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2004年6月 9日 (水)

讀書術

エミール・ファゲ『讀書術』(石川湧譯、中条省平校注。中公文庫)を買ふ。多讀速讀をさも素晴らしい事のやうに自慢する福田和也や立花隆を徹底的に批判した『遅讀のすすめ』(新潮社)の中で、著者の山村修が好意的に紹介してゐた本の六十四年ぶりの再刊である。第一章の題は「ゆつくりと讀むこと」である。

讀むことを學ぶためには、先づ極めてゆつくりと讀まねばならぬ。〔中略〕自分で書くといふ意圖を持つてゐないでさへも、それが何であらうとも、よく理解したかどうか、諸君が受け取つた觀念は諸君のものではなくて正に著者のものであるかどうか、といふことを常に自問しながら、ゆつくりと讀まねばならぬ。『確かにさうか?』は讀者が自らに提出する連續的疑問でなければならぬ。(13頁)

ショーペンハウアーも似た事を書いてゐる。

精神的食物も、とりすぎればやはり、過剰による精神の窒息死を招きかねない。多讀すればするほど、讀まれたものは精神の中に、眞の跡をとどめないのである。(『讀書について』128頁。齋藤忍随譯、岩波文庫)

さう云へば孔子も似た事を云つてゐる。

學びて思はざれば則ち罔(くら)し。(爲政篇)

わかつてはゐるが、ついつい買つて仕舞ふ。これは反省……いや、買ふだけで讀まなければ良いのか。それなら大丈夫だ。

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