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2004年4月28日 (水)

西暦二千年に思ふ

 もうすぐ西暦二千年を迎える。日本の「ミレニアム騷ぎ」は實にくだらぬが、さりとて「クリスト教の暦が代替りするからといつて、日本人に何の關係があるか」と言ひ捨てることはできない。現代は鎖國時代ではない。日本は五十年以上も前にそのことを思ひ知つた筈だ。

 折口信夫は昭和二十四年に出した「神道の新しい方向」と云ふ文章の中でかう書いた。

 まさか、終戰のみじめな事實が、日々刻々に近寄つてゐようとは考へもつきませんでした。その或日、ふつと或啓示が胸に浮かんで來るやうな氣持ちがして、愕然と致しました。それはこんな話を聞いたのです。あめりかの青年達がひよつとすると、あのえるされむを囘復する爲に出來るだけの努力を費やした、十字軍における彼らの祖先の情熱をもつて、この戰爭に努力してゐるのではなからうか、と。もしさうだつたら、われわれは、この戰爭に勝ち目があるだらうかといふ、静かな反省が起こつても來ました。
 
 日本は、アメリカがいかに強力な精神的支柱を持つか、よく知らぬままに戰ひ、敗れた。「日本は神國」と言つたはいいが、アメリカもまた「神の國」であることに思ひ至らなかつた。 しかもアメリカの神、即ちクリスト教の神は、日本の人間臭い八百萬の神と異なり、甚だ不寛容で峻厳な、手強い神であつた。折口は別の文章で書いてゐる。

 我々は(中略)神々の敗北といふことを考へなかつた。(中略)我々は奇蹟を信じてゐた。しかし、我々側には一つも現れず、向うばかりに現れた。(中略)過去の信仰の形骸のみにたよつて、心の中に現實に神の信仰を持つてゐないのだから、敗けるのは信仰的に必然だと考へられた。(「神道宗教化の意義」)

 葦津珍彦は、折口信夫が柳田國男とともに戰後アメリカ軍に迎合し、地方の土着信仰を必要以上に持上げ、神道と皇室との離反を助長したと批判してゐる。上の引用はさういふ意味合ひを考慮しなければならないにせよ、日本人がクリスト教の怖さや「日本教」の弱點やについて突詰めて考へて來なかつた事は、折口が指摘する通りだと思ふ。

 西暦二千年の年月はそのまま、西洋人がクリスト教と格鬪してきた歴史である。その間、彼らは「全知全能の神が創造した世界に何ゆゑ惡が存在するのか」「救はれる人間とさうでない人間があらかじめ定まつてゐるのなら、何ゆゑ人間は道徳的に生きなければならないのか」といつた難問に惱み、答へを見出そうと七転八倒してきた。
パスカル、ニーチェ、キルケゴール、ドストエフスキー。クリスト教発祥以降の西洋の哲學、文學でクリスト教と関係の無いものは無い。西洋の自然科學も、クリスト教拔きには発達し得なかつたと言はれる。

 さうした彼らの努力に引替へ、今の日本人は、日本の神の問題にどれだけ眞劍に取り組んでゐるか。日本の神の問題は、天皇を抜きに論じる事は出來ない。しかし今上天皇の御在位十周年で、我々は藝能人を引つ張り出しての馬鹿騷ぎは樂しんだが、日本の宗教について眞劍に考へようとしなかつた。そして、上滑りの「ミレニアム騷ぎ」。我々はクリスト教についても眞劍に考へやうとしてゐない。庶民は兔も角、知識人までがさうであつて好い譯が無い。

 西洋でも昨今はクリスト教の信仰が薄れたと言はれるが、二千年といふ節目はなほ重い意味を持つやうである。その重みは日本人とは無縁である。華やかな「ミレニアム・パーティー」を期待して教會の扉を開くと、そこには十字架の下で祈りを捧げる人々。「お前は何をしにここに來た?」さう問はれた時、我々はどう答へればいいのだらうか。(平成11年[西暦1999年]12月30日。「電腦正統記」の掲示板への投稿に加筆し、エッセイ投稿のサイト「平成つれづれ草」で公開。若干修正した)

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