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2004年4月29日 (木)

宗教と藝術

 ドイツ・ルネサンス時代のアルブレヒト・デューラーは、最も好きな畫家の一人である。近々、ミュンヘンに出かける豫定なので、アルテ・ピナコテーク美術館でまた彼の繪を見て來たい。以前、弊サイトの「呉智英氏の思ひ出」の中で書いたが、呉氏の『封建主義者かく語りき』(双葉文庫)のカバーの繪は、デューラーの「パウムガルトナー祭壇畫」から取つてゐる。また、福田恆存氏の『現代人は愛しうるか』(中公文庫)のカバーも、デューラーの「龍と鬪ふ聖ミカエル」をあしらつてゐる。同じルネサンスでも、イタリアの繪が明るい感じがするのに對し、デューラーやクラナハ、グリューネヴァルトと云つたドイツの畫家たちの作品は、いかにもドイツらしい重厚と暗さが印象的である。

 福田恆存氏は、「ジョットやフラ・アンジェリコの繪を守る爲なら、ピカソ以降の現代繪畫をすべて棄て去つても構はない」と云ふ主旨の事を書いてゐたと記憶する。まことに、ルネサンス時代の繪畫の美しさたるや、筆舌に盡し難い。音樂も同樣であつて、イギリスのバード、イタリアのパレストリーナ、スペインのヴィクトリアと云つた大家の聲樂曲を初めて耳にした時、「この世のものとは思はれぬ」とはこの事かと、衝撃を受けたものである。
 ジョージ・スタイナーは「幽靈が出なくなつて芝居は詰まらなくなつた」と書いてゐるさうである。美術も音樂も文學も、超自然的なもの、人間を超えるものを描かなくなつてから、魅力が薄れたのであらう。しかし西洋の藝術には今なほ、宗教を主題としたものが少なくない。社會でも宗教的な事柄への關心は高い。現世的なものにしか關心の無い人間に、優れた藝術の創作は不可能だと思ふ。(平成13年3月6日「地獄の箴言 掲示板」投稿。同年9月16日再録)

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