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2004年4月30日 (金)

二重國籍は是か

二重國籍は安易に認められない

はじめまして、チューリヒ在住の木村貴と申します。

國籍は權利ばかりでなく義務(納税や兵役等)も伴ふものです。もし私に在日韓國人の友人がゐたら、二重國籍を勸める事にはかなり愼重になると思ひます。韓國と日本の兩方から納税を求められたり、今は日本に兵役の義務が無いからいいですけれども、將來、韓國と日本の兩方から兵役の義務を突きつけられる可能性も絶無とは言へないからです。

勿論、二重國籍が原因でさういふややこしい事態になりさうな場合は、日韓兩國が法的取扱ひを協議するのでせうけれども、いづれにせよ本人にとつて大變面倒なことになります。萬が一、日本と韓國が軍事的に對立でもしたら、二重國籍者が兩方の國民からスパイのやうに白い眼で見られる事は確實でせう。私は、本人がそんな苦境に卷き込まれる危険を冒してまで、二重國籍を勸める勇氣はありません。

現代の國家が二重國籍をなるべく排除しようとするのは、上に述べたやうに、二重國籍が個人の人權をむしろ侵害する可能性が高いからだと思ひます。そして、私もその考へ方を支持します。

再び二重國籍について

皆さん、こんにちは。木村貴@チューリヒです。

議論の際に「あつてはならない」といふ「べき論」を持ち出してはならないと思ひます。特に人の生命がかかはる時には。大地震が神戸を直撃するなど「あつてはならない」。宗教團體が地下鐵でサリンを振りまくなど「あつてはならない」。さういふ「べき論」のおかげで、どれだけ尊い人權(生命、財産等)が侵害されたことでせう。

私は二重國籍の結果生じるかもしれない悲劇を本氣で心配してゐるのですが、それを「デマゴジー」「振りをする」と決め付けられる根據は何でせうか?

私は、現代の國家は「なるべく」二重國籍を排除しようとしてゐる、と書いたのであつて、現實には二重國籍を認める國が多いのは承知してをります。しかしTさん御自身が書かれたやうに、永世中立國のスイスですら、二重國籍を認めないのが今でも原則であり、二重國籍はたとへ件數が多くとも法的にはあくまで例外です。私は、世界からこの原則がすつかり無くなる事はないと思ひます。

世界各國が二重國籍に比較的寛容になれたのは、東西冷戰の終結が一つの理由でせう。しかし民族紛爭や國際テロが多發するやうになれば(現にさうなりつつある)、國籍に對する嚴格主義が再び強まる可能性は大です。まして日本が現在直面する東アジア情勢は、多重國籍に寛容になれる状況ではないと思ひます。

二重國籍問題の基礎知識

木村貴@チューリヒです。二重國籍問題について、國際法上の常識的見解を以下に紹介します。出所は『新版 國際法講義』(波多野里望・小川芳彦編、有斐閣、1993年)です。この記述も「個人の自由を尊重しない意見」とおつしやるでせうか?

國籍付與の原則が國によつて異なることから、同一人が2以上の國籍をもつたり、逆に、全く國籍をもたない人ができたりする。これを國籍の抵觸といふ。(中略)國籍の抵觸はその個人にさまざまの不便と困難をもたらす。重國籍者は(ときに便利な點がないではないが)納税・兵役義務を複數國家から課されることもあり、後で述べる外交保護權の行使においてもとかく紛爭の原因となりがちである。(中略)かうした國籍の抵觸はできるだけ避け、各個人が單一の國籍をもつことが望ましい…(原文は新字新かな)

人間は天使でない

こんにちは。チューリヒの木村貴です。再び反論であります。

Tさんは善意に溢れた方だらうと想像いたします。しかし私は善意を手放しには稱贊できません。たしかレーニンの言葉にこんなのがありました。「地獄への道は善意で敷詰められてゐる」 皮肉な事に、レーニンが信奉した共産主義といふ善意に溢れる思想は、世界のあちこちに「地獄」を現出させてしまつた。

