マイケル・ムーア・スーパースター
地下鐵で、雜誌「アエラ」九月六日號の中吊廣告が目に止まる。例の駄洒落惹句に曰く、「話題作だから込ムーァ。」 馬鹿か。マイケル・ムーアとその監督映畫「華氏911」の特輯をやるらしい。見出しに「小泉とブッシュの共通點」云々とあるから、反ブッシュ主義者ムーアを禮讚する内容である事は中身を讀む迄もなく分かる。
アメリカは日本と政治的經濟的にこれほど關係の深い國であるにもかかはらず、日本に紹介されるアメリカの知識人は非常に偏つてゐる。新刊書店の棚を覗いてみるがよい、飜訳本の著者は、十中八九、反米反ブッシュ派である。ノーム・チョムスキー、エドワード・サイード、スーザン・ソンタグ、そしてこのマイケル・ムーア。たまに親米親ブッシュ派の本が出ると、ローレンス・カプランとウィリアム・クリストルの「ネオコンの眞實――イラク戰爭から世界制覇へ」(原題「イラクを巡る戰爭――サダムの暴政とアメリカの使命」)、フランス人だがジャンフランソワ・ルヴェルの「インチキな反米主義者、マヌケな親米主義者」(同「反米病」)のやうに原題とは似ても似つかぬ反米的な題名に改竄されて仕舞ふ。異樣である。
さてマイケル・ムーアはドキュメンタリー映畫監督としてアカデミーやカンヌ映畫祭で高く評價され、それによる名聲をアエラなど日本の左派メディアはブッシュ・小泉政權攻撃の材料として最大限に利用しようとしてゐるのだが、ムーアは本當にそれほど立派なジャーナリストなのか。著作家としてのムーアの代表作「アホでマヌケなアメリカ白人」(柏書房)に次のやうな箇所がある。
日曜日の朝のこと、俺はコラムニストで右翼雜誌の編輯者でもあるフレッド・バーンズが、アメリカの教育事情に關する泣き言を埀れ流してゐるのを聞いてゐた。教育の質がこれほど落ちたのは、教師とその組合のせゐだといふ。 「今の子供たちは、『イリアス』や『オデュッセイア』すら知らんのです!」と彼は吼えた。他のパネリストたちは、フレッドの高尚な嘆きに感じ入つてゐる。 翌朝、俺はフレッド・バーンズのワシントンのオフィスを訪ねた。「フレッド」と俺は言つた、「教へてくれよ。『イリアス』と『オデュッセイア』てのは何なんだ?」 彼は何やらごによごによ言ひ始めた。「あー、それはだな……その……何だ……ほれ……ええい、ああさうさ。お前の勝ちだ――俺ァそんなの、何も知らねえよ。うれしいか、ああ?」 いや、ちつともうれしくなんてないよ。君はアメリカを代表するTVコメンテイターぢやないか。
これが眞實ならバーンズは大耻である。ところが、デヴィッド・ハーディとジェイソン・クラークの近著「マイケル・ムーアはデブでマヌケな白人」(ハーパーコリンズ社)によると、事實はかうだつたと云ふ。
「ニュー・リパブリック」誌のアラン・ウルフが眞僞を問ひたださうとすると、バーンズは「あり得ない」と答へ、かう説明を續けた。「第一に、私はマイケル・ムーアと話したことが無い。第二に、私は『イリアス』と『オデュッセイア』を讀んだことがある。大學に入るまでは讀んだことがなかつたが、確かに讀んだ」
バーンズは古典教育を重んずるヴァージニア大とハーバード大で學んだインテリであり、ホメロスの作品を知らないと考へる方が不自然である。要するに、ムーアの記述はでつち上げだつた可能性が濃い。また、ハーディとジェイソンの著書では、ムーアが映畫「ボウリング・フォー・コロンバイン」で全米ライフル協會會長の俳優チャールトン・ヘストンの發言を都合良く編輯して使用した手口が事細かに暴かれてゐる。これでもムーアは賞讚さるべきジャーナリストと云へるであらうか。
「マイケル・ムーアがよくわかる本」(寶島社)収録のインタヴューで、デーヴ・スペクターがムーアをかう批判してゐる。
『華氏911』では現役の議員たちに、子供たちをイラクへ行かせないのかと聞いて囘るシーンがありましたけど、アメリカは今、志願制ですからそれを言つてもねえ。で、貧困層の人たちが入隊するとムーアは思つてるらしいけど、そればつかりぢやない。各家庭で代々傳統的に行く人もゐるし、最高の技術を身につけるために志願する人もゐるし、エリートコースの人もゐる。彼はわざと反體制みたいに見せかけてゐるんですよね。だからプロパガンダだと言はれちやう。
政治的な敵を貶める爲ならば如何なる嘘や誤魔化しでも正當化されると云ふ信念の持主、それはジャーナリストではなくプロパガンディストである。全うなジャーナリズムならば、ムーアを嚴しく批判すべきであつて、稱揚するなどとんでもない。アエラよ、耻を知れ。
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