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2004年4月30日 (金)

傲慢を悟らぬ傲慢

ものごとに「例外」は付き物です。だからこそ、一般論と個別論を混同してはなりません。一般論(原則)としては認められることでも、個別の事例では認められないような場合(例外)はいくらでも存在します。(碧川蘭「汝、まず自身に問え」)

御説ごもつとも。だから私は、「引用時の正字正假名への表記變更」は、原文維持と云ふ一般論(原則)の「例外」だと説明してゐるのに、ホランドこと碧川蘭氏は頑なに認めようとしない。もし碧川氏が「新字新假名から正字正假名への變更も、その逆も、同じやうに認めない」と主張するのなら、まだ理解出來る。ところが、「新字新假名への變更は認めるが、正字正假名への變更は認めない」と言ふのである。このやうな不公平を認めるには、當然、合理的で説得力ある理由が無ければならない。

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汝の「常識」を疑へ

前口上

以下は、電子掲示板「アレクセイの花園」における「『正字正假名』論爭」の延長であり、ホランドこと碧川蘭氏による私(木村)への批判に對する反論として書かれる文章である。碧川氏は言ふ。

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強者は辯明せず――「南京虐殺」問題

題名: 強者は辯明せず~南京虐殺論議に思ふ~

日時: 00/05/23 TO : dennohshotohki@egroups.co.jp

こんにちは、木村です。

「動向」今年五月號掲載の中村粲教授「屈辱外交からの脱出(下)」より。

私はあつたことはあつたとして認めるべきだと思ふのです。それは實は日本だけでなく、どこでもあるんです。捕虜の不法處斷といふことは、どこでもやつてゐるのですから、日本人もそれはあつたと認めていいと思ふのです。私はそのことは中國大使館に行つたときに言つたのです。私は特に捕虜の不法殺害とか虐殺はあつたと思ふ。しかしながら、無かつたことは無かつたと言ふほかはない。私はさういふ立場なのだといふことを向うにも言つたのです。

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神に優劣無し

[swiss 11962] Re: 日本の国は天皇中心の神の国?: 00/05/22

御無沙汰してゐます。チューリッヒの木村貴です。かう云ふお堅い話題の時しか參加しないで御免なさい。

森總理の「日本の國は天皇中心の神の國」と云ふ言葉ですけれども、總理は發言が「問題化」した後、以下のやうに釋明してゐます。(5月18日付朝日新聞衞星版)

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「テクスト」大ッ嫌ひ

題名: 前田嘉則『文學の救ひ』

日時: 00/05/09 2:17:12 西ヨーロッパ (夏時間) From: kimura39@aol.com Reply-to: kotobakotobakotoba@egroups.co.jp To: kotobakotobakotoba@egroups.co.jp

こんにちは、木村貴と申します。 野嵜さん、皆さん、參加が遲れて濟みませんでした。私は福田さんの著作は拾ひ讀みが多くて、お恥づかしい限りです。皆さんの議論を拜見しながら勉強してゆきたいと思ひます。

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二重國籍は是か

二重國籍は安易に認められない

はじめまして、チューリヒ在住の木村貴と申します。

國籍は權利ばかりでなく義務(納税や兵役等)も伴ふものです。もし私に在日韓國人の友人がゐたら、二重國籍を勸める事にはかなり愼重になると思ひます。韓國と日本の兩方から納税を求められたり、今は日本に兵役の義務が無いからいいですけれども、將來、韓國と日本の兩方から兵役の義務を突きつけられる可能性も絶無とは言へないからです。

勿論、二重國籍が原因でさういふややこしい事態になりさうな場合は、日韓兩國が法的取扱ひを協議するのでせうけれども、いづれにせよ本人にとつて大變面倒なことになります。萬が一、日本と韓國が軍事的に對立でもしたら、二重國籍者が兩方の國民からスパイのやうに白い眼で見られる事は確實でせう。私は、本人がそんな苦境に卷き込まれる危険を冒してまで、二重國籍を勸める勇氣はありません。

