザマ氏の傲慢さがますます目立つやうになるだけですから。

投稿: 野嵜 | 2004年9月20日 (月) 04時30分

やっと「地獄の箴言掲示板」に辿り着けました。お忙しくて閉鎖しちゃったのかと思っていただけに再会を嬉しく思います。

さて、ハザマさんが途中で壊れちゃって続かなくなってしまった議論ですが、私の思うところを少し書きます。ちなみに私は「球場に行かない」「テレビで見ない」「ラジオで聞かない」プロ野球が無くなって一向に構わない一人です。

1)『球團經營が左前になつた最大の原因は客が減つた事だ。』について。本当にそうなんでしょうか?
もともと親会社の広告塔として所有されており、巨大設備(球団数30の米メジャーにドーム球場は2つしかない)の非効率運営と採算軽視(利益を上げて上場を目指した球団は1つも無い)の馴れの果てであり、東京一極集中(球団の集中と巨人戦の集中放送)の結果であり、客のことなど最初から眼中に無かったと思います。

2)『ハザマさんの仰るやうに資本主義社會ではサーヴィスの消費者(ファン)に市場離脱の自由が認められてゐます。しかし、同樣にサーヴィスの供給者(球團運營企業)にも市場離脱の自由が認められてゐます。ハザマさんはなにゆゑ企業側だけに道義的足枷を課すのですか。』について。
プロ野球は公共財であるという視点での議論があるのですが、公共財かどうかは別にして…企業(この場合、球団)の営業が試合という形で行われる以上、単独で経営が成り立たない事業である点が他の業種と異なります。また資本主義社会での企業の市場原理で言うならば新たな資本の参入の原理も担保されていなければならないと言えます。
今回の合併は複数の参入企業の表明があるにもかかわらず一方向的な市場縮小を目指しています。なぜこうなっちゃったかはよく分からないけれど加盟料という参入障壁を作り経営能力の無い球団(近鉄・オリックス・ロッテ・ダイエー)を合併整理して巨人・西武中心とした1リーグ構想があるからと言われています。

3)公共財として見たとき…。
鉄道が各地で廃線になり地方の公共の足は奪われてきました。NHKの「ご近所さんの底力(題名あやふや)」で見たのですが、住民の力で廃線となる予定だった鉄道を守ったり黒字に転換させた路線が結構あること知りました。
そこでの事例を細かく挙げませんが、第一歩は利用者の声を徹底的に聞く経営者の態度です。利用者が株主になる事例もありました。

長くなりましたが、私が言いたかったことは…
1)親会社依存の採算軽視経営の限界
2)閉鎖市場による既得権獲得以外の経営努力の欠如
3)サービス業であるなら利用者の声は道徳的非難などではなく経営再建のヒントの山であるはず。

と思います。

投稿: とっつぁん | 2004年9月20日 (月) 11時11分

>私はてっきり誤解しておりました。木村さんは多少なりともプロ野球に関心があり、それでこのような発言をなさるのかと思っていたのです。そうでないとすると、これは一般大衆がいかに愚かかということを指摘するに過ぎない文章ということになります。

 どうして「一般大衆」にいきなり話が廣がるのでせう。私が批判したのは日本人のうちのプロ野球ファンのうちの球團合併に激怒してゐる人々だけなのですが。どうもハザマさんは難しいフランス現代思想なんぞをお讀みになる前に、中學高校で勉強した集合論をおさらひした方が良いと思ひます。

>なぜそのような指摘が必要なのでしょうか?答えは簡単です。あなたが知的エリートを自認するには、大衆が愚かであれば愚かであるほど都合がよいのです。自分の考えが大衆と乖離すればするほど自分の考えが正しくなるのです。このような倒錯は、木村さんのお嫌いな中島義道とも奇妙に一致しますし、また小谷野もこのような論法を取ったことがありました。(『もてない男』)このような論法は、自己を満たすことはしますが、ただ他者を不愉快にさせるだけであり、それこそあなたが望んでいる結果なのです。
>さて、木村さんが大衆からの乖離を望んでいるだけであれば、それはそれで全く構いません。しかし、あなたは日本語表記を旧漢字・旧仮名遣いに戻すべきである、という主張をしておられます。日本語表記を旧漢字・旧仮名遣いに改めるには、大衆に受け入れられなければなりませんが、大衆がそれを望む筈もありません。それを木村さんがわからない筈もない。恐らく相当の学歴もおありで、相当の職歴もおありのようですから、それくらいの判断能力がないはずありません(それとわかるプロフィールを書くのが姑息ですね。権威で議論を正当化しようとしているんでしょうか)。ならば、旧漢字・旧仮名遣いを推奨する木村さんの主張は、木村さんとその取り巻きを大衆から乖離させるための手段・道具に過ぎないというわけです。どうだ、お前らにはこんな高尚な文章は書けないだろう、と言いたいわけです。そのような高みに立った言い方がどれほど不愉快なことかは、私のこの発言の冒頭の書き方で木村さんにもおわかりいただけたのではないでしょうか。

