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2004年4月29日 (木)

「ゴーマニズム宣言」の道徳的問題點

 小林よしのり氏の漫畫は、昔はそれこそ呉先生激賞の「マル誅天罰研究會」など讀んで喜んでゐたし、「ゴーマニズム宣言」にも以前は結構感心してゐた事を、私はまづ白状せねばならない。

 さて、「戰爭論」などの思想的問題點はさて措き、「ゴーマニズム」を讀むうちに、小林氏にどうもついて行けなくなつた理由がある。私の知る限り、この點について指摘した人が誰もゐないのも不可解である。以下記す。
 小林氏は結婚してゐる筈だが、「ゴーマニズム」には、自分が奧方以外の複數の女性と同衾する場面が屡々出て來るのである。一體、あれを小林夫人はどんな氣持で讀んでゐるのか。「ゴーマニズム」は基本的にノンフィクションだが、ひよつとすると「同衾」の箇所は作り事なのかもしれぬ。また、漫畫に登場する小林氏は飽く迄も作中人物であり、現實の本人とは無關係と云ふ反論もあらう。ことによつては、作中では獨身者と云ふ設定になつてゐるのかもしれぬ。
 しかし、たとへさうだとしても、己が分身たる主人公がカサノヴァの如く複數の女性と次々と肉體關係を結び、あまつさへ、その具體的行爲を露骨に描寫して滿天下にさらし、何ら恥ぢないやうな作者の態度を、私は、道徳的に頗る墮落してゐると思ふ。況はんや、その主人公が(現實と同樣)作中においても妻帶者であるならば、その倫理的罪はさらに重い。
 「日本人としての誇り」やら「祖國に生命を捧げた父祖への尊敬の念」やらを強調する事は、寧ろたやすい。卑近な事柄について、どこまで眞摯に考へ、行動出來るかが遙かに大切なのである。その事に對する自覺の薄い物書きは、漫畫家にしろ小説家にしろ、二流であると云はざるを得ない。(平成13年4月13日「地獄の箴言 掲示板」投稿。同年9月16日再録)

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