「氣の毒だから國籍をあげよう」といふTさんの善意は理解出來ますが、その先に待ち受ける事態に對し、我々はもう少し臆病になつた方が好いと思ふのです。どういふ事態が起こり得るかはEさんがすでに書かれました。我々は天使でも聖者でもなく、追詰められれば自分と身内だけの安全を願つてしまふ生身の人間です。それを前提に話をしていただきたい。

常識について

木村貴@チューリヒです。

(1)たしかに「学者というのは往々にして実体を知りません」けれども、ちやんと知つてゐるまともな學者も當然ゐます。Tさんが著作を皆さんに勸められた樋口陽一先生はいかがですか? それはともかく、私が紹介した本は大學教科書向けの一般的なもので、好い加減な本ではありません。

(2)學説には「通説はあつても常識は無い」かもしれませんが、學問には常識があります。Tさんの恩師も、私が引用した文章は「常識だ」とおつしやる筈です。これが常識でなければ、現實に直面する國際裁判所の判事が務まる筈がありません。

常識に反する意見を持たれるのはTさんの自由です。

子供の善意

チューリヒの木村貴です。けふは好い天氣です。

政治に「善良な手段」と「善良な結果」の兩方を完璧に求めるのは無理です。それは必ず悲劇に終はるでせう。小説「1984年」で全體主義の恐怖を描いたジョージ・オーウェルはかう喝破してゐます。

「たいていの人間は、選擇と言へば政治的な選擇でさへも、すべて善を選ぶか惡を選ぶかであつて、必要なことは正しいことでもあるのだといふ考へ方を、いまだに脱しきれないでゐる。そんな考へ方は捨てるべきだと思ふ。そんなことは子供の考へることである。政治においては、二つの惡のうち、より小さな方を選ぶだけのことで、時には惡魔か狂人のごとくにふるまふ以外に逃れる方法のないやうな事態もある。」 (「作家とリヴァイアサン」小野協一譯)

二重國籍を認めないことは「惡」かもしれません。しかし認めた結果生じる「惡」よりもましです。軍隊を持つ「惡」も、持たない結果生じる「惡」よりもましだと 私は思ひます。

天使を演じて獸に墮す

こんにちは、チューリヒの木村です。

私もどこで 「地獄への道は善意で敷詰められてゐる」といふ言葉を讀んだか、前後の脈絡がどうだつたか忘れてしまつたのですが、レーニンは、資本家が小手先の社會福祉で勞働者階級の御機嫌を取り、結局は社會の底邊に縛りつけようとした事を批判したのではなかつたかと思ひます。

ひよつとすると違つたかもしれませんが、いづれにせよ、もとの文脈と切り離して味わつても非常に含蓄のある鋭い言葉だと思つたので、紹介しました。わかる方は、「地獄への道は善意で敷詰められてゐる」といふ言葉を見ただけで、苦い眞實を感じ取られるでせう。

苦い眞實とは何か、出所がはつきりしてゐるパスカルの言葉を引いてもう少し御説明しませう。「パンセ」にある文章です。「人間は天使でもなく獸でもない、さうして不幸なことに、天使を演じようとする者は獸を演じる。」

私は、二重國籍問題に關するTさんの善意を疑ひません。しかし、人間には良かれと信じてやつた事が、かえつて悲慘な結果を招く事が往々にしてあります。レーニンのやうなたたかな男でさへ、善意の甘い罠(=共産主義)にはまつたのです。凡人たる我々は己の善意に對しさらに愼重、謙虚にならねばならない。

私やEさんは、二重國籍がいかに悲慘な事態(=地獄)を招きかねないかをTさんに説いた。御自分ひとりが地獄に行かれるのは止めませんが、在日韓國人をはじめとする他の人々、そして日本人を地獄への道連れにすることは止めていただきたい。

