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2004年4月30日 (金)

假名遣はファッションか

アナクロは惡にあらず

Tさん、皆さん、こんにちは。木村貴@チューリヒです。 以下、Tさんの御意見に反論を試みます。

「舊假名遣ひ」はTさんから御覽になれば「アナクロ」かもしれませんが、「アナクロ」は必ずしも惡ではありません。スイスに長く滯在されたTさんなら御存知の通り、スイスにはレートロマンシュ語の保存といふ、とんでもない「アナクロ」に懸命に取り組んでゐる人達がゐます。私は彼らを立派だと思ひます。私は戰後の國語改革によつて滅ぼされようとしてゐる「舊假名遣ひ」を守りたいと願つてゐます。

假名遣はファッションか

Tさん、皆さん、こんにちは。チューリヒの木村貴です。Tさんの御意見に對し再び反論であります。

「二義的」な事なら最初から何もおつしやらなければ良いものを。それにしても、歴史的假名遣ひで書く人間だけに作家竝の名文を求めるのはちと不公平ではありますまいか。さういふ要求が正當ならば、私からは、「現代かなづかい」で書かれるTさんに、例へば井上ひさし竝の文章を要求いたしませう。

「歴史的假名遣ひなんぞ止めて仕舞へ」といふ暴論は實は明治時代からあつたのですが、森鴎外はさうした考へ方を嚴しく批判いたしました。それが「仮名遣意見」といふ文章です。鴎外がお好きな筈のTさんは、鴎外はたかが「ファッション」を守るためにこの文章を書いたとおつしやるのでせうか。

荷風がお手本

チューリヒの木村貴です。けふは好い天氣です。Tさん、御返事ありがたうございます。

「お手本は荷風」ならば、Tさんは歴史的假名遣ひで書くべきです。荷風は自分の文章に誇りを持つてゐました。寄稿を求めてきた新聞社が「紙面の都合で文章が多少伸縮するのは我慢してくれ」と言つた事に大變腹を立てたほどです。「これ人の文を把りて濫りに添削改竄する事を公言するものならずや。無禮これより甚だしきはなし」(『斷腸亭日乘』)文章を削られるだけでも屈辱と感じた荷風は、作品を全面的に「現代かなづかい」に改竄されてさぞ無念でせう。荷風をお手本にされるのなら、まづ荷風が書いた表現方法を尊重すべきです。

「大多數の人々」と文化の死

チューリヒの木村です。本筋に關係無い話ばかりで御免なさい。Tさん、御返事ありがたうございます。

「大多數の人々にとつてわづらはしい」と云ふ理由で文化を捨てる人が増えれば、その文化は確實に滅びます。文化は政治や經濟とは違ふ。時には「大多數の人々」の都合に逆らふ事も必要です。文化は權力の壓力だけで滅ぶものでは無い。むしろ國民の無關心、利便を優先する風潮が文化衰亡を招くのです。

Tさん、そしてMLの皆さんに誤解の無いやうお斷りしておきますが、私は「現代假名遣ひで書いた文章は中身も駄目だ」などと短絡的な事を主張してゐる譯ではありません。

私が言ひたいのは、以下のやうな事です。

  1. 國語の「お手本」は合理的であるべきだ。
  2. 今、日本政府が定めてゐる「現代假名遣ひ」は「歴史的假名遣ひ」に比べて不合理な點が多い。漢字の使用制限や字體改變も不合理である。「お手本」としては不適當である。
  3. 政府でも學會でも好いから、きちんとした國語の「お手本」を定めるべきだ。國語教育はこの「お手本」を身につける事を目標とする。
  4. しかし國民は「お手本」と違ふ書き方で手紙を出したり出版したりするのは自由である。(日本は全體主義ぢやないので當り前ですが、念の爲)
  5. 國の「お手本」が好い加減な現在は、自力で歴史的假名遣ひ・正式な漢字を勉強して身につける事を皆に勸める。勿論、自分でも實行する。
  6. あくまで「勸める」のであつて、強制ではない。(これも私は文部大臣 ぢやないので當り前ですが、念の爲)

偉さうな事を書きましたが、私も歴史的假名遣ひ・正字體で書けるのはプライベートの時だけです。Tさんの鴎外「假名遣意見」の御感想については、あらためて。

多數者は常に正しいか

こんにちは、チューリヒの木村です。Tさん、森鴎外の「假名遣意見」をわざわざお讀みくださり、御感想をお書きいただき、ありがたうございます。しかし失禮ながら、誤解あるいは曲解されてをられる部分があるやうにお見受けいたします。

たしかに鴎外は「初め誤りから生じましても、(中略)時代を経て古びが着いて自然に新しい國語のやうになつたと云ふ場合には、無論それを取るべきであります」と書いてゐます。私も鴎外の柔軟な態度に贊成です。しかし現代假名遣は、「自然に」出來たものではありません。終戰直後の「戰前のものは何でも惡い」と云ふ風潮に便乘して、文部省が國民による時間を掛けた議論も拔きに定めたものです。

しかも現代假名遣は、

  1. 「發音に合せる」と言ひながら、「私わ男です」「玉お投げる」と 書くのは間違ひと言ふ。
  2. 「むつかしい」は好いが、なぜか「むづかしい」は駄目で、「むずかしい」と書かなければならない。
  3. 「膝を突く」は「ひざをつく」なのに、「跪く」は「ひざまずく」と書けと言ふ。

…等々、多くの不合理があります。鴎外がいくら太つ腹でも、國語學上の裏付けを持つ歴史的假名遣を捨て、拙速で造つた現代假名遣を取るとは思へません。

上に書いた通り、鴎外といふ男はそんな輕薄な事はしないでせう。Tさんは鴎外を「合理的な人」と襃めてゐますが、時間がたつたといふだけで、不合理な假名遣を國語の手本として認める人が「合理的」でせうか。「付和雷同的」「大勢追隨的」と呼ぶべきでせう。

假名遣意見」の中で、鴎外はかう書いてゐるではありませんか。「本居先生が今在つたならば、必ずや國民に假名遣を教へようとしただらうと思ひます」 假名遣の研究に精神を注いだ本居宣長への尊敬を込めて、鴎外はかう語りました。鴎外がもし生きていたなら、宣長の靈に恥ぢないやう、正しい國語表記の復權に努めた事でせう。

Tさんは、歴史的假名遣や正漢字は「大多數の人々に煩はしい」とお書きになりましたね。鴎外はかう書きました。その言葉を最後に引きます。私は鴎外に贊成です。

兔に角多數者の用ゐる者に限つて承認すると云ふ論には同意しませぬ

(メーリングリスト「スイス日本サイバーグループ(SJCG)」への投稿。投稿時期は平成12年2月頃。平成12年3月24日再録)

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