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2004年4月29日 (木)

箴言集 ウィトゲンシュタイン

 もし哲學が日常生活の重要問題について君の考へる力を進歩させないのなら、(中略)哲學を勉強するなんて無意味ぢやないか。――ウィトゲンシュタイン
(ノーマン・マルコム『ウィトゲンシュタイン――天才哲學者の思ひ出』 板坂元譯。平凡社ライブラリー、41-42頁)

 私が大學生になつた昭和五十年代後半、大學生協の書籍コーナーは所謂ポストモダン思想に占據されてゐた。ラカン、クリステヴァ、ボードリヤール、ドゥルーズとガタリと云つた人々の著作を好奇心から手に取つてみて、驚いた。何が書いてあるのか全然理解出來ないのである。いや、文意は多少辿れない事もないが、結局のところ、著者が何を訴へたいのかが丸切り判らないのである。彼らの思想を下敷に書いたと覺しき淺田彰氏の『構造と力』も同樣であつた。
 私は、海外のポストモダン思想家の本も、『構造と力』も買はなかつたが、それらの本はよく賣れてゐるやうだつた。世間は廣い、さすが東京の大學と云ふ所は、田舍出の私なんぞより頭の良い連中が山ほどゐるのだなあと、情けない思ひをしたものである。私には理解出來なくとも、あれだけ皆が竸つて讀む本は、きつと立派な本に違ひない。そして立派な本を皆があれだけ竸つて讀めば、日本人の知的水準は大きく向上するに違ひない。どう云ふ巡り合はせか知らぬが、すごい時代に生れたものだ。私はさう思つた。
 あれから十數年。どう云ふ譯か、日本人の知的水準は全然向上しなかつた。小林秀雄、田中美知太郎、福田恆存、村松剛、葦津珍彦と云つた眞の知識人は相次いで世を去つたが、彼らを凌ぐやうな知識人は出てこない。松原正氏の著作はベストセラーにならないし、旬刊だつた『月曜評論』誌は月刊になつてしまつた。日本政府は灣岸戰爭で金だけ出して馬鹿にされたし、日本の文學者は灣岸戰爭に抗議するとて聲明を發表した。今やアメリカでは、かつて灣岸戰爭を指揮した將軍が國務長官に就任したのだが、批判した文學者はゐるのだらうか。
 ポストモダン思想に限らず、西洋思想は所詮、日本人にとつて他人の思想である。我々は西洋の思想から學ばねばならないが、學ぶ際には、それが所詮は他人の思想である事を肝に銘じておかねばならない。その思想が、西洋人ならぬ自分自身にとつてどのやうな意味を持つのかを、常に自問自答しなければならない。その意識を拔きにいくら本を讀まうと、知的遊戲に過ぎないし、死學問でしかない。
 ウィトゲンシュタインも、日本で人氣の高い現代思想家の一人である。その思想は難解ではあるが、文章は甚だ明晰且つ嚴密である。數學・論理學を究めた人らしく、フランスのポストモダンの著作家たちとは異り、數學・科學用語を本來の意味から離れて濫用する事もない。私は彼の思想について論ずる能力はないが、『論理哲學論考』に代表される一種詩のやうな文體や、眞摯な人柄には強く惹かれる。
 冒頭に引用した傳記中の發言で、ウィトゲンシュタインは、哲學が單なる知的遊戲に墮す事を強く戒めてゐる。電子掲示板などで、「日常生活の重要問題」への意識を缺いた儘、思想に關して衒學的な議論をやつてゐるのを見掛けると、私は、ウィトゲンシュタインのこの言葉を投げつけたくなる。
 ウィトゲンシュタインは西暦1914年、第一次世界大戰の勃發とともに、自ら最前線での兵役を希望し、祖國オーストリア・ハンガリー帝國の爲に戰つた。反戰運動に奔走した彼の師、バートランド・ラッセルとは對照的である。ウィトゲンシュタインは戰爭についてこんな事を語つてゐる。その言葉を最後に引かう。

 戰爭が“たいくつ”だといふ點について、ひとこと言ひたいことがある。もし子供が「學校がぜんぜん面白くない」と言つたら、誰でも「學校で教はることが、ちやんとわかるなら、學校はそんなつまらない所ではないはずだ」と言ふだらう。失禮なことを言ふやうだが、この戰爭の中に人間について學ぶことが山ほどあるやうに、僕には感じられるのだが……君が目をあけて觀察すれば、また、深く考へれば考へるだけ、見るもの聞くものから澤山のことを引きだせるはずだ。(上掲書、45頁)  (平成13年2月1日)

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