Tさんから御覽になれば、私は「惡意」に滿ちた人間かもしれませんが、善意に連れられて地獄に落ちるより、惡意の多い現世にとどまつたはうがましです。善意といふ天使がいかにたやすく殘酷といふ獸に變身し得るか、「なら地獄の方がいい」といふ言葉がはしなくも明らかにしてゐます。やはりパスカルは正しい。

御禮:格言の出典

こんにちは、木村です。 E樣、S樣、格言の出典についていろいろ御教示くださり、 ありがたうございます。

「神を信じない者は奇麗な敷石の上を歩いて行けるが、 その先には地獄の断崖が待っている」 さういふ言葉が聖書外典にあるんですね。勉強になりました。 私はキリスト教徒ではありませんが、聖書には人間の本質に 關する鋭い言葉が多いですね。上の言葉は、人間の限界を わきまえぬ不遜を戒めてゐるんでせうか。また我田引水かな?

取り敢へず御禮まで。

Tさんの罵倒に答へる

こんにちは、木村です。チューリヒは寒いです。 「罵倒」に反論します。 私は前のメールにかう書いた筈です。

>>もとの文脈と切り離して味わつても非常に含蓄のある
>>鋭い言葉だと思つたので、紹介しました。

どうしてもレーニンに絡ませるのがお氣に召さないのなら、 私が考案した言葉と思つていただいても結構です。 しかし出典をはつきりさせた引用でも、噛付かれる とは思ひませんでした。 書いてある場所がそんなに問題なのでせうか。それとも、私が 文章の本意をねぢ曲げて引用したり、パスカルの名をかたつて 都合の好い言葉を捏造したりしてゐるとでも疑つてゐらつしやる のでせうか。私が讀んだ新潮文庫版では引用した斷章は通し番號が「358」 となつてゐます。有名な「考へる葦」の少し後です。

私には「パンセのどこに書いてあるんだ」と詰問しておいて、 御自分は出典も示さず日本語譯も付けず、いきなりフランス語 ですか。學のある方は違ひますね。恐れ入りました。 フランス語が得意でも、パスカルがわかるとは限らないやう です。私は日本語で十分に「天使と獸」の言葉の意味がわかり ますが、Tさんはおわかりになりましたか。

スターリンの肅清で大量の人命が奪はれた事を御存知ない譯ではないでせう。それを「實驗」などといふ 言葉で濟ませるのですか。まさかヒットラーのやつた事も「實驗」とおつしやるんではないでせうね。 日本の過去の「過ち」には嚴しい癖に、ソ聯の過ちには隨分甘いんですね。二重基準といふ奴です。資本主義だつて勿論惡い面はありますが、それと共産主義の犯した惡とは比べ物になりません。

スターリンだつて、自分では「好い事」をしてゐるつもりだつたのですよ。「自分に反對するものは革命の敵である、惡である」といふ信念があつたからこそ、良心の呵責無しに大量殺人が出來たんです。これこそ善意が招いた地獄ではないですか。 それから、共産主義とスターリニズムが無縁のものであるかのやうに書くのはやめてください。

現實をどれだけ分析しようが、二重國籍が將來重大な問題を引き起こす可能性は變りません。ハーグの國際司法裁判所は1955年のノッテボーム事件で、かういふ判決を下してゐます。 國籍が國際的効果を持つ為には、「眞正かつ實効的な」國籍である事が必要である。そう言へるかどうかは、「本人の居住地、利害關係の中心地、家族關係、公的生活への參加、歸屬意識 など」に照らし、嚴しく判斷される。すなはち、日本が在日韓國・朝鮮人やその他の外國人に國籍を 與へても、國際的に通用するとは限らないのです。

