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2004年4月28日 (水)

松原正名言集 愚者も政治家を罵る

 鈴木首相、福田元首相、および二階堂幹事長による後繼總裁選出についての話合ひを、サンデー毎日十一月七日號は「限りなく愚かで、醜惡で、バカげてゐて、笑ふ氣さへしない茶番劇」と評し、「國民は、彼らに見合つた政治家しか持てないといふ。だが、我々はこんなにも愚かで、こんなにも哀れな國民だつたのだらうか」と書いてゐる。政治家は「限りなく愚かで、醜惡で、バカげて」ゐるが、週刊誌の記者を含む日本國民は決して愚かでないと毎日は言ひたいらしい。が、果たしてさうか。(中略)やはり、政治家と國民は破れ鍋に綴蓋なのである。/しかるに、綴蓋が破れ鍋の「醜惡」を言ふ滑稽に、大方のジャーナリストも政治評論家も氣づく事が無い。(「愚者も政治家を罵る」『續・暖簾に腕押し』 地球社 140頁)

 松原正氏が上記の文章を書いたのは昭和五十六年だから、もう二十年近く前である。しかるに現在に至るも、政治家の「『醜惡』を言ふ滑稽」は堂々と罷り通つてゐる。

 週刊新潮十一月九日號は、中川秀直官房長官の辭任劇を受けて卷頭で四頁にわたる政治記事を載せた。その題名が「この國の誇りある人々を失望させた森首相、中川スキャンダルを人權侵害とのたまふ自民黨の厚顏、永年の利權にあぐらをかいて猿芝居ばかりのあなた方に國民は呆れ返つてゐる」。無闇に長いタイトルで注意を引かうと云ふ算段だらうが、この題名を見ただけで、如何に空疎な内容か想像がつく。少なくもこの私は、「中川スキャンダルを人權侵害とのたまふ自民黨の厚顏」とやらに呆れ返つてなどゐない。呆れ返るべき対象は、週刊新潮の知的怠惰の方である。

 中川長官に「トドメ」を刺したのは、週刊新潮と同じ版元の「フォーカス」誌がテレビ局に提供し、ニュースー番組で一齋に流された長官と「愛人」との會話録音テープである。新潮の記事によると、亀井静香政調會長は自民黨の會合で「一連のテレビ報道は明らかに人權侵害だ。個人的なことを際限なしに放送したらどういふことになるのか。人權と報道の問題を考へるため、通信部會の小委員会で檢討していきたい」と「まくしたて」、野中幹事長は「おつしやる通り」と相槌を打つたと云ふ。新潮は「野中氏や亀井氏の思想はまさしく全體主義國家のそれ」と息卷くが、亀井氏野中氏の言ひ分のどこが「全體主義國家のそれ」なのか。新潮の記者や編輯者は、夫子自身の「個人的なことを際限なしに放送」されても構はないと云ふのか。

 かう云ふと、新潮はきつと「政治家は公人だからプライヴァシーなんぞ無いのだ」と反論するであらう。實際、この記事でも用意周到に元衆議院議長の田村元氏からそのやうな趣旨の談話を取つてゐる。では尋ねるが、週刊誌記者や編輯者を含むマスコミ關係者は「公人」ではないのか。國民の「知る權利」に應へるとの大義名分の下、「報道の自由」を付與された報道關係者こそ、現代における「公人中の公人」ではないのか。マスコミ關係者は立派な公人として、自分自身や親族や「愛人」やのプライヴァシーをテレビや雜誌で暴き立てられても文句は言へないと云ふ事になりはしないか。マスコミは民間企業だから違ふと云ふか。それなら銀行の頭取や大企業の社長は「公人」でないと云ふのか。今はテレビタレントですら「公人」扱ひされる世の中である。

 「公人」を理由に人權侵害が許されるのであれば、少なくも「公人」とは何か、そして「公人」に對しては如何なる理由でどの程度迄の權利侵害が認められるかと云ふ事をはつきりさせておかなければ、多少なりとも公共に係はる仕事に就く人間は枕を高くして寝られなくなる。そして、廣い意味の公共に全く係はらない仕事なんぞ世間に存在しないのだから、國民全員が安眠出來ないと云ふ事になる。「全體主義國家」よりもこちらの方が餘程恐ろしいではないか。いやいや、これこそ「全體主義國家」なのである。獨裁者の名を「嫉妬」と云ふ。

 新潮はさらに亀井氏の「人權侵害」と云ふ言葉に噛付き、「人間通」の谷澤永一氏を擔ぎ出して人權思想批判を一席ぶたせる。谷澤氏曰く、人權といふ言葉を生み出したルソーはもともと孤兒で、ジゴロで、五人の子供を捨て子にした人物である。「今囘、亀井、野中といふ出たとこ勝負のハッタリ人間がかういふ言葉を使つて自分たちの利益を守らうとしたことで、國民も人權といふ言葉の本質を改めて知つたんぢやないでせうか」。

 勿論、人權思想の根本に潛む危險から眼を逸らすべきではない。だからと言つて、「人權」と名の附くものを全て排除すれば、人權思想のうへに打建てられた現代の法秩序は滅茶苦茶になつて仕舞ふ。例へば日本國憲法第三十一條の定める法定手續の保障、第三十二條の定める裁判を受ける權利等が無くなれば、我々はいつ闇黒裁判で有罪の濡れ衣を着せられたり、私刑で殺されたりするか判らなくなる。アメリカの「訴訟地獄」に見るやうに法治主義にも弊害はあるが、だからと云つて、法治主義を安易に否定すれば、さらに大きな弊害が待つ事は云ふまでもない。

 プライヴァシーの保護は、憲法においては通信の秘密、住居等の不可侵等として規定され、刑法においても通信の秘密や住居を侵す事は犯罪と規定されてゐる。日本が法治國家である以上、正當な理由が無い限り侵してはならない權利である。録音テープを材料に中川長官に辭任を迫つた報道機關や政治家やそれを支持する國民は、目的さへ正しければ法を踏みにじつても好いと考へてゐるのである。野中幹事長は北朝鮮寄りだとて屡々非難されるけれども、「中川スキャンダル」で御粗末な法意識を露呈した日本人が北朝鮮の全體主義を批判する資格は無い。

 無論、中川長官は録音テープを證據に犯罪容疑者として逮捕された譯ではない。官房長官の職を辭しただけであり、國會議員としての身分は保持してゐる。しかし、だからこそ始末に惡いのである。不正な手段で入手された「證據」(と云ふには餘りにも具體的搜査情報に乏しい會話内容であるが)で閣僚が逮捕されたのなら、まだしも贊否を巡る議論が起こる望みがある。だが今の世の中、高々官房長官を辭めたくらゐでは誰も問題にして呉れない。それほど日本國民の法感覺は麻痺してゐるのである。これは中川氏が政治家として有能かどうかと云つた議論とは全く次元の異なる問題である。

 一般國民にとつて、身分の高い政治家を嘲笑したり罵倒したりする以上の痛快事は無い。しかし、政治家に限らず、他人を嘲笑し罵倒したからと云つて、自分自身がその分立派になる譯ではない。一人前の大人ならば、自分と政治家とは所詮「破れ鍋に綴蓋」である事を忘れてはならぬ。しかるに、大半の日本人はそれを忘れて、己が「正義」に醉拂つてゐる。もはや病膏肓に入ると云ふべきであらう。
(平成12年11月10日)

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