 さうなのです、一握りの人間しか讀解出來ない文章を公開してゐる御蔭で、最近は「木村は凄い知的エリートだ」と云ふ評判が津々浦々まで廣まつたやうです。ああ嬉しい。正字正假名を讀めないやうな馬鹿は誰も私の高尚な文章を讀めませんから、プロ野球ファンの惡口を書いても反論のコメントなんぞ一切ありませんしね。おまけに東京の大學を出たうへに外國で働いた事があるなんてプロフィールに書いた日には、皆恐れ入つて、嚙み附いて來る愚民なんぞ一人だつてゐませんや。樂なもんです。

>プロ野球ファンがアノ文章を読んで感じるのはまさにそれです。(ちなみに私はプロ野球ファンではありません。念のため。私は大相撲ファンです)ちなみに、中島義道はあなたと同じ穴の狢と言えど、自分がいかに卑怯な存在であるかは常に述べており、それに苦悩しているとも言っています。まだ自分が偽善家であると自覚している分あなたよりましです。もしあなたが偽善かであると気付きつつ、このようなことを言っているのであれば、戦略としてなかなかのものであるとは思います。しかし、社会をそこまでなめないでいただきたい。わたしは恐らく木村さんより学歴も低く、かつ職業も劣るであろう若輩者ですが、そのような「愚民」にここまでかみつかれるのです(あなたは傷を隠して、蚊に刺されたか?とでも言うのでしょうが(笑)

 いや、今囘は愚民の恐ろしさをあらためて思ひ知りました。有り難う御座いました。

>さて、結論を述べましょう。
>「本氣でもない癖に」旧漢字・旧仮名遣いを推奨するな。
>私が言いたいことはこれに尽きます。笑止です。木村さんの底も知れたので、このサイトに新たに議論を持ち込むことは致しません。
>以上をもちまして、私の勝利宣言とさせていただきます。

 お目出度う御座います。

投稿: 木村貴 | 2004年9月21日 (火) 00時01分

>やっと「地獄の箴言掲示板」に辿り着けました。お忙しくて閉鎖しちゃったのかと思っていただけに再会を嬉しく思います。
>さて、ハザマさんが途中で壊れちゃって続かなくなってしまった議論ですが、私の思うところを少し書きます。ちなみに私は「球場に行かない」「テレビで見ない」「ラジオで聞かない」プロ野球が無くなって一向に構わない一人です。

 今後とも御贔屓にお願ひ致します。

>1)『球團經營が左前になつた最大の原因は客が減つた事だ。』について。本当にそうなんでしょうか?
>もともと親会社の広告塔として所有されており、巨大設備(球団数30の米メジャーにドーム球場は2つしかない)の非効率運営と採算軽視(利益を上げて上場を目指した球団は1つも無い)の馴れの果てであり、東京一極集中(球団の集中と巨人戦の集中放送)の結果であり、客のことなど最初から眼中に無かったと思います。

 非效率でも採算輕視でも「客のことなど最初から眼中に無」くても、以前は何とかやつてゐた訣で、それが立ちゆかなくなつたのはテレビ視聽者も含めた觀客數の減少(或いは不十分な増加)が主たる原因と考へざるを得ません。親會社はそれが讀めなかつた訣です。ちなみに9月20日付日本經濟新聞の記事によると、「あなたは以前に比べてプロ野球を見てゐますか」と云ふ質問に對し「以前と同じくらゐ見てゐる」が21.7%、「以前より見なくなつた」が42.9%。後者に「代はりに何を見てゐる?」とさらに尋ねたところ、1位「米大リーグ」、2位「J1(サッカー)」、3位「K-1、PRIDEなど綜合格鬪技」でした。