現代の國家が二重國籍をなるべく排除しようとするのは、上に述べたやうに、二重國籍が個人の人權をむしろ侵害する可能性が高いからだと思ひます。そして、私もその考へ方を支持します。

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相對主義の限界を知れ

相對主義の限界を知れ

長いので結論から言ふと、棺光一はやはり馬鹿である。

アラン・ブルームは『アメリカン・マインドの終焉』の序論をかう書き出してゐる。

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必ずや名を正さんか

白川静 投稿日 12月4日(土) 投稿者 木村貴

はじめまして。最近掲示板の樂しみを覺えた男です。よろしくお願ひします。日本經濟新聞文化面の連載「私の履歴書」に、今月は立命舘大學名誉教授で漢字學者の白川静さんが登場され、愛讀してゐます。ご存知の方も多いと思ひますが、白川さんは支那古代文字の研究をもとに、從來の通念を覆す極めて説得力のある漢字の字源説を唱へてゐる人です。

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「正字正假名」と云ふ呼稱

まづ假名遣ですが、現在一般 に使はれる文部省公認の假名遣は、正式には「現代かなづかい」と云ひます。一方、私が使つてゐる假名遣は、學問的には「歴史的假名遣」或いは「契冲假名遣」と呼びます。これら二つを短く約めて呼ぶ場合、前者は戰後新しく出來た假名遣だから「新假名遣」、後者は主に戰前使用された古い假名遣だから「舊假名遣」と呼ぶ事が多いやうです。これなら、「新」「舊」が對になつて、整然と見えます。

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なぜ書くか、「古い」表記で

御挨拶 00/06/04

スイッピーの皆さん、はじめまして。Uさんから御紹介をいただきました木村です。「それでは、自己紹介をどうぞ」と言はれてから、隨分日にちが経つて仕舞ひました。申し譯ありません。

Uさんが書いてくださつたやうに、私は私的な文章を書く時には、ご覽のやうな 表記方法をポリシーにしてゐます。隨分變はつた奴がゐるとお思ひでせうが、この書き方で書けるワープロ辭書だつてありまして、「同志」は意外に多いんです。數年前に亡くなつた評論家の福田恆存さん、そのお弟子で、元早稻田大學教授の松原正先生、このお二方の著作を讀んだ事が、私がこの表記で文章を書くきつかけになりました。風流な話は全然駄目な野暮な男ですが、どうぞ宜しくお願ひいたします。

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假名遣はファッションか

アナクロは惡にあらず

Tさん、皆さん、こんにちは。木村貴@チューリヒです。 以下、Tさんの御意見に反論を試みます。

「舊假名遣ひ」はTさんから御覽になれば「アナクロ」かもしれませんが、「アナクロ」は必ずしも惡ではありません。スイスに長く滯在されたTさんなら御存知の通り、スイスにはレートロマンシュ語の保存といふ、とんでもない「アナクロ」に懸命に取り組んでゐる人達がゐます。私は彼らを立派だと思ひます。私は戰後の國語改革によつて滅ぼされようとしてゐる「舊假名遣ひ」を守りたいと願つてゐます。

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正統表記啓蒙小作戰

讀めます書けます

「讀みやすくはない」、でも、感想を述べてくださるのだから、意味は傳はつてゐる。本當は讀めてゐるんです。だとすれば、あとはちよつとした慣れだけですよ。現在の國語表記で文章が書ける人なら誰だつて抵抗なく、歴史的假名遣ひ・正漢字で讀み書きできるやうになります。書道をやる人なら、正漢字に親しんでゐるはずです。 短歌や俳句をやる人なら、歴史的假名遣ひをよくご存知のはずです。ご覧のやうに、ワープロ辭書だつてあります。堅苦しく考へず、ほんの遊びのつもりで、たまに書いてみたつていいんです。面白いですよ。もちろん國語の勉強にもなります。