何が起こるか。

在日朝鮮人のAさんが念願かなつて日本國籍を取得して、「ああ好かつた」と喜ぶ。ある時、ある外國Bに旅行したら、軍事クーデターが勃發、スパイ容疑で監禁されてしまふ。 日本は外交保護權を發動してAさんを救出しようとするが、B國は拒否。そこで国際司法裁判所に訴えたところ、 「本人の家族關係、歸屬意識等に照らし、眞正の日本國籍と認められない」と保護權を否定されてしまふ。

Aさんのもう一つの國籍元である北朝鮮は救出に動く氣配が無い。Aさんは牢獄で死の恐怖に脅えながら日本を呪ふ。「私は日本國籍があるのに、なぜ助けてくれないのだ」 在日韓國・朝鮮人の間でも反日感情が高まる。

ある日、牢獄の扉越しにB國の役人がかう言ひ放つ。「お前は二重國籍ではないか。ますます怪しい奴だ。じつくり時間をかけて吐かせてやるから覺悟しろ」Aさんは、彼に二重國籍を勸めた日本人の親切さうな顏を絶望とともに思ひ浮かべる…

まづい例かもしれませんが、荒唐無稽でせうか。さうであれば好いと私も思ひます。しかし阪神大震災もオウム事件も、起きる前までは荒唐無稽な話だつたのです。

さて、Tさんは最後に私を「無知」「無知蒙昧」と繰り返し罵倒してゐます。成る程、Tさんはいろいろな知識をお持ちだ。しかし想像力だけは私の方があるやうです。 草々

引用の愚への囘答

こんにちは、木村です。チューリヒは好い天氣でした。でも夜はまだ冷えますね。 Iさんから「もうやめとこうよ」と御提案がありましたが、Tさんのメール「引用の愚、その他」は、私に對するずいぶん 酷い内容でしたので、名誉囘復の爲もう少し續けさせてください。

レーニンについての學術論文發表會ぢやあるまいし、何でそこまでムキになられるんだか。そもそも、「地獄への道…」が假にレーニンの言葉で無かつたら、私の議論にどんな根本的缺陷が生じるんですか。この言葉がレーニンのもので無くつたつて、獨善批判、共産主義批判、二重國籍批判のいづれも成立します。 議論の流れから離れて、「うろ覺えの引用はけしからん」とお怒りになられても、それは失禮ながら「木を見て森を見ず」といふやつです。

世の中の一般書の大半は引用のルール違反を犯してゐる譯ですか。引用する時に、どの頁から引用したかまで書いてある一般書なんてありませんよ。それともメールは本より 嚴しい引用のルールでもあるんですか。それから、いきなり私が「自分勝手に解釋して引用」したと決め附 けてゐらつしやいますね。以下でその證據が出て來なかつたら、これは冤罪事件ですよ、T檢事殿。

『パンセ』はパスカルが死んだ後にばらばらのメモを寄せ集めて作つた本ですから、数種類の異本があります。當然、斷章の番號は本の種類によつて異なり、共通ではありません。 私の新潮文庫版は本文はトゥルヌール版からの譯ですが、斷章の番號は一般になじみ深いブロンシュビック版ださうです。譯者は津田穣。それにしても、うろ覺えの引用を嚴しく咎めるTさんが、「多分」なんて言葉を使つちやあいけませんよ。

憎まれ口は、私の論旨とパスカルの言葉のどこが食ひ違つてゐるか、きちんと論證してからにしてください。「俺は天使のやうに善い事をやるのだ」と思ひ込んでゐる人間が、 結果として他人を悲惨な目に卷き込む「獸」になる。パスカルはかういふ獨善の危險、そして獨善から逃れられない人間の限界を説いたのです。私の論旨とぴつたり一致します。 これは讀解力の問題です。

引用の愚への囘答・續き

木村です。Tさんのメールへの反論の續きです。

Tさんはアウシュビッツも「歴史の實驗」と呼ぶ譯ですね。ユダヤ人團體から文句をつけられたら、「何を言つてゐるの。實驗には責任がないのですか。日本語を知らなすぎる」と 言返す譯ですね。あまり屁理屈をこねると、自分の首を絞めますから注意してください。

