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2004年6月30日 (水)

自業自得の「日の丸・君が代」強制

サンデー毎日七月十一日號「東京都教育委員 『言ひたい放題』全集」に曰く、

一方、鳥海[巌委員]は、「松井(秀喜選手)がヤンキースの球場で、相手の國旗に對してきちんと敬意を表してゐます。あの時に松井がベンチに座つてゐたらどうなりますか」と述べた。[中略]誰も松井選手に強制してはゐないだらう。

 要するに、日の丸掲揚・君が代斉唱を生徒に「強制」する事は怪しからぬとサンデー毎日は言ひたいのである。成る程、國旗・國歌への愛着心とは己が郷里の風景を愛する心と同じであつて、法律で強制したからと云つて育まれる譯ではない。しかし、逆に言へば、生まれ育つた郷里の風景を愛する心は放つておけば通常自然に生ずるものであつて、それを無理矢理消し去らうとする行爲は、それこそ「強制」以外の何物でもない。國旗・國歌への愛着心を無理矢理消し去らうとする行爲は、それを無理矢理奮ひ立たせようとする行爲以上に、「強制」として非難されなければならない。
 だが、都教育委員會の「強制」を口を極めて非難する教員は、果たしてこれまで日の丸・君が代への愛着心を無理矢理消し去らうと子供に「強制」して来なかつたであらうか。無論、否である。教室に於いては屢々、教師は政府以上の強制力を持つ。例へば、最近もこんな事があつた。

試験に「自衛隊イラク派遣」 肯定的解答は0点 愛知の県立高 (産経新聞) - goo ニュース

試験に「自衛隊イラク派遣」 肯定的解答は0点 愛知の県立高

 愛知県の県立高校が五月に実施した高校三年生の日本史の中間試験で、担当の男性教諭が「イラク戦争についてどう思うか」と問う記述問題を出題し、イラクへの自衛隊派遣に肯定的な解答は零点とし、否定的な解答は五点として、生徒の生活態度などを評価する平常点に配点していたことが二十五日、分かった。
 愛知県教育委員会は「さまざまな考えを持つ生徒や保護者への配慮を欠いた不適切な設問だ」として、配点を無効にするよう学校側に指示した。

 教師は、政府に特定の價値観の強制を許さないのであれば、自らも特定の價値観の強制をしてはならない筈である。いやいや、政府による「強制」は少なくも民主主義の手續きを踏んでなされてゐるが、個々の教師による「強制」は國民の審判を受けてゐないのだから、なほさら自らを厳しく律すべきである。愛知の縣立高校のやうに、特定の政治現象について己が價値観に反する解答を書いた生徒を不利に取り扱ふやうな馬鹿教師のゐる教育現場を、私は信ずる氣になれない。都の「右旋囘」に苦しんだからと云つて、所詮は自業自得でしかないと思ふ。

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2004年6月14日 (月)

先づ彼我の差を知れ

闇黒日記
より。

 かつて小林を読みはじめたころ、私が最初につよいこだわりを感じたのは次の点についてであった。すなわち、彼は、近世初頭においてデカルトが提出した〈ボン・サンスbon sens〉を、あえて〈常識〉と訳していることである。つまり、〈良識=理性〉とのいわゆる学問的区別よりも、常識の意味の拡がりと意味の厚味を重視していたのである。私も初めは、デカルト自身が「〈ボン・サンス〉あるいは〈レゾンraison〉」(理性)と言っていることや、「われ考える、ゆえにわれあり」"Cogito, ergo sum"というかたちで完全に推論式化していることから、この小林のとらえ方にはつよい抵抗を感じた。それに、デカルトの思想は「大陸の合理論であり、F・ベーコンたちは「イギリス経験論」の立場にあるものとしてにあるものとして、やはり一応は、区別しておくべきだろうと、思っていた。ところが、この「大陸の合理論」と「イギリス経験論」という分け方は決して不動なものではないこと、両者はともに近世ヨーロッパの合理主義理論の二形態であり、いわば「同根」のものであることが私にもはっきりしてきた。とすれば、いわゆる学問的な「大陸の合理論」と「イギリス経験論」という区別は大した意味を持たなくなる。むしろ、両者の区別は、あまりにも西洋の近世哲学史的(大学教育的)であった。それは、あくまで時代思想の遠近法のなかで成り立つ、一種の約束事であり、〈制度的なもの)であったのである。[中村雄二郎「〈鏡〉としての小林秀雄――その「コモン・センス」観を中心に」(新潮平成十三年四月號増刊「小林秀雄 百年のヒント」所收)]

