ソロスのブッシュ批判
「論座」五月號はフォーリン・アフェアーズに掲載されたジョージ・ソロスの會見内容を卷頭に轉載し、表紙にも「ジョージ・ソロスのブッシュ批判」と見出しを掲げてゐる。ブッシュ大統領の惡口なら何でも歡迎する朝日新聞社の雜誌とは云へ、如何にも破格の扱ひである。成る程、國際的に知名度の高い投資家ソロスまでがブッシュ大統領を批判したとなれば、日本のサラリーマン讀者に與へる衝撃も大きいと計算しての編輯であらう。
だが、ソロスは朝日新聞流の絶對平和主義の信奉者ではない。ブッシュ共和黨政權のイラク介入のやり方が怪しからんと言つてゐるのであつて、武力介入自體を否定してゐる譯ではないのである。事實、掲載された會見でも「すでに三十万人のイラク人を殺戮してゐた暴君からイラク市民を救つたことになるのではないか」との質問に對して、「そのやうな正當化はできるだらう。ボスニア紛爭の場合でも、もつと早く、もつと積極的に介入してゐれば、より多くの命を救ふことができてゐただらう」と答へてゐる。
抑もソロスは自身が會見で明確に述べてゐるやうに、民主黨のケリー上院議員を次期大統領候補として支持してをり、その發言は政治的に割引いて聴く必要がある。例へば、次のやうな發言は、現政權を貶めんが爲の俗受けを狙つた議論に近い。
サダムもクルド人に化學兵器を使用し大量虐殺を行つてゐる。しかし八五年にラムズフェルドはサダムに對して「われわれの批判をあまり眞劍に受け止めるな。われわれはまだ、君のイランに對する戰ひを支援してゐる」と述べてゐる。その同じ人物が二十年後に、サダムを排除すべくイラクに武力行使するといふのは欺瞞であり、アメリカの信頼を損ねることになる。
マックス・ウェーバーが喝破したやうに、政治家は政治上の責任を果たす爲なら惡魔とさへ契約を結ばねばならぬ。ソロスはかつてロンドンでカール・ポパーに師事したと云ふが、ポパーに劣らぬ反共主義者であつたレイモン・アロンはかう言ひ切つてゐる。
道徳家は味方の國の警察が行ふ拷問と、反體制派の精神病院への監禁とを區別せず、後者も前者も同じ厳格さをもつて告發する。アメリカ大統領はそれができない。大統領は同盟國を望ましい方向へと誘導することはできるが、道徳家のやうな論理をつきつめるわけには行かない。彼はある種の僞善を運命づけられてゐる。罪を犯した國の外交關係によつてその罪を區別することは避けられない。大統領はそれ故に自らの道徳に忠實であることを許されないのである。(柏岡富英他譯『世紀末の國際關係』234頁、昭和堂)
ソロスも政治活動家なら、政治の世界では「二十年後」どころか、一年後、一日後に掌を返すやうな態度を屢々取らざるを得ない事くらゐ、良く承知してゐる筈である。それなら「欺瞞」はソロスの發言の方である。尤も、アメリカは「道徳家」の気風が強い國であり、歐州人のウェーバーやアロンが説く擦れ枯らしの現實主義をすんなり受け入れ難い面がある。さうしたアメリカ人気質に訴へる狙いが込められてゐるとすれば、ソロスの發言は或る意味で巧みだとも云へよう。
日本の新聞雜誌では「大義なき戰爭」と云ふ文句が大流行である。大義と云ふ言葉を、戰爭をやらない言ひ譯としてしか使はない國で、國際政治における現實主義も理想主義も理解される道理があるまい。
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