「ソ聯の實驗」のおかげで善い事もあつたといふTさんの文章は、明らかにソ聯に肩入れしてゐるではないですか。善かつた事と惡かつた事の収支を見ずに、「善い事もあつた」とだけ言ふのは肩入れです。それなら「戰前の日本は善い事もした」といふ主張も認めな ければ不公平でせう。善い事は共産主義のおかげ、でも惡い事(スターリニズム)は共産主義と關係無いなんて、虫が良すぎませんか。

さて、二重國籍が招きかねない一悲劇について書いた私に對し、 Tさんは延々と別のシナリオを書かれた。内容は要するに、「大丈夫だあ、心配するな」といふ事である。

しかし現實において、全てがかういふ風にうまく運ぶものでせうか。私は「無知蒙昧」なせいか、人の命がかかはる事はなるべく悲觀的に、愼重に考へる習慣があるものですから。Tさんのポジティブ・シン キングを見習ひたいと思ひますが、多分無理でせう。

地獄、天使と獸について補足説明

こんにちは、木村です。「地獄への道は善意の小石で敷詰められてゐる」 「人間は天使を演じようとして獸を演じる」といふ二つの格言を使つて、二重國籍についてのTさんの 意見を批判したのですが、言葉足らずの點がありました。少し補足します。

>御自分ひとりが地獄に行かれるのは止めませんが、
>在日韓國人をはじめとする他の人々、そして日本人を
>地獄への道連れにすることは止めていただきたい。

この文章では、Tさんが主張するやうに日本國籍を無制限に開放したら、 有事の際などに大きな混亂を招く可能性があり危險だといふ事を言ひたかつた。Tさんがもう少しきめ細かく、 平時と有事の場合を分けて國籍付與の條件等を論じてくだされば、私もここまできつい言ひ方はしなかつたでせう。

有事の際の二重國籍者は、運が良ければ兩方または一方の國から保護してもらへるかもしれませんが、運が悪ければ野球の「ポテンヒット」のやうに、どつちからも救つてもらへない危険があります。どこかの外國で暴動や戰爭が起こり、死ぬ思ひで韓國大使館にたどりついたら、「あなたは日本の國籍があるん だから、日本大使館に行きなさい。ここは韓國人で滿員です」とドアを閉ぢられてしまふ恐れがあるわけです。こういふ状況は私には「地獄」に見えます。

なほ、私が「善意が導く地獄」の對照として考へてゐるのは「惡意に滿ちた現世」です。「天國」ではありません。この世に天國を求める事は不可能であり、無理に求めようとすれば地獄に陷ると思ひます。 それが共産主義の歴史的教訓です。

それから、私はかう書きました。

>善意といふ天使がいかにたやすく殘酷といふ獸に變身し
>得るか、「なら地獄の方がいい」といふ言葉がはしなくも
>明らかにしてゐます。やはりパスカルは正しい。

Tさんは、さほど深い意味を持たせず「地獄の方がいい」とお書きになつたのでせう。しかし私に言はせれば、 「地獄の方がいい」などといふ投げやりな言葉が簡單に出てきてしまふのは、二重國籍がはらむ危険を過小評価してゐるからです。「地獄など大した事は無い」と高をくくつてゐる からです。危險にどう對處するか具體的な案を出さないまま、ただ「國籍を與へろ」とだけ主張するのは、無責任です。そんな無責任な思考が、輕い気持ちで書いた「なら地獄の方がいい」といふ言葉に端的に表れてゐると感じたのです。

「自分は善意でやつてゐるのだ」と信じてゐる人間が、「地獄でもいい」などと無責任な事を書く「獸」にな つてしまふ。それはパスカルが豫言した通りの事態ではないか--私はさう言ひたかつたのです。