 西洋人になつたやうなつもりで「大陸の合理論」と「イギリス經驗論」の相違を喋々と論ずる以前に、西洋と日本の文化を隔てる深淵に眼を向けるべきだと云ふ事を、小林秀雄は知つてゐた。西洋思想を「正統の哲學」と「惡魔の思想」に二分する中川八洋流の見取圖は、それなりの參考にはなり、私も世話になつたのであるが、彼我の文化の差を認識するにはやはり不適當である。

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2004年6月 9日 (水)

馴れ合ひジャーナリズム

週間文春の坪内祐三のコラム「文庫本を狙へ!」の5月27日號掲載分は非道かつた。「噂の眞相」元編輯長岡留安則が書いた『武器としてのスキャンダル』(ちくま文庫)を取り上げたもので、この本論にも云ひたいことはあるが、ここでは省く。非道いと云ふのは、「おまけとして最近の『一行ゴシップ』を一つ紹介する」とわざわざ前置きして書いた次の件りである。

数日前ある出版パーティーに出席し、新潮社のイシイ・『バカの壁』の仕掛け人・スバルさんと立ち話をしていたら、某大物編集者(『編集会議』のハナダさんもいたけどハナダさんじゃないよ)が近づいてきて、スバルさんが『旅』に続いて『噂の真相』の権利を新潮社で買い取ってツボウチさんを編集長に迎えるという噂があるけど本当ですか? と話しかけてきた。/ええそうなんですよ、で『考える人』のK青年と『小説新潮』のF嬢をスタッフにくれってスバルさんと交渉中なんですよ、と答えれば面白かったのだが。

「面白かったのだが」と坪内氏は面白がつてゐるが、こんな内輪話を讀まされて面白がるのは坪内氏自身と、匿名・半匿名で登場して坪内氏から胡麻を摺られた「某大物編集者」やら「仕掛け人」やらの出版關係者と、その知り合ひだけであらう。自分に有名雜誌の後継編輯長の誘ひが来たと云ふ「噂」をそのまま書く事は、自らの「大物」ぶりを暗にひけらかさうとするのと同じで、はしたない行爲である。坪内氏は雜誌ジャーナリズムの停滞を嘆いてみせるが、誌面で自慢話と身内の馴れ合ひを得々と「紹介」して恥ぢない物書きや編輯者の弛緩しきつた態度こそが、雜誌ジャーナリズムを詰まらなくしてゐるのである。

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讀書術

エミール・ファゲ『讀書術』(石川湧譯、中条省平校注。中公文庫)を買ふ。多讀速讀をさも素晴らしい事のやうに自慢する福田和也や立花隆を徹底的に批判した『遅讀のすすめ』(新潮社)の中で、著者の山村修が好意的に紹介してゐた本の六十四年ぶりの再刊である。第一章の題は「ゆつくりと讀むこと」である。

讀むことを學ぶためには、先づ極めてゆつくりと讀まねばならぬ。〔中略〕自分で書くといふ意圖を持つてゐないでさへも、それが何であらうとも、よく理解したかどうか、諸君が受け取つた觀念は諸君のものではなくて正に著者のものであるかどうか、といふことを常に自問しながら、ゆつくりと讀まねばならぬ。『確かにさうか?』は讀者が自らに提出する連續的疑問でなければならぬ。(13頁)

ショーペンハウアーも似た事を書いてゐる。

精神的食物も、とりすぎればやはり、過剰による精神の窒息死を招きかねない。多讀すればするほど、讀まれたものは精神の中に、眞の跡をとどめないのである。(『讀書について』128頁。齋藤忍随譯、岩波文庫)

さう云へば孔子も似た事を云つてゐる。

學びて思はざれば則ち罔(くら)し。(爲政篇)

わかつてはゐるが、ついつい買つて仕舞ふ。これは反省……いや、買ふだけで讀まなければ良いのか。それなら大丈夫だ。

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2004年6月 8日 (火)

メールアドレスまた變更

メールアドレスを kimura39@nifty.com に變更します。古い奴 kimura39@now.mfnet.ne.jp は容量が小さいので止めますが、當分は大丈夫です。

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2004年6月 2日 (水)

