« 香西秀信氏にケンカを學ぶ | トップページ | 論理輕視の宿痾 »

2004年4月28日 (水)

村上龍の人間觀

 週間文春11月23日號で「IT四賢人、米國を打ち負かす新世紀シナリオ」なる座談會。「賢人」の一人たる村上龍氏が「私の提言」欄で曰く、

 今の日本は、大きく二つに分かれてゐると思ひます。急激な變化を受け入れて對應しようと努力してゐる人たちと、既得權益にしがみついて逃げ切らうといふ人たちですが、改革派と守舊派といふ言葉では區別できてゐないと思ふわけです。ITに限らず、人物でも考へ方でも「どちらに屬してゐるか」といつも考へてゐます。二つをうまく區別して、「變化を受け入れようとする人、プロフィット(利益)だけでなくバリュー(價値)を追求する人のはうがカッコいいのだ」と傳へたい。さういふ言葉、文脈を定着させ、流通させることが、小説の役割の一つではないかと思つてゐます。(改行省略)

 一億二千萬人の日本人が「大きく二つに分かれ」、しかもそれが「急激な變化を受け入れて對應しようと努力してゐる人たちと、既得權益にしがみついて逃げ切らうといふ人たち」とであるとは、何ともはや、恐れ入つた人間觀である。村上氏に尋ねたいものだが、例へば、勤め人としては現在の職場での雇用と云ふ「既得權益」を失ひたくないと願ひつつ、消費者としては新手のインターネット通販を積極的に活用し舊來型の流通制度の破壞に一役買ふ人間は、一體全體、「どちらに屬してゐる」のか。或は、己は人氣作家や芥川賞詮考委員と云ふ「既得權益」を手放さないまま、他人には「急激な變化」を受入れるやう説教する村上氏自身は、「どちらに屬してゐる」のか。
 なほ、村上氏は利益と價値とが別物のやうに書いてゐるが、何を云ひたいのか意味不明である。少なくも經營學的には兩者は實質的に同一である。企業は毎月毎年、利益を追求する。それが積み重なつた結果を、企業の價値と呼ぶのである。かりそめにも文學者が半可通な經濟用語を振り囘して、擧句の果てに平凡な經濟評論家でも云へるやうな御託宣を垂れる。これが現在の日本文學の實態である。政治家が輕薄になるのも無理はない。(平成12年11月20日)

|

« 香西秀信氏にケンカを學ぶ | トップページ | 論理輕視の宿痾 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30565/508017

この記事へのトラックバック一覧です: 村上龍の人間觀:

« 香西秀信氏にケンカを學ぶ | トップページ | 論理輕視の宿痾 »