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2004年4月29日 (木)

引用時の表記變更 私の方針

私的な言論活動者たる私(木村)は、「現代かなづかい」(新假名)で書かれた文章を引用する際、以下のやうな方針で臨む。なほ、漢字の略字體から正字體への變更についても同斷。

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表記變更は公正な慣行である

漢字の略字體・「現代かなづかい」(新假名遣)から正漢字・正假名遣への表記變更は、著作物の世界において公正な慣行であると、私は考へる。以下、著述家別に實例を擧げつつ、論を展開したい。手許に參照出來る資料が乏しいのが泣きどころだが、その範圍内でも何とかなるであらう。なほ、實例として擧げた文の表記はいづれも原文のままである。

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引用にとつて美とは何か

パスカルの『パンセ』の或る譯本に、新假名遣でかう表記されてゐたとしよう。

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魁!國語塾 主要參考文献

  • 金澤庄三郎編纂 廣辭林 新訂版 (昭和十四年刊。三省堂)
  • 小西甚一 國文法ちかみち (洛陽社)
  • 小西甚一 學習基本古語辭典 (大修館書店)
  • 榊原邦彦 國語表現事典 (和泉書院)
  • 三省堂編修所編 新舊かなづかひ便覽 (三省堂)
  • 白川静 字訓 (平凡社)
  • 土屋道雄 日本語よどこへ行く (日本教文社)
  • 福田恆存 増補版 私の國語教室 (中公文庫版及び文藝春秋福田恆存全集第四卷所收)
  • 山田俊雄他編修 新潮國語辭典 第二版 (新潮社)
  • 山田孝雄監修 假名遣ちかみち (國語問題協議會)

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魁!國語塾(2)

ワハハハ。國語塾塾長、天堂平九郎である。前囘の講義から何と約一年ぶりの登壇ぢや。過日、塾生筆頭兼事務局長の木村が氣まづさうに現れて、「先生、申し譯ありません。どうか講義再開をお願ひ致します」と、いきなり土下座しをつた。どこで何をやらかしてゐたかは大方想像がつくわい。まあ良からう、續きだ。

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魁!國語塾(1)

わしが國語塾塾長、天堂平九郎である。塾生筆頭兼事務局長の木村が、まあ筆頭と云うても今の處塾生は奴一人しかをらんのだけれども、いつもお世話になつてをります。奴の勸めで、今囘よりこの場を借りて正字正假名の入門講座をやらせて貰ふ事になりました。淺學の身で何かと行き屆かぬ事も多からうと存じますが、御客樣第一主義でやさしく指導致す所存でありますので、どうぞ宜し……おい其處! 欠伸をしながらわしの講義を聽くとは好い度胸だな!

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ブルクハルトと鷗外の言葉

ヤーコプ・ブルクハルト

  「あらゆる文化の尖端にあるものは精神の驚異である言語である」――ヤーコプ・ブルクハルト『世界史的諸考察』(藤田健治譯、二玄社)より

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大西巨人氏公式サイト

 舊臘から「足掛け二世紀越し」で讀んでゐるのは、大西巨人『三位一體の神話』(光文社)。現在、上卷を終へ、下卷に入つたところである。既にこの欄で書いたが、大西氏は政治信條的には左翼であり、それゆゑ私は一時、(愚かにも)氏の著作を敬遠してゐたのだが、最近、また熱心に讀んでゐる。大西氏の文學に關する該博な知識・道徳に對する眞摯な考究は、そんぢやうそこらの保守派知識人が束になつても敵ふものではない。

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大西巨人氏の三島評

 『春秋の花』(光文社文庫)の96頁で、大西巨人氏は三島由紀夫の短篇小説『眞夏の死』から以下の件りを紹介してゐる。(三島に限らず、同書の引用は原文通りの歴史的假名遣ひ)