Re:二重國籍資料とパンセ

こんにちは、木村です。T樣、二重國籍について資料の紹介、ありがたうございます。

しかしながら、かういふ御紹介のされ方では、あたかも上記の國々が無條件で二重國籍を認めるかのやうな誤解を招くのではないでせうか。以前書いたやうに、多くの國が現實には例外的に二重國籍を認めてゐることは、私も承知してゐます。したがつて、二重國籍を認める際の條件こそが、今囘の議論において本質的に重要な參考情報である筈です。

國籍を取得する際の條件だけでなく、取得した後の權利の制約も重要な點です。二重國籍を認めるアメリカ、イギリス、オーストラリアなどで二重國籍者の參政權、兵役の義務、兵役に就く權利、公務員への採用の可否、採用後の昇進の限度、政府や自治體への情報公開請求權…等々が平時でどう制限されてゐるか、さらに有事の際はどうなるか、さうした現實を踏まへて、日本でどうするかを議論すべきです。いづれ自分で調べてみます。

運が良かつた人の例をいくら出しても駄目なんです。裏目に出た場合を心配してこそ、本當の善意でせう。

次に、「パンセ」について。

細かい譯の違ひにこだはり過ぎたら、外國語で書かれた文章について何も議論出來なくなつて仕舞ひますよ。少なくも上記の二つの譯のどちらを選んだつて、今囘の議論をするうへで本質的な差が生じるとは思へません。細かい事は專門の學者に任せて、我々はそれなりに定評のある翻譯を信頼して自分にとつて本質的な部分だけに氣を 配れば十分ではないでせうか。

國籍剥奪はやむを得なかつた

G樣、皆様、こんにちは、木村です。

日本が敗戰後、朝鮮人の日本國籍を「取り上げた」のは當時としてはやむを得なかつたと思ひます。といふよりも、朝鮮人を「日本國民」として縛り續ける事は、當時の國際輿論から見て無理だつたのではないでせうか。

朝鮮人から見れば、大日本帝國は祖國を植民地支配していた憎い國です。そんな國の國籍なんて、一刻も早く返上したい、あるいは返上すべきだといふ意見が多かつた筈です。アメリカをはじめ聯合國だつて、「ファシスト國家」である日本が朝鮮民族を國籍といふ形で支配し續けることは許せなかつたのではないでせうか。

日本の朝鮮支配から50年以上もたち、今では日本、韓國、北朝鮮といふ別々の國になつてゐるのですから、いくら本人が希望しても單純に「ぢやあ國籍をあげます」とはいかないでせう。 現在の事情を考慮しないといけません。

今囘はあまり議論出來なかったのですが、例へば參政權や公務員資格の問題があります。二重國籍の在日韓國人にも無制限に參政權や公務員資格を付與すべきでせうか? 日本人と同等の國籍を與へる以上、制限は政治判斷として難しいと思ひます。さうすると、韓國國籍を持つ 總理大臣、防衞廳長官、防衞事務次官、大使などが誕生する可能性も絶無ではない。 そこまで地位が上でない政治家、官僚なら實現の可能性はもつと大きいでせう。日本と韓國の政治的、軍事的利益が對立した場合、彼等は日本の國益を守つて行動してくれるでせうか。

御存知のやうに、最近の自治體は日本國籍が無くても職員になれる道を開きつつある。私は正直言つて危惧を感じます。在日外國人が惡人だからではない。むしろ誠實な人であればあるほど、 ぎりぎりの局面では祖國の利益を優先するだろうからです。

以上のやうな現實を踏まへたうへで、在日韓國人が不當な扱ひを受けないやうに議論することは大事だと私も思ひます。

私は「パスカルやレーニンはかう言つてゐる。だから私は正しい」と書いたのではありません。「私はかう考へる。そしてパスカルやレーニンもかう言つてゐる」と、自分の意見をまづ述べたうへで、 飽くまで補強材料として「著名な方」の意見を引いたまでです。その後は、Tさんの「文獻批判」にお答へしただけです。Tさんも私の意見が氣に食はないのでしたら、直接「木村の意見はここがをかしい」と論理的に攻撃してくだされば好かつたのにと思ひます。

