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2004年7月 1日 (木)

王と民主主義と戰爭

さらに付け足り。

――民主主義の世の中で「君が代」なんて歌を國歌にする事自體がそもそもをかしい。私はさう云ふ信念を持つてゐるし、それを子供に教へる事が義務だと信ずる。もし「民が代」が國歌になるとしたら大歓迎だし、それを歌はない生徒は保守反動で民主主義の敵に決まつてゐるから、歌はない事は許さないし、内申書も惡い點を付けて當然だ――。

 と主張する先生がゐるかもしれない。だがその先生は、まづ上に記したやうな主張の正しさを論理的に證明する義務がある。例へば民主主義の「本家」であるイギリスには女王がゐる。無論、アメリカやフランスのやうに王のゐない民主主義國もあるが、イギリスや北歐諸國のやうに王を戴く民主主義國もある。なにゆゑ、「天皇制」と民主主義は兩立しないのか。それを納得させて呉れれば、私は喜んで先生方を應援するだらう。

 天皇制は戰爭を引き起こした、だから天皇制は廃止すべきである――。それなら、アメリカの大統領制だつて戰爭を引き起こしたのだから、アメリカは大統領制を廃止すべきであると云ふ事になる。そんな馬鹿な話はない。

 憲法の規定内容と「戰爭の有無」との間には、何等必然的關係はない。如何なる國家の、如何なる憲法も、好戰侵略を標榜するものはなく、又如何なる國家も、軍事組織を備へざるものもなく、戰爭をするかしないかは、君主國か共和國かの區別とも没交渉であり、専制獨裁政體か立憲デモクラシー政體かの區別とも没交渉である。和戰の決は、法の問題ではなく、政策の問題である。それも一國の國内だけの問題ではなく、國際政治の問題である。(井上孚麿『憲法研究』 昭和三十四年)
 井上の言ふ通り、「和戰の決」は政策の問題である。戰爭を道徳的惡事と思ひ做す愚は好い加減にすべきである。

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