>2)『ハザマさんの仰るやうに資本主義社會ではサーヴィスの消費者(ファン)に市場離脱の自由が認められてゐます。しかし、同樣にサーヴィスの供給者(球團運營企業)にも市場離脱の自由が認められてゐます。ハザマさんはなにゆゑ企業側だけに道義的足枷を課すのですか。』について。
>プロ野球は公共財であるという視点での議論があるのですが、公共財かどうかは別にして…企業(この場合、球団)の営業が試合という形で行われる以上、単独で経営が成り立たない事業である点が他の業種と異なります。また資本主義社会での企業の市場原理で言うならば新たな資本の参入の原理も担保されていなければならないと言えます。
>今回の合併は複数の参入企業の表明があるにもかかわらず一方向的な市場縮小を目指しています。なぜこうなっちゃったかはよく分からないけれど加盟料という参入障壁を作り経営能力の無い球団(近鉄・オリックス・ロッテ・ダイエー)を合併整理して巨人・西武中心とした1リーグ構想があるからと言われています。

 企業に市場離脱の自由を認める以上、仰る通り、市場參入の自由が必要です。これまではプロ野球が旨みのある商賣(必ずしも黒字である必要は無い)だつた爲、現行の球團運營會社が結託して「參入障壁」を設け、他社の參入を阻んで來たのでせう。この點において親會社や障壁を黙認して來たマスコミは責任を免れません。しかし事此所に到り野球そのものに旨みが無くなつて仕舞へば、こんな障壁はひとりでに崩れるものです。事實、親會社側はコミッショナー私案と云ふ形で加盟料六十億円の撤廃等を打ち出しました。新規參入にもライブドアや樂天が名告りをあげました。資本主義の原理に任せておけば勝手に進む話であつて、怒聲を張り上げて企業を道義的に責めるやうな問題ではないと云ふのが私の主張です。

>3)公共財として見たとき…。
>鉄道が各地で廃線になり地方の公共の足は奪われてきました。NHKの「ご近所さんの底力(題名あやふや)」で見たのですが、住民の力で廃線となる予定だった鉄道を守ったり黒字に転換させた路線が結構あること知りました。
>そこでの事例を細かく挙げませんが、第一歩は利用者の声を徹底的に聞く経営者の態度です。利用者が株主になる事例もありました。

 NHKで報じた鐵道が私營なのか公營なのかわかりませんが、公營ならば、その村なり町なりに住む人及び國民全體の税負擔がどうなつたかを點撿する必要があります。私は特定のプロスポーツを「公共財」として税金や企業の負擔(と云ふ事は消費者や株主の負擔)で保護する事には反對です。少なくも私は私の金を「公共財」だからと云ふ理由でプロ野球の延命策に遣つて欲しくはありません。そんな金が有るなら本やコンピュータを買ふ金を援助して貰ひたいものです。

>長くなりましたが、私が言いたかったことは…
>1)親会社依存の採算軽視経営の限界
>2)閉鎖市場による既得権獲得以外の経営努力の欠如
>3)サービス業であるなら利用者の声は道徳的非難などではなく経営再建のヒントの山であるはず。
>と思います。

 3)について。樣々な商品には「この商品についての御意見をお寄せください」と書いてあり、消費者の意見が役立つ事もあるでせう。だからと云つて、企業側に法的な落度も無いのにその部署に電話して「お前は社會的責任をどう考へてゐるのだこの金の亡者め」などと怒鳴るやうな輩は、どう考へても立派な人間だとは云へません。

 經濟と道徳は別物です。經濟で方を附けるべき問題に道徳を持ち込むべきではありません。球團運營から足を洗ふのも野球ファンを止めるのも經濟問題です。若し一部のファンが經濟問題に道徳を持ち込む積もりならば、汝自身、己のなし得る道徳的責務をまづ果たしてみよ、果たせる見込みは無いけれども――。私が「本氣でもない癖に」で書いた事は、野暮な解説をすればかうなります。さうさう、道徳的義務は元ファンをファンに戻す事に限りません。上で引用した日經の記事によれば、「なぜプロ野球を見ない?」と云ふ質問に對する囘答に、「鳴り物の應援がうるさい」と云ふ理由がありました。我が意を得たり。

