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2004年4月29日 (木)

表記變更は公正な慣行である

漢字の略字體・「現代かなづかい」(新假名遣)から正漢字・正假名遣への表記變更は、著作物の世界において公正な慣行であると、私は考へる。以下、著述家別に實例を擧げつつ、論を展開したい。手許に參照出來る資料が乏しいのが泣きどころだが、その範圍内でも何とかなるであらう。なほ、實例として擧げた文の表記はいづれも原文のままである。

小林秀雄

小林氏は昭和期を代表する文藝評論家。私は舊版の『新訂 小林秀雄全集』(新潮社)のうち三册、現在刊行中の『小林秀雄全集』(同)のうち一册だけを持つ。その中から探した結果、以下の例を得た。

●隨筆「季」(昭和37年11月初出)中に、數學者・岡潔氏の「春宵十話」を正字正假名で引用。

數學に關する私達の通念にとつては意外な事だが、數といふものを考へ拔いたこの思想家の言ふところを信ずるなら、「職業にたとへれば、數學に最も近いのは、百姓」なのである。(小林秀雄「李」 『小林秀雄全集』第十二卷)

私が所有する岡潔『春宵十話』(角川文庫、昭和45年4月3版)は、上記の引用箇所を含め、すべて略字新假名で書かれてゐる。但し小林氏が引用した「春宵十話」は本にまとまる前、毎日新聞紙上に掲載されたものであり、私は縮刷版等でその原文を確かめてはゐない。だが、(1)掲載時期が新聞に「現代かなづかい」が普及した後の昭和37年春である事(2)『春宵十話』の「はしがき」によると同書は毎日新聞記者の聞き書きである事(3)角川文庫版に表記變更の斷り書きがない事――の3點から推測するに、新聞連載時の原文も略字新假名で表記されてゐたと考へて間違ひあるまい。

この他、未確認のものが二例ある。參考として記すので、情報をお持ちの方は御教示くださると幸ひである。

▲隨筆「青年と老年」(昭和38年1月初出、上掲『全集』第十二卷所收)中で、堀江謙一氏の著書名を「太平洋ひとりぼつち」と表記。私の記憶によると原表記では『太平洋ひとりぼっち』と「つ」の字は小さかつた筈だが、確認出來ない。

▲隨筆「感想」(初出時期不明、『新訂 全集』第九卷所收)において、ディズニー映畫の題名を『沙漠は生きてゐる』と正假名で表記した箇所があつたが、もとの表記を確認出來ない。日本公開が昭和30年1月(双葉十三郎『西洋シネマ大系 ぼくの採点表Ⅰ』による)である事からすると、おそらく新假名遣の「生きている」であつたらうと想像されるが、斷定は出來ない。

一方、小林氏が「略字新假名」の文章・言葉をそのまま引用した例は皆無だつた。

私の探した狹い範圍では實例が少なかつたが、これは小林氏が元來、現代の書物や新聞からの引用を滅多にしない爲でもある。いづれにせよ、私が直接見出した限りの小林氏の略字新假名遣からの引用は、確かなものは僅か一つだが、正字正假名に改められてゐる。小林氏の文章作法に對する嚴しい姿勢から想像するに、表記の方針は一貫してゐる筈であり、全集をすべて當たれば、實例がさらに發見出來るであらう。それらが現代日本最大の文藝批評家による判斷であり、大手出版社から堂々と刊行され續けており、表記變更の適法性が(少なくも私の知る限り)何ら問題視されてゐない事實は、表記變更が慣行として認められてゐる有力な證左である。

福田恆存

福田氏は戰後活躍した評論家・劇作家・飜譯家。私は『福田恆存全集』(文藝春秋)全八卷を所有。

福田氏の生前に編まれたこの全集の表記の最大特色は、引用部分を含め、漢字はすべて正字體で表記されてゐる事である。實例をひとつだけ擧げる。

「公害除去に乘出す積りだが」と書いたが、その渡部[昇一]氏はかう言つてゐる。

渡部 清水さんの商人の血は意外に大きいと思うよ。商人というのは、賣れるのなら、去年反物屋をやっていたのが今年ブティックをやったっていっこうに構わないと考える。それはむしろ自分の才覺のあらわれなんだ。

「血は」「大きい」といふのも變な表現だが、よくも、まあ、こんなことが言へたものだ。(「問ひ質したき事ども」 昭和56年4月初出、『全集』第七卷所收。傍點省略、渡部氏の名は木村補足)

福田氏が引いてゐる渡部氏の發言は、雜誌「諸君!」昭和55年12月號掲載の對談からである。この對談自體の原文を私は見てゐないが、「諸君!」の編輯方針からして、原文の漢字が略字體であつたのは確實である。それが福田氏の文章では御覽のやうにすべて正漢字に變更されてゐる。

なほ上の引用でも判るが、福田氏は、新假名遣の文章は正假名遣に直さず、そのまま引用してゐる。これはこれで福田氏の方針として尊重したい。大出版社が發行する全集八卷にわたつて全面的な漢字の字體變更が實行され、堂々と刊行され續けてゐる事實だけでも、著作物の世界において表記改變が慣行として容認されてゐる雄辯な證左であると私は考へる。