今後ともよろしくお願ひします。「舊假名遣」だらうと、「新假名遣」だらうと、筋の通つた 文章を書かれる人が偉いと私は思ひます。

Re:二重國籍、またはスイス・メイルの衰退

Gさん、みなさん、こんにちは。木村です。チューリヒは何だかまた寒くなりました。

韓國で在日韓國人に對する差別がひどいといふ話は知つてゐます。 それなのに、日本の差別反對團體が韓國人の差別意識を糾弾したといふ話は聞いたことがありません。何の爲に運動してゐるのだらうかと思ひます。

それはともかく、外國の方と結婚し、お子樣を育てられる御苦勞は竝み大抵で はないと推察いたします。私が二重國籍の議論で言ひたかつたのは、二重國籍を無條件に認めてしまふと、他人に迷惑を及ぼし、本人も結局は不幸に陷る可能性が大きいといふ事です。「本人が求めてゐるのだから、國籍をやればいいぢやないか」といふ考へ方は、少し樂觀的すぎると思ふのです。

しやうがないから我慢しろとは申しません。二重國籍を認めるとしたら、その條件をまづきちんと考へるべきだと思ひます。私は國籍問題の專門家ではないので、「具體的な條件はかうしろ」といふ提言をする能力はありません。具體策は信頼出來る專門家に任せたい。 私のやうな素人は、原理原則の議論にとどまるべきだと思ひます。話題を原理原則に絞つても、ML上の議論としては取り敢へず有益ではないでせうか。

Re:Nottebohm 事件

こんにちは。チューリヒの木村です。T樣、ノッテボーム事件について直接判決文を御覽になつた由、 お疲れ樣でした。以下の結論部分についてコメントいたします。

裁判の判決で少數意見が出るのは別段珍しくありません。 少數意見は學問上の參考にはなりますが、我々が現實問題を考へる時には、多數意見を重視するべきでせう。 現實の裁判の勝ち負けは多數意見で決まるのですから。

ノッテボーム氏がユダヤ人かどうか知りませんが、どういふ「特殊」事情があらうと、いやしくも公的な裁判所が正式な判決として発表した以上、その重みに變はりはありません。裁判沙汰になる事件なんて、多かれ少なかれ、どれも「特殊」な事情を抱えてゐるものです。 ノッテボーム事件判決で示された裁判所の考へ方(ひらたく言へば、本當に生活してもゐない國の國籍を取得しても、國際社會では眞の國籍として認められないといふ事)は、現在でも生きてゐます。國際法の教科書を一册お讀みになれば分かります。

日本國籍がある以上、日本が保護しなければならないのは當然です。私はそんな事を言つてゐるのではありません。日本が保護したいと思つても、その人が二重國籍であるがゆゑに、 保護出來ない、或いは保護するまでに非常に時間がかかる場合を心配してゐるのです。

「如何なる国も日本の庇護を断る理由は国際法上まったくないことがあきらかです。」とお書きになつてゐますが、假に韓國と日本とが直接或いは間接に軍事的に對立した場合でも、さう言ひきれるでせうか。現に、第二次大戦で對立したグアテマラとリヒテンシュタインは、 ノッテボーム氏の國籍を巡つて對立したではありませんか。「庇護を斷」られる可能性はあるのです。

私はやはり、國籍は原則として一つのほうが好ましいと思ひます。原則ですから例外を認めるのはやぶさかでありません。ただし、その場合も明確な條件を附けるべきだと思ひます。

T樣は、二重國籍を認める條件、認めた後の條件(選擧權、政治家に立候補する權利、公務員になる權利、公務員になつた後の昇進の限度…など)について、どうお考へでせうか? それでは、また。


(メーリングリスト「スイス日本サイバーグループ(SJCG)」への投稿。投稿時期は平成12年2月頃。平成12年3月24日再録)

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