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ザ・コメンテーター/ドストエフスキーの卷

テーマ曲が流れ、番組スタート。
くめ 皆さん今晩は。全く新しいニュース解説番組『ザ・コメンテーター』の始まりです。司會は私、くめもんた。親愛なるパートナーは……。

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箴言集 佐藤一齋

 眞に大志有る者は、克く小物を勤め、眞に遠慮有る者は、細事を忽(ゆるがせ)にせず。――佐藤一齋
(川上正光譯注『言志四録(一)』 講談社學術文庫、53頁)

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箴言集 ウィトゲンシュタイン

 もし哲學が日常生活の重要問題について君の考へる力を進歩させないのなら、(中略)哲學を勉強するなんて無意味ぢやないか。――ウィトゲンシュタイン
(ノーマン・マルコム『ウィトゲンシュタイン――天才哲學者の思ひ出』 板坂元譯。平凡社ライブラリー、41-42頁)

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箴言集 上田秋成

 汝しらず、近來の世の亂れは朕(わが)なす事(わざ)なり。生てありし日より魔道にこころざしをかたふけて、平治の亂を發(おこ)さしめ、死て猶朝家に祟をなす。見よ見よやがて天が下に大亂を生ぜしめん。――上田秋成『雨月物語』
(「白峯」中の崇徳院の言葉。大輪靖宏譯注『對譯古典シリーズ 雨月物語』旺文社、18頁)

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箴言集 イエス

 汝に禍ひあれ、コラジンよ、禍ひあれ、ベツサイダよ、(中略)また汝カペルナウムよ。汝は天にまであげらると信ずるか。地獄に落されん。――イエス
(新約聖書「マタイ傳福音書」第11章。村松剛『教養としてのキリスト教』 講談社現代新書、177頁より再引用)

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箴言集 森鷗外

兎に角多數者の用ゐる者に限つて承認すると云ふ論には同意しませぬ。――森鷗外
(「假名遣意見」『森鴎外全集 第14卷』 ちくま文庫、168頁)

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箴言集 ソポクレス

 召使 おお、恐ろしい、口を割つてしまひさうだ!
 オイディプス おお、まさに聞かうとしてゐるこのおれとて同じこと、だが、やつぱり聞かねばならぬ!
   ――ソポクレス「オイディプス王」(高津春繁譯。『ギリシア悲劇Ⅱ』 ちくま文庫、357頁)

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箴言集 夏目漱石

 御前は病人也。病人に責むるに病人の好まぬことを以つてするは苛酷のやうなりといへども手習をして生きてゐても別段馨しきことはなし。knowledge を得て死ぬ方がましならずや。――夏目漱石
(明治二十二年十二月三十一日 正岡子規宛書簡 。『漱石書簡集』 岩波文庫、19頁)

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箴言集 ジョージ・スタイナー

 たとへその最後の扉が人間の理解も支配力もおよばぬ現實に通じる扉であらうと、いやそれだからこそ、きつとわれわれは最後の扉を開けるだらうと思ふ。――ジョージ・スタイナー
(桂田重利譯『青ひげの城にて』 みすず書房、156頁)

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箴言集 吉田松陰

經書を讀むの第一義は、聖賢に阿ねらぬこと要なり。――吉田松陰
(『講孟餘話』 岩波文庫、15頁)

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箴言集 ミルトン

 地獄に王たるは天に奴たらむに勝れり。――ミルトン
(繁野天來譯『失樂園』新潮社、1929年。足立恒雄『√2の不思議』光文社、90頁より再引用)

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呉智英氏の思ひ出(8) 手紙

 スイスに來て二年目、すなはち平成十一年の新春である。仕事や生活がやうやく落着いたのを機に、勇を鼓し、私は呉氏に初めて手紙を書いた。宛先は、呉氏の著作を多く出してゐる双葉社編輯部氣附である。永年の愛讀者である事、「噂の眞相」への投稿を著作で紹介して貰つた事、大學時代に講演を聽いた事などを、緊張しながらも懷かしい氣持で認めた。

