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2004年4月30日 (金)

必ずや名を正さんか

白川静 投稿日 12月4日(土) 投稿者 木村貴

はじめまして。最近掲示板の樂しみを覺えた男です。よろしくお願ひします。日本經濟新聞文化面の連載「私の履歴書」に、今月は立命舘大學名誉教授で漢字學者の白川静さんが登場され、愛讀してゐます。ご存知の方も多いと思ひますが、白川さんは支那古代文字の研究をもとに、從來の通念を覆す極めて説得力のある漢字の字源説を唱へてゐる人です。

曰く、「名」の上部の「夕」は夕刻の夕ではなく、祭肉の形である。下部の「口」は物を言ふ口ではなく、祖靈に捧げる祝詞を入れた器である。すなはち「名」とは、祭肉を供へ祝詞を奏して、命名の儀禮を行ふ意である。生まれた子はこれによつてはじめて家族、氏族の一員としての資格が與へられる。從來唱へられた「互いの顏がさだかに見えない夕刻には口で名を名乗る」といふ説は俗説である…。

漢字の成り立ちから、我々は原始の人々の習俗や宗教觀を學ぶことが出來る。漢字を不合理に簡略化すれば、始祖との精神的對話ができなくなる。白川さんは戰後の字體改變を強く批判してゐます。白川さんの「漢字百話」(中公新書)などをお讀みで ない方には強くお勧めします。

さう言へば 投稿日 12月4日(土) 投稿者 木村貴

白川さんの「私の履歴書」と同じ日經の文化面に、「搖れるニホンゴ」といふ連載があつて、第4囘に國語問題協議會の創立四十周年記念講演會の事が出てゐましたね(ほんのちよつとですが)。新JIS規格の話なども紹介してありました。最終囘の第5囘は、加藤秀俊、紀田順一郎両氏へのインタビューでしたが、そろひもそろつて、「外國人にわかりやすい日本語にすべし」といふ愚論でがつかりしました。歴史的假名假や正漢字體を復活する提言などは全くなし。

もしかすると、「外國人にわかりやすい日本語」とは、論理的に優れる正統表記を指すのかな? いや、さうではなさそうだ。加藤さんはともかく、紀田さんは書物に關する著作もたくさんあつて、國語のことをもつと深く考へてゐる人かと思つてゐましたが…。

文學の二つの役目 投稿日 12月5日(日) 投稿者 木村貴

アーノルド・ベネットが『文學趣味』(山内義雄譯、岩波文庫)でかう書いてゐました。文學は大小二つの役目を持つ。一つは、「一人の人間が立派に生き所を、その後に續いて一萬人の人間が立派に生きられるやうに」する手段。それより小さな役目は、「一時的に微かな歡びを與へて、愉快に時を過させるといふ役目」である。そして、「多數の人達は(普通讀書家と呼ばれる人達も少なからずこの中に含まれてゐるのであるが)文學のこの小さい方の役目のみしか利用してゐない。(中略)彼等は文學を、ゴルフや、ブリッヂや、催眠劑と同樣に心得てゐるのである」。

現在の日本では、紀田さんのやうに本を書く側も、讀者の側も、文學の大きな役目には關心があまりないやうです。「活字中毒者」なんぞといふ妙な言葉の流行もさうした風潮と無縁ではないと思ひます。

木村さんへ 投稿日 12月6日(月) 投稿者 青方の中村

おつしやる通りですね。であるから、文學は政治に劣るものでは決してないといふ事になる。言論もまた然り。

木村さんも是非、ホームページをお作り下さい。

文學の小さな役目 投稿日 12月8日(水) 投稿者 木村貴

念の為に言い添へますと、「文學の小さな役目」を私は否定してゐる譯ではありません。ジョージ・オーウェルも書いてゐるやうに、「よい惡書」(すぐれた通俗書)を讀む樂しみは格別です。江戸川亂歩や夢野久作や結城昌治や、そしてあれやこれやの漫畫(漫畫は「文學」ではないでせうけれども)のない讀書生活はどんなに味氣ないことでせう。

木村さんへ 投稿日 12月8日(水) 投稿者 青方の中村

ところで木村さん、私が話掛けてゐるのにあなたは何故、無視するのかな。

★この頃、掲示板での遣り取りの呼吸をまだ飮み込んでゐませんでした。青方の中村さん(「電腦正統記」の中村義勝さん)には慌ててメールでお詫び申し上げましたが、今となつては懷かしい思ひ出であります。當時は、いやあ、正直恐かつたです。[木村追記]

野獸死すべし 投稿日 12月12日(日) 投稿者 木村貴

ニコラス・ブレイクの名作探偵小説"THE BEAST MUST DIE"を「野獸死すべし」と譯したのは江戸川亂歩ださうですね。大藪春彦の同名の小説はそれを拜借したもの。ブレイク(英國桂冠詩人セシル・デイ・ルイスの筆名)はこの題名を直接にはブラームスの「四つの嚴粛な歌」から取つてゐて、ブラームスの歌の歌詞は舊約聖書の「傳道の書」の文句を言ひ替へたものださうです。大藪春彦がブラームスや聖書とつながつてゐるとは意外でした。それにしても、文語が滅んでから、映畫も小説もいい題名が少なくなりました。

精神の貴族たれ 投稿日 12月15日(水) 投稿者 木村貴

正統表記で書く理由。

  1. 合理的である。
  2. 美しい。
  3. 母親が教へてくれた表記だから。母乳を選べない我々が何故言葉 を選り好みできようか。

上の三つの理由のうちどれか一つなのか、すべて正しいのか、それとも互ひに矛盾するのか。正直、私はよくわかつてゐない。野嵜さんのおつしやるやうに、「理想主義」と言つたはうが一番いいのかもしれません。精神の貴族たれ、と言ひたい氣もします。氣取りすぎでせうか。

母が教へた言葉 投稿日 12月15日(水) 投稿者 木村貴

續けて濟みません。三番目の理由は松原正先生が書いてをられたことです。私の母が教へてくれたのは「現代かなづかい」でした。だからと言つて親不孝ではないですよね。

縱書き 投稿日 12月15日(水) 投稿者 木村貴

中村さん、縱書きが簡單にできるやうになると本當にいいですね。私は字は下手糞ですが、書道作品を眺めるのは好きです。横書きでは、漢字・假名が躍動する美しさは表現出來ない。日本の書物の大部分が縱書きであることからもわかるやうに、讀むのも縱書きのはうが讀みやすい。縱書きの文化を守らなければならない。しかし今の日本は、政府が率先して横書きを推進してゐますね。數字の多い「經濟白書」ならまだしも、たいていの白書類が横書きなのはどういふ譯なのでせうか。

(「國語問題研究會http://web1.tinet-i.ne.jp/user/sjun/(現在消滅)」掲示板より。この掲示板への初投稿を含む平成11年分)

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コメント

突然、失禮致します。
國語問題研究會は名稱を改め「ある慷慨の士の記録」として再掲致しましたので、お知らせ致します。
今後充實を圖つて參りたいと思つてをりますので
、ご指導の程宜敷お願ひ致します。

投稿: 慷慨の士 | 2005年1月30日 (日) 13時59分

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