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2004年4月29日 (木)

反民主主義の傳統

 バッハの大作『マタイ受難曲』の聽き所の一つは、民衆がイエスを罰するやう、総督ピラトに求める場面である。ピラトはイエスと盗賊バラバのいづれを赦免するかと民衆に問ふ。民衆はこぞつて云ふ、「バラバを」。

 聖書のこの場面は甚だ有名であり、民主主義について重い問ひを投げ掛けて來た。法哲學者のハンス・ケルゼンは『デモクラシーの本質と價値』(岩波文庫)の末尾に於て、この插話を引き、明確にではないが「民主主義を選擇する者は、かかる缺陷を心得ておかねばならぬ」と云ふ意味の警句を發してゐたと記憶する。すなはち、多數者の專制に陷りかねない危險である。
 クリスト教は民主主義思想を生んだが、同時に、民主主義への懷疑も内包してゐる。偉大な思想とは、しかく兩義的である。日本には、民主主義を生む思想的土壤も無ければ、民主主義に對する根柢的な懷疑を自問する精神的傳統も乏しい。從つて、日本では民主主義に關する論議は悉く淺薄である。或るいは、日本人は、かつて手にしてゐた儒教的(東洋的)政治哲學を投げ捨てたものの、西洋的政治哲學をさつぱり自分のものに出來ずにゐる。(平成13年3月21日「地獄の箴言 掲示板」投稿。同年9月16日再録)

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