 その後で、呉氏の主張に對する感想と云ふ名目で、實質的には質問を以下の如く書き連ねた。字句を一部改めた以外、原文のままである。思ひ出に殘る手紙と思ひ、コピーを取つておいたのである。

 天皇制度の擁護。先生は昔、「話の特集」誌のインタヴューで「民主主義は駄目だが共和制は良い」との趣旨の事を述べられ、最近のシンポジウムでは「私は天皇制廢止論者」と明言されました。私は、T・S・エリオットや加地伸行氏が云ふやうに、人間が道徳的・文化的に生きる爲には宗教が必要であり、日本人にとつて天皇を祀り主とする「先祖教」(天皇制度)は不可缺と考へます。先生の理想とされる封建制社會の下でも天皇(王)の存在は不可缺ではないでせうか。王と云ふ「時代錯誤」な存在を缺いた社會は全く無味乾燥ではないでせうか。

 フランス革命を起源とする「人權」とは別の「人權」概念を救ひ出す必要は無いか。山路愛山は「日本の歴史に於ける人權發達の痕跡」で、皇室による日本統一以來、明治維新後に到るまで、人民が自己の存在を主張し、自己の權利を擴大して來たと説いてゐるさうです。

 「人權」の概念無くして、刑事手續における被疑者、被告の保護は可能か。

徳治主義の現代における有效性。韓非子は「五蠹篇」において、「孔子の徳は世界がこれを讚美したが、門人となつて附從つた者はわづかに七十人に過ぎなかつた」と、徳治主義の限界と法治主義の優位を説いてゐます。

 呉先生のおつしやる「封建主義」における靈魂觀。人は死後、佛教が説くやうに西方淨土に行くのか、儒教が云ふやうに消えてなくなるのか、柳田國男や平田篤胤が信じたやうに「故郷の山の高み」にとどまるのか。

 今讀返すと、隨分と不躾であるし、己が不勉強を棚に上げて答へを聽かうとする蟲の好い根性がありありである。質問の仕方が拙劣な箇所もあつた。それでも、さすがに「是非とも御返事ください」と書けるほど私の心臟は強くなかつた。勿論本音を云へば、呉氏の意見は是非知りたい。だが何と云つても先方は有名な評論家であり、こちらは一讀者に過ぎない。返事を貰へるとは期待しなかつた。歸國して、いづれまた講演でも聽く機會があれば、その時にあらためて尋ねよう――。そんな風に考へてゐた。

 ところが、呉氏は早速返事をくださつたのである。半月後、やや嵩張る航空便が屆いた。茶封筒を開くと、中には當時の最近著『ロゴスの名はロゴス』があつた。本には航空便用の薄い便箋が挾まつてをり、私の疑問に對し、簡潔だが丁寧な返事が記されてゐた。

 ここで手紙の内容を詳らかにする事は出來ないが、失禮を承知で、私の最大の疑問であつた天皇制度に關する見解だけは紹介したい。呉氏は、きつぱりと次のやうに記してゐた。

 天皇制について。民衆(近代國民國家の國民)には必要かもしれない。明治始めに作られたぐらゐだから。しかし、私には不要。(このことは最終的に、賢者・愚民問題にゆきつく)

 ここで呉氏の考へにさらに異論を述べる準備は無い。寧ろ、自戒の意味も込めて、呉氏の遠慮のない發言に反撥するであらう人たちに云つておきたい。呉氏の意見を簡單に却ける事は出來ない。たとへ知識人で無くとも、西洋近代の平等思想を一度知つて仕舞つた我々現代日本人は、御先祖樣と異り、天皇の權威を素直に認める事が極めて難しくなつてゐるからである。もう手後れかもしれないのである。その事實に眼を瞑り、安直な「尊皇節」を唱へる事は、知的怠惰に他ならない。