投稿: 木村貴 | 2004年9月21日 (火) 01時46分

>今後とも御贔屓にお願ひ致します。

こちらこそ色々教えていただいてばかりで恐縮です。

>企業に市場離脱の自由を認める以上、仰る通り、市場參入の自由が必要です。(中略)資本主義の原理に任せておけば勝手に進む話であつて、怒聲を張り上げて企業を道義的に責めるやうな問題ではないと云ふのが私の主張です。

おっしゃるとおり。ファン(受益者)が主張できるとすれば資本主義の原理を逸脱していないかの監視できる程度のことでしょう。
相手が野球ならば見捨てることもできますが国家の根幹に関わる産業に可笑しなことがあれば声を上げることも必要でしょう。また地方に住んでいる者にとっては、郵政の民営化がどのような形で身に降りかかるのかまだ良く分かりませんが、学校が減らされたり鉄道が無くなったり大病院が無くなったり自由経済の効率の視点だけで物事が決められていくことに一抹の不安を感じたりします。

>NHKで報じた鐵道が私營なのか公營なのかわかりませんが、公營ならば、その村なり町なりに住む人及び國民全體の税負擔がどうなつたかを點撿する必要があります。

市営だったり第三セクター(住民が経営に参加する第四セクター)だったりいろんな例があったと記憶します。市の税金が使われた例ではまさに木村さんが指摘した通り、受益者(鉄道利用者)が非受益者(マイカー利用者)を説得するところから始め成功したようです。つまり本気になったので市も税金を投入できたわけです。

>(略)企業側に法的な落度も無いのにその部署に電話して「お前は社會的責任をどう考へてゐるのだこの金の亡者め」などと怒鳴るやうな輩は、どう考へても立派な人間だとは云へません。(中略)若し一部のファンが經濟問題に道徳を持ち込む積もりならば、汝自身、己のなし得る道徳的責務をまづ果たしてみよ、果たせる見込みは無いけれども――。私が「本氣でもない癖に」で書いた事は、野暮な解説をすればかうなります。

では私は書いた理由を野暮な笑い話にしてみます。田舎に住む私の知人の実話だったりします。
患者「先生、この病気治るべか?」
医者「大丈夫だぁ、ちゃんと治してやる。」
患者「先生がこの病気になったらどおするべさ?」
医者「俺は○○市の大病院さ行ぐ。」
患者「だったら俺もそこの病院行ぎで。」
医者「馬鹿こくでねぇ。お前には俺がいるべ。ここには俺を治す俺は居ねぇ。」
二人「(笑う)」

ほなほな

投稿: とっつぁん | 2004年9月22日 (水) 00時15分

>相手が野球ならば見捨てることもできますが国家の根幹に関わる産業に可笑しなことがあれば声を上げることも必要でしょう。また地方に住んでいる者にとっては、郵政の民営化がどのような形で身に降りかかるのかまだ良く分かりませんが、学校が減らされたり鉄道が無くなったり大病院が無くなったり自由経済の効率の視点だけで物事が決められていくことに一抹の不安を感じたりします。

 何をどこまで自由主義の原理に任せるかは人によつて議論の分かれる處でせう。私はその範圍をかなり廣くすべきだし、しても大丈夫だらうと考へてをります。金が無いから瀕死の病人でも醫者にかかれないと云ふのは問題ですが、かと云つて大した病でもなく金が無い訣でもないのに治療費を國が持つと云ふのも問題でせう。

 私も地方の出身ですが、地方の人が立腹するやうな「過激」な事を云へば、颱風で毎年のやうに土砂崩れやら浸水やらに遭ふ地方があつて、ニュースを見る度に「どうしてわざわざあんな處に住んでゐるのだらう」と不思議に思ふ事がありますね。あれは税金でその都度被害(の一部か全部)を補償するのが一因でせう。愛着のある土地に住み續けたいと云ふ氣持ちは分かりますが、それを他人の負擔でやつて良いものでせうか。二度目の被害以降は自己負擔を増やすやうな施策が必要だと思ひます。まあこんな提案をした議員はすぐ落ちるでせうが。

投稿: 木村貴 | 2004年9月22日 (水) 01時20分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30565/1445929

この記事へのトラックバック一覧です: 本氣でもない癖に:

« 訂正・松原正先生東京講演會 | トップページ | 讀解力の問題 »