大事なものが缼けてゐる方

ノズラー・この痴的なるもの

100 :吾輩は名無しである :04/06/01 22:44
論理を問題にするならひとつだけ指摘しておこうか。

平成十六年六月一日
ソフトバンクBB、恐喝未遂事件容疑者逮捕を受け発表会開催~「PC JAPAN」休刊へ。容疑者の1人は「PC JAPAN」に執筆するライター~
昔々、市ヶ谷で自衞官相手に演説を行ひ、クーデタを起せとアジつたものの野次り倒されて激昂して腹を切つた三島由紀夫と云ふ人がゐたの
だけれども、誰の目にも三島氏は明かに犯罪者である。

===

「誰の目にも三島氏は明かに犯罪者である」というのは明らかな
間違い。三島の崇拝者にとっては明らかに犯罪者ではない。

馬鹿馬鹿しくて眩暈がする。有罪か無罪か微妙な事件なら兎も角、白晝堂々、自衞隊の総監部に亂入して、総監を監禁して、隊員に刀剣で斬りつければ、たとひ「三島の崇拝者」だらうと、不道徳とは絶對に認めないであらうが、違法であるとは認めるに決まつてゐる。監禁罪や傷害罪を犯した事は明白だからだ。名無しには「大事なもの」が見事に缺けてゐる。法と道徳を峻別する頭脳である。

ひとつひとつ指摘してもいいのだが、怪しげな趣味を公言し、無職を 擁護(とどのつまりが自分を擁護しているのだ。無職と指摘された 自分自身を擁護しているのである)するといった感性の持ち主には 大事なものが欠けているのである。

「怪しげな趣味」を公言しようが「無職」だらうが、「自分を擁護」(當然の行爲だと思ふが。名無しは自分を擁護した事が無いのか)しようがしまいが、その人間の主張が正しいか正しくないかとは一切關係……疲れた寝る。

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趣味は高尚、頭脳は低劣

ノズラー・この痴的なるもの

99 :吾輩は名無しである :04/06/01 22:18 木村さん、正直に書いて下さい。あれは恥ずかしい趣味でしょう。 そう思っているはずです。匿名は駄目だが、ああいう趣味はいいのか?

わからん奴だ。「恥づかしい趣味」があらうが無からうが、そんな事は、その人間の主張が正しいか正しくないかとは何の關係も無い。永井荷風は春畫やらストリップやら、「恥づかしい趣味」にさんざん入れ込んだが、それなら荷風の書いたものは全部詰まらぬのか。荷風は詰まらぬ人間なのか。

人殺しは「迷惑」だから駄目だと主張するのかな?

當たり前だらうが。殺された本人や身内は勿論、赤の他人にとつても、誰もが氣儘に他人をぶち殺せるやうになつたら、迷惑そのものだらうが。合法的に放送されてゐるアニメを自分の家で樂しんで、それを公言したら、誰に迷惑をかけるのだ。

松原さんはああいうアニメだけでなく全ての漫画を馬鹿にしていますが、 そのことについてはどう思う?

松原氏は小林よしのりの漫畫を馬鹿にしてゐるが、全ての漫畫を馬鹿にしてゐるかどうかは知らない。假にさうだとしても、漫畫も讀むし普通の本も讀む人間を馬鹿にする筈が無い。従つて野嵜氏の事を馬鹿にする筈がないし、事實してゐない。してゐたら、サイトで松原氏の文章を許可を得て公開できる道理が無い。

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2004年6月 1日 (火)

高尚な趣味をお持ちの2ちゃんねらーの皆樣

ノズラー・この痴的なるもの

87 :吾輩は名無しである :04/05/31 22:38 >>木村貴氏

野嵜が少女向けアニメ趣味を公言する事は問題ないのか?

法に触れない限り、どんな趣味を持たうが、それを公言しようが自由である。野嵜氏が少女向けアニメに入れ込んで、それを公言すると、名無しはどんな迷惑を被ると云ふのだ。

88 :吾輩は名無しである :04/05/31 23:05 平成十六年五月三十一日 せんせいのお時間終つた。今週も面白かつた。次囘は六月十三日。殺す。

>>木村貴氏

上記は可なりや?

常識ある人間なら誰も「不可」と云ふ筈がない。野嵜氏が少女向けアニメを堪能すると、名無しは何か困る事でもあるのか。

野嵜氏が眞面目に書いた意見が氣に喰はないのなら、正面から論破すれば良いではないか。それができないものだから、趣味だの職業だの容姿だの、無關係な事柄を論つて勝つたやうな氣分になる。しかも大の男(?)が匿名で。いやはや、誠に高尚な趣味をお持ちの皆樣だ。これは可なりや? 名無し殿。

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