 呉氏の手書きの文章は、歴史的假名遣で、漢字は略字體であつた。「正字正假名がいいと思ひますが、書く時は正字は面倒なので正假名のみにしてゐます」。ここにも率直で飾らない性格が表れてゐると思ひ、私は嬉しかつた。同封された本については、「廢棄したオールナイターズのチケット代のつもりです」とあつた。

 昔と今とで、呉氏の思想に對する私の考へ方は變つて來た。だが、私は、今後も呉氏の讀者であり續けるであらう。(了) (平成13年4月29日)

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呉智英氏の思ひ出(7) 疑義

 平成十年頃だつたと思ふ。呉氏は、保守派論客によるシンポジウム(「新しい教科書をつくる會」關係だつたかもしれぬ)にゲストとして招かれた席上、「私は天皇制廢止論者である」と發言し、物議を釀した。激しい左翼批判で知られた呉氏の「反天皇發言」は、言論界では意外に受け止められたやうである。私は討論會に行かなかつたので、詳しい發言内容は知らない。しかし以前の「話の特集」のインタヴューを思ひ出し、「ああ、矢張り」と得心したのである。

 呉氏が昨今の安直なナショナリズムに與せず、しかも保守派言論人やその贊同者たる聽衆の面前で、堂々と「反天皇」の持論を開陳した事は、立派であると思ふ。それでも私は、簡單に「天皇反對」と云ひ切つて仕舞ふ事には抵抗がある。森鴎外は明治四十五年に發表した短篇小説「かのやうに」に於て、「神話と歴史とをはつきり考へ分けると同時に、先祖その外の神靈の存在は疑問になつて來るのである。さうなつた前途には恐ろしい危險が横はつてゐはすまいか」と書いた。鴎外が「神話」と書く時、天皇を念頭に置いてゐたのは確實である。私は、天皇と云ふ存在を政治的・社會的な意味で放逐して仕舞つたならば、「さうなつた前途には恐ろしい危險が横はつてゐますまいか」と懼れる。呉氏には、そのやうな危惧は無いのだらうか。

 既に少しく觸れたが、私は、松原正氏の著作に親しむやうになつて以來、呉氏との思想の相違を比較しては色々と思ひを巡らすやうになつた。松原氏は、時代を超えた道徳や文化の重要性を説きつつも、「日本は鎖國してゐた昔には戻れない」と屡々強調する。その師たる福田恆存氏も同樣の思想的立場であり、あへて亂暴を承知で呼べば、「近代化論者」である。これに對し、呉氏の「封建主義」を名稱から判斷して、「復古的」と呼ぶ事は單純すぎよう。それでも呉氏には、「歴史の時計の針を逆に戻す」事を、福田松原兩氏ほど難しいとは考へてゐないやうに見受けられる場面がある。

 第一囘で紹介した「オールナイターズから奪つた八十人の聽衆」に、こんな件りがある。呉氏は一橋大學での講演の直前、同學教授で、マルクス主義歴史學者の佐々木潤之介氏が「封建主義の復權などと云ふ不可能事を主張するとは無責任」と、強く批判してゐる事を知る。佐々木氏が來場して議論でも吹つかけて來たらどう邀撃するか。「よし、ウルトラマンのスペシウム光線でいかう」。奧の手の「スペシウム光線」とは、論戰の最後の最後に佐々木氏に放たうと心に祕めた、以下のやうな反論である。

 封建主義の復權が不可能だとおつしやるのはご自由だが、共産主義の實現にかぎつて、どうして不可能ぢやないんですか、たかが主義の復權より、もつと不可能なはずの、主義の實現を信じる歴史學者は、無責任ぢやないんですか、と。

 呉氏らしい小氣味好いレトリックである。しかし、よく考へると、この反論はやや苦しい。共産主義は、曲がりなりにも舊ソ聯や東歐諸國や現在の中華人民共和國などに於て、少なくも或程度實現した「實績」がある。だが、世界のどこにも、いまだ「封建主義革命」に成功した國もなければ、抑もそんな革命に乘出した國も無いのである。成る程、呉氏が『封建主義、その論理と情熱』で書いたやうに、イラン革命によりイスラムの神權政治が復權した。だがそのイランも今や「民主化」の壓力と無縁ではゐられず、國内で男女平等や政治的自由を求める運動が高まつてゐる。かうした世界の實情を見ると、舊い主義の「復權」が新しい主義の「實現」よりも容易だとは、おいそれと云へさうにない。