松原 正

松原氏は福田恆存氏の門下生で、英文學者・評論家。早稻田大學名譽教授。

松原氏は、自著における正字正假名への表記變更は最も徹底してゐる。著作での引用は、ほぼ例外なく、正字正假名に統一されてゐる。大江健三郎氏の小説『治療塔惑星』を批評した文章から一例を擧げる。

すると、天才的に察しのよい律子が、間髮を容れず下河邊に電話する。そしてかう言ふ。

これから五十時間、記憶金屬の運動が續く以上、その間ずつとマルス船長は苦しまなければならない! その苦しみのきはまりに死んでしまふほかないなら、できるだけ早く殺してやるのがいいと思ふ! 下河邊さん、下河邊さん、早く來て、苦しんでゐるマルス船長を殺してください……

もともと荒唐無稽の話なのだから、高が飼猫の苦痛ではないかとて、律子を批判するのは無意味である。同樣に、高が飼猫の事で下河邊を煩はせる非常を論つても仕樣が無い。(『文學と政治主義』第一章。地球社、平成5年刊)

周知の通り、大江氏は作品を略字新假名遣で執筆してゐる。『文學と政治主義』は、小林福田兩氏の著作ほどの部數ではないとは云へ、現在でも堂々と刊行されてゐるし、大江氏との間で表記變更を巡り法的問題が生じたと云ふ話も寡聞にして知らぬ。「權利の上に眠る者は守られぬ」と云ふ法諺があるが、己が著作の表記が改變されて數年にわたり刊行されてゐるのに、それに對して斷乎たる對抗措置を取らぬのは、改變を容認したものとみなされる可能性が強くならう。

或は、すでに法の世界では表記變更が正當な權利として認められてゐるがゆゑに、大江氏に限らず、誰も無駄な訴訟沙汰なんぞ起さぬのかもしれぬ。そもそも、引用における表記變更が違法と云ふ事になれば、その類推解釋から、現在出版界で横行してゐる近代日本文學や思想書の略字新假名への表記變更がすべて「クロ」となる可能性が濃厚になるわけで、裁判所がそのやうな混亂を招く判斷を下すとは、「ブルジョワ支配」の國家にはあり得ない事である。

小西甚一

大著『日本文藝史』(講談社)で知られる國文學者。筑波大學名譽教授。

出版物の表記は基本的に略字新假名遣だが、『俳句の世界』(講談社學術文庫、平成7年刊)において、固有名詞をすべて正漢字で表記する方針を貫いてゐる。古典の題名や人名はもともと正漢字だから參考にならないが、現代の著作名・人名も正漢字に改めてある。例へば、「學術文庫版あとがき」において、雜誌「諸君!」昭和56年6月號に掲載された谷澤永一氏の書評の題名を「俳諧と俳句の斷絶を説く史觀」と正漢字で表記してゐる。


もともと現代において正字正假名で執筆する著述家が僅かであるから、用例の絶體數が少ないのは當然である。少ない例であつても、長期間にわたり出版・販賣が認められ、表記改變に對する著作權法上などの法的爭ひも生じなかつたと云ふ事實が重要なのである。逆に云へば、例が僅かであるからこそ、その僅かな例を貴重な先例として尊重すべきであるし、法的判斷の場でも當然尊重せられるであらう。

以上から判斷して、略字・新假名から正字・正假名への變更は慣行として定着してゐると私は考へる。さらに云へば、表記變更は民法上の公序良俗に反する疑ひもなく、文章の意味を歪めると云つた實質的な害惡もない。いや、國の最高法規たる憲法の保證する言論・表現の自由からは寧ろ積極的に認められて當然である。表記變更の慣行は、單なる慣行にとどまらず、公正な慣行と云ふべきである。

ここからが大事なところだが、私は、表記改變だけが公正な慣行として認められてゐると主張してゐるのではない。云ふ迄もなく、原文の表記のまま引用する事も公正な慣行として認められてゐる。つまり、著作物の世界においては、(A)原文のままの引用(B)表記を變更したうへでの引用――の雙方ともが公正な慣行として認められてゐるのだ。集合理論で云へば、公正な慣行の集合は「A∪B(AまたはB)」と表現出來よう。AとBとは排除の關係ではない。それをAかBかどちらか一方に決めようとする硬直した考へ方は、福田恆存氏の言葉を藉りれば「統制狂」の發想であり、自由で豐かな言論活動の敵である。

インターネット上の一般個人の引用においても、當然、歴史ある出版界の慣行が準用されるべきものと考へる。ここから先は半分冗談だが、ウェブにおける正字正假名への表記變更を、さらに磐石の慣行として定着させるためには、正字正假名派の人間が略字新假名の文章を積極的に引用し、改變の實例を積上げて行く事が效果的である。それゆゑ私は今後、引用における表記變更をこれまで以上に大々的に實行して行く腹を固めた。

(平成13年5月26日)

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