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2004年8月26日 (木)

言論と現實の意圖的混同

 ここでもオーウェルの惡用。

 二〇〇三年三月五日のNBCのニュース番組『ブキャナン&プレス』で、最近身柄を拘束された「アルカイダのナンバー3」とされるカリド・シャク・モハメドの冩眞がテレビ畫面に映された――なにやら寝卷きといつた感じの囚人服をだらしなく着た、口ひげを生やした人相の惡い男で、からうじてそれとわかる打撲傷の跡のやうなものがあつた(彼がすでに拷問を受けたことのしるしだらうか)。パット・ブキャナンが早口で、「今後のアメリカ合衆國へのテロリストの攻撃にまつはるすべての關係者の名前ならびに詳細にわたるプランのすべてを知つてゐるこの男に、かうしたすべての情報を引き出すために拷問を加へても、いいかな?」と尋ねたとき、おそろしいことに、その冩眞における詳細のことごとくが、すでにその答へを暗示してゐた。他のコメンテーターたちの應答ならびに視聴者からの電話が壓倒的に「いいとも!」だつたことに何の不思議もない――(中略)じつさいこれはジョージ・オーウェルが、『一九八四年』での「憎惡のセッション」――そこでは市民は叛逆者たちの冩眞を見せられ、彼らにブーイングと惡口を浴びせかける――なる彼の予豫(vision)において想像してゐたものが、かなり近いかたちで實現されたのではないか。(スラヴォイ・ジジェク『イラク』、松本潤一郎他譯)

 ある國でテレビのコメンテーターや視聴者が拷問に賛同したからと云つて、その國で拷問が合法的に認められてゐるとは限らない。サダム・フセインのイラクでは拷問は合法的な行爲だつたが、アメリカでは違ふ。アブグレイブ刑務所で米兵はイラク人捕虜を虐待したが、その行爲は違法として裁かれたのである。ジジェクは言論上の意見と現實の制度を意圖的に混同して書いてゐる。オーウェルが讀んだら、これこそ「戰爭は平和である」の類ひの倒錯した言論であると批判するに違ひない。

 もつとも、ジジェクは同種の拷問肯定論について、「今日、このやうな見解を表明することが、そもそも可能ですらあるといふこと、これは眞の破局である」と迄書いてゐるから、實際、自分が怪しからぬと思ふ言論は封殺せよと云ふ考へ方の持ち主であるやうだ。拷問が許容されるか絶對にされないか、されるとすれば如何なる場合にどこまで許容され得るかと云ふ問題は、公の場で眞劍に議論されねばならぬ。

 しばらく前の朝日新聞の書評欄で、高橋源一郎が上のブキャナンの發言部分を紹介し、『イラク』を褒めちぎつてゐた。馬鹿に付ける薬はない。

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コメント

>拷問が許容されるか絶對にされないか、されるとすれば如何なる場合にどこまで許容され得るかと云ふ問題は、公の場で眞劍に議論されねばならぬ。

 最近出たばかりのスティーヴン・ピンカー『人間の本性を考へる』(山下篤子譯、NHKブックス)の下卷に、次のやうな件りがある。

 道徳哲學者は、拷問が正當化される状況すらあると指摘する――たとへば、人がたくさん集まる場所に時限爆彈をしかけたテロリストがつかまつて、しかけた場所を白状しない場合である。(72頁)

 

投稿: 木村貴 | 2004年10月 1日 (金) 01時46分

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