大西巨人氏の三島評
『春秋の花』(光文社文庫)の96頁で、大西巨人氏は三島由紀夫の短篇小説『眞夏の死』から以下の件りを紹介してゐる。(三島に限らず、同書の引用は原文通りの歴史的假名遣ひ)
跳ねてゐる魚は、何か烈しい歡喜に醉ひしれてゐるやうに思はれる。朝子は自分の不幸が不當な氣がした。
そして、大西氏は三島をかう評する。
三島の小説文章は、往往にして非眞實であり品低いが、また三島は、時として凡百の作者が着目しない(着目し得ない)人世の瞬間的實相に着目して凡百の作者が書かない(書き得ない)品高い何行かを書いた。三島の作は、もつぱらそこに存在理由を持つ。
大西氏は、相手が「右翼」の三島でも、評價すべき點は明確に評價してゐる。實は、『春秋の花』の初出誌は、かの『週刊金曜日』なのである。大西氏は、雜誌のカラーにはお構ひなしに(?)、三島のみならず、後醍醐天皇、『葉隱』、吉田松陰、小林秀雄などの詩文をも取上げ、積極的に評價してゐる。
なほ、大西氏は評論「觀念的發想の陷穽」(みすず書房刊「文選」第2卷所收)において、三島の小説『奔馬』を俎上に載せ、その小説作法を具體的に批判してゐる。(平成13年1月7日)
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