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2004年4月29日 (木)

遠くにありて

「西崎くん。17歳の時つきあつてた子つて、だれ?」
「……クラブのマネージャーやつてた子。」
「好きだつた?」
「そりやあ、その時はね。」
「もどりたいわね、17歳の時に。」
「さうかな、おれは今でいいや。人生やり直すのめんどくさい。」
「(私は、もどりたい。こはいもの知らずの、なまいきな17歳にもどりたい。)」(中略)「(17歳にもどつて、西崎くんを好きになりたい。)」
(近藤ようこ「遠くにありて」第2卷 ビッグコミックス 小學館)

 中山朝生は、東京の大學を卒業して地方の美園高校に就職した。實家から少し離れた高校の近くで下宿生活を送るが、いつの日か東京へ戻り、編輯者の道を進む夢を捨切れずにゐる。そんな時、高校で同級だつた西崎と再會する。西崎も東京からのUターン組で、家業の酒屋を繼いだのである。
 「東京に戻りたい」と話す朝生に、西崎は「なにしに? バカみてえ。」と應じ、二人の仲は当初險惡である。

 「東京ぢやなきやできない仕事があるわ! コンサートだつて展覽會だつて、こつちと東京ぢや比べもんにならないわよ!」
 「女は氣樂だよな~~。生活かかつてないから、そんなことがいへるんだよ。仕事の好き嫌ひいつたり、コンサートだのなんだのつて氣樂な理由ならべて。」
 「男は、大義名分があつていいわよねつ。(中略)でも女は違ふ! 東京にゐれば親不孝娘、地元に歸れば歸つたで、好きでもない仕事しながら『早く嫁にいけ』つていはれるだけ!」

 揚句、「さうしてウダウダしてゐるうちに”田舎のをばさん”になつちやうんだわ。」とこぼす朝生に、西崎はかう問ひ質し、朝生は默り込む。「田舎のをばさんで惡いんか? 田舎の子どもが田舎のをばさんになつて惡いんか?」
 コンサートや展覧会の話を持出す朝生を、西崎と同じやうに、「氣樂」な女だと思ふ向きもあるかもしれぬ。しかしUターンした朝生や西崎と異なり、長男の癖に大學卒業後も東京に居殘つた私には、朝生の憧れを一笑に附す資格は無いだらう。
 「田舎の子ども」が「田舎のをばさんやをぢさん」になつて惡い道理は無いし、地方が東京に劣るとも思はないが、「東京ぢやなきやできない仕事」や、地方に乏しいものがある事は否定出來ぬ。近藤ようこと同じく新潟市生まれの坂口安吾は、づけづけとかう書いてゐる。「一口に農村文化といふけれども、そもそも農村に文化があるか。盆踊りだのお祭禮風俗だの、耐乏精神だの本能的な貯蓄精神はあるかも知れぬが、文化の本質は進歩といふことで、農村には進歩に關する毛一筋の影だにない。」(「續墮落論」) 但し私の郷里は九州の地方都市であり、農村では無いのであるが。
 さて、朝生は西崎に對し徐々に戀愛感情を抱く。冒頭の引用は、海邊で二人が初めて口附を交す場面である。「(17歳にもどつて、西崎くんを好きになりたい。)」と心の中でつぶやく朝生の後ろで、夕陽が海に映える。
少し前に、朝生が十七歳の自分を囘想する場面がある。高校生の朝生は新聞部員であつた。「結婚なんかしなくていいと思ふ。」「さうよね、戀愛だつてエネルギーの浪費だわ。」「えーつ、戀愛は必要だよ。」 部室で話し合ふ朝生たちは生意氣で世間知らずだが、微笑ましい。「十年たつてもまだ二十代よ! なんでもできるわ!」
 今二十代になつた朝生は、「あの頃にもどつて、人生をやり直せたらいいかな…。こんなこと考へるなんて、わたしもをばさんになつたんだなあ。」と昔をほろ苦く思ひ起こす。十七歳に戻れたら、部活ばかりにのめり込まず、「西崎くんを好きになりたい。」と願ふのである。
 私は男であるせいか、西崎と同じく、「人生やり直すのめんどくさい」と云ふ氣持ちが今は強いのだが、歸らぬ青春時代を切なく思ひ返す朝生の言葉には、胸を突かれる。人生はやり直しがきかないから尊いのだが、やり直しがきかないと云ふ事は矢張り切ないのである。
 結局、朝生は西崎との結婚を決意し、東京には戻らない。だがラストシーンで、下宿を引拂ひ、新たな生活に踏出す朝生は微笑んでゐる。朝生の人間的成長を感じさせる獨白は、近藤ようこの作品の中でも最も好きな臺詞の一つである。

 まはり道して、
 わたしは歸る。
 そして、
 新しい道を歩きはじめる。
 また、
 まはり道をするかも
 しれないけど――
 それでもいいと、
 今は思ふ。

(平成12年6月18日)

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