 呉氏は『封建主義者かく語りき』において、『鎖國の經濟學』の著者たる經濟學者、大崎正治氏の名を擧げ、絶讚する譯ではないが、積極的に評價した。だが資源保護の觀點から自給自足經濟の效用を説く大崎氏の主張に對しては、呉氏の弟子筋に當たる淺羽通明氏ですら、「北朝鮮の例を見よ」と『ニセ學生マニュアル』の中で批判した。不景氣でよたよたしてゐるとは云へ、まだまだ金滿國の日本が、勝手に鎖國する事を、アメリカをはじめとする諸外國が許す筈がない。鎖國してゐた昔には戻れないのである。

 呉氏自身、「封建主義」の實現が可能だと安直に信じてゐる譯ではあるまい。單純な近代否定論者でもない。數年前、「正論」誌上だつたと思ふが、「新しい歴史教科書をつくる會」の藤岡信勝氏との對談で、呉氏は「現實的には、民主主義を正しく使つて行くしかない」と云ふ意味の發言をしてゐた。呉氏と云へども、「さらば、民主主義よ」とは簡單に行かないのである。ならば、「さらば、天皇よ」とも簡單には行かないのではないか。(平成13年4月29日)

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呉智英氏の思ひ出(6) 豫兆

 のつけから云ひ譯めくけれども、今囘の原稿を書くに當り、本來ならば參照すべき資料にもかかはらず、紛失したり、現在手許に無かつたりするものが、過去二囘の場合以上に多數存在する。參照出來ない部分は記憶だけを頼りに書いてゐる爲、事實の細部や前後關係には誤りも多いかと思ふ。本筋にかかはる勘違ひ記憶違ひは無いと信ずるが、拙文の誤りや、不明な箇所の正しい情報について御指摘くださると幸ひである。

 これまで鏤々述べたやうに、私は呉智英氏の永年の讀者である。一頃は、單行本のみならず、呉氏の文章が載つてゐさうな雜誌を書店で片端から物色したものである。現在は廢刊となつたNHK出版の月刊雜誌「Be-Common」を都内の書店でふと立讀したら、呉氏の連載コラムを發見し、喜んだ思ひ出がある。そのコラムは單行本『サルの正義』に「シニカルな暴論」として収録されてゐる。その外にも、「朝日ジャーナル」「寶島30」「コミック・ボックス」「ガロ」……なぜか、今は無くなつて仕舞つた雜誌が多いのであるが、兎に角熱心に讀んだ。呉氏が漫畫評論を長期連載中の「ダ・ヴィンチ」も、「危ない」と云ふ噂を數年前に本屋の親爺から聞いた事があるが、これは何とか頑張つてゐるやうだ。

 さて、「話の特集」も、現在は姿を消した雜誌の一つである。編輯長(矢崎泰久氏だつたか)とゲストとの對談が目玉で、表紙には和田誠氏描くゲストの似顏が毎號載つてゐた。呉智英氏の似顏が表紙を飾つたのは、『バカにつける藥』が出て間もない頃、すなはち昭和六十三年だつたと思ふ。タイトルに曰く、「『バカにつける藥』 呉智英、大いに語る」。書店で見つけた私は、早速立讀した(それにしても私は立讀ばかりだ。この雜誌も買はなかつたのが今になつて惜しまれる)。

