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2004年4月29日 (木)

明るいだけのモーツァルト

 モーツァルトを胎兒に聽かせると情操豐かな子が生まれるとか、子供に聽かせると頭が好くなるとか、果ては植物に聽かせると生育に好いだとか、いろいろと阿呆な事が云はれた事がある。今でも云つてゐる?

 さういふ事を云ふ人が念頭に置いてゐる曲は、恐らくアイネ・クライネ・ナハトムジークの第一樂章であるとか、トルコ行進曲であるとか、要するにいかにもモーツァルトモーツァルトした明るく無邪氣な長調の曲なのであらう。無論、これらは素晴らしい曲である。本當はただ單に明るく無邪氣な曲ではないのだが、そのやうに輕く樂しむ事に目くじらを立てるつもりはない。名曲は多樣な樂しみ方が可能なのだから。
 しかしながら、同じモーツァルトの曲でも、ピアノ協奏曲の二十番であるとか、二十四番であるとか、ピアノソナタのK.310であるとか、短調の悲劇的な暗~い曲を聽いて、胎兒や植物の生育に好いとはとても思へない。私が高校時代に初めて聽いた上記の兩協奏曲のレコードは、クララ・ハスキルのピアノ獨奏にイーゴル・マルケヴィチがラムルー管を振つて伴奏を附けたもので、山姥のやうなぼさぼさの白髮頭のハスキルと骸骨然としたマルケヴィチのツーショット寫眞を裏面一杯にあしらつたジャケットは恐ろしくて忘れようにも忘れられぬ。
 では、これらの曲を子供には聽かせない方が好いのか。とんでもない。胎兒はいざ知らず、私は子供に是非勸めるであらう。短調の名曲を拔きにしてモーツァルトの素晴らしさを知ることなど出來ない。モーツァルト自身、これらの作には自信を持つてゐたらしい。ピアノ協奏曲二十番はそれまでのサロン的な作風を一變して、劇的な要素を前面に押し出した。ところが聽衆の反應は散々で、モーツァルトはすつかり氣落ちしてしまひ、これが若死のきつかけになつたとすら云はれる。
 モーツァルト漬けにされる子供が悲劇的な名曲だけを聽かされないとしたら、可哀相である。そんな事が本當の情操教育である筈がない。藝術愛好家と稱する人々の多くは、藝術の惡魔的、悲劇的、道徳的な面について語りたがらないやうに見える。(平成12年10月26日。16年4月29日修正)

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