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2004年8月23日 (月)

「管理社會の危機」を煽るな

日本は「情報管理社会」と言ひ募る人間が少なくないが、本當なのか。例へば斎藤貴男の著書の紹介文。

定期券、貯金通帳から病院のカルテまで、最先端技術をもってすれば一元管理など実に容易なのだ。いま甦る国民総背番号制度の悪夢Amazon.co.jp: 本: プライバシー・クライシス

かうした見方を、例へばノーマン・ポドレッツは強く批判したと云ふ。

 アメリカの新保守派の論客であるノーマン・ポドレッツも、『一九八四年』が共産主義の警告としてではなく、アメリカなどの自由世界の近い将来の姿として捉へる向きが強いのに呆れてゐる。そして、ある大學教授が、「この本を読んで、『自由世界』とソ連の独裁制の間には差異があると、考へるひとは『一九八四年』の悪夢を真に理解できないだらう」と述べたのに対して、ノーマン・ポドレッツはかういふ主張こそが、「オーウェル的オーウェル観である」と批判してゐた。(城島了『オーウェル讃歌』 自由社)
ポドレッツの云ふ通りである。

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コメント

おひさです。

斎藤貴男氏の言っていることは、「写真に撮られたら魂を抜かれる」という流言飛語のごときものでしょう。とは言え、王朝時代は「相手に本名を知られたら呪詛される」と信じられていましたし、氏のデマゴギーに扇動されるのは、そのような非理性的な習俗の残滓というか感情論でしょう。最も、扇動者の口上に必要なのは感情に訴える語りであって、その言動の論理性では決してありませんから。

あるいは、斎藤貴男氏の言っていることは、昔のSFの如き「コンピュータ万能論」の裏返しです。今時「コンピュータ万能論」を口にするのは、無責任なIT営業もしくは詐欺紛いのコンサルぐらいでしょう。そんな口だけ輩がプロジェクトに入り込んだら、私は後ろから銃を向けてやります。逆に言えば、氏はこういう言論の場しか居場所が無いのかも知れません。

投稿: toka3aki | 2004年8月24日 (火) 22時37分

フーコーを信奉する學者や評論家も、何かと云へば「これが現代的な權力の形態だ」だの「新しい支配のあり方だ」だのと大騒ぎしてみせますね。新しい權力を云々する前に、少し前のバグダッドや今のピョンヤンに行つて「古い權力」についてのフィールドワークでもやつて來いと云ひたくなります。

投稿: 木村貴 | 2004年8月26日 (木) 08時43分

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