 印象に殘つた發言が幾つかある。まづ、西部邁氏を批判した件りがあつた。「西部氏は、馬鹿も賢者も同じ一票の投票權しか持たないのはをかしいと云ふ理由で民主主義を批判するが、そんな事は、どこにでもある不條理の一つに過ぎない」。かねての持論通りに西部氏を一應は高く評價したうへで、このやうに批判したのが新鮮であつた。この時以外、呉氏が西部氏を批判した文章を讀んだ事が無い。私が知らないだけなのかもしれないが、西部氏が『國民の道徳』を出版して脚光を浴びてゐる今こそ、呉氏による本格的な西部批判を讀みたいものである。

 呉氏が影響を受けたと云ふ三人の學者の名も覺えてゐる。小島祐馬、島田虔次、荒木見悟。いづれも支那思想が專門である。私は早速、神田の支那關係書籍專門店に通ひ、小島祐馬氏の『支那思想史』やら、荒木見悟氏の陽明學や禪宗に關する分厚い本やらを何册も買込んだものである。難しくて齒が立たず、今では殆ど手放して仕舞つたが……。

 私が最も注目したのは、政治體制に關する發言である。「私は、共和制は好いと思ふ」。呉氏はかう發言してゐた。私は驚いた。共和制とは、天皇の存在を政治的には否定すると云ふ事である。呉氏は「封建主義者」を名告つてゐるが、その理想とする封建社會は「天皇のゐない封建社會」なのか。しかし、天皇のゐない社會を果して「封建社會」と呼べるのか。恰度その頃、松原正氏の著作を熱心に讀むやうになり、後には「絶對神を戴かない日本人は天皇不在でやつて行けるのか」と云ふ疑問も浮んだが、インタヴューを讀んだ直後はそこまで深く考へた譯ではない。月日は過ぎ、それから約十年後、私は、天皇に關する呉氏の明確な判斷を知る。(平成13年4月29日。16年4月29日修正)

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呉智英氏の思ひ出(5) 反論

 岡庭昇氏は私と保坂氏との投稿に對し、次號三月号の投書欄で早速反論してきた。「汚れ切つた政治的動物どもに」と云ふ凄まじい題名である。私に對する批判の部分を引用する。

 ① 木村貴氏への質問。あなたは呉智英先生の文章を讀んでゐないと公言してゐるが、讀んでゐないものをあれこれ論じられるといふ神祕的な自信の根據は何なのか。なぜ、投稿する前に讀まうとしなかつたのか。だからこそ、君は、ここで誰でもわかるウソを堂々とついてゐる。

 “呉氏の「バカ」といふ言葉に激昂のあまり”といふデマだ。呉智英さんは、岡庭のことを、一言もバカとは言つてゐない。從つて、君の書いてゐるやうなことは、ありえません。讀んだことのないものは批評できない。常識ですね。君の最低限のモラルは一體どうなつてゐるのですか。

 木村君。あなたは、平氣でさらにウソを重ねてゐる。岡庭さんが、一體これまでどれほど”三浦辯護における自らの立場”を”公の場で明確に”してきてゐるか、本誌の讀者レベルなら誰だつて知つてゐる話ではないか。わたしはすくなくとも二册の書籍においてこのテーマを全面的に展開し、「創」誌三年の連載においても、おりに觸れて論じてゐます。だからこそ、鮎川信夫氏が「諸君!」でわたしの論を批判し、「諸君!」大好きの呉智英君が、鮎川さんを利用したわけぢやないか。すぐばれるやうなウソをついてまで、呉先生をかばはうとの志も結構ですが、さういふのをヒイキの引き倒しといふのです、覺えておきなさい。それに、何が起こつてゐるのかもわからないままに、文章を書かないこと、ママにきいてごらん。きつと、さういふからね。ともかくウソは上手について、アマチュアの論客らしくやつてください。

 さすがに岡庭氏は、「十二月號の『折々のバカ』を讀んでゐません」と云ふ私の屁放り腰の文章を見逃さなかつた。アメリカのある高名な辯護士は、訴訟に勝つ最大の祕訣は「正直に話す事」だと著作に書いたと云ふ。成る程、裁判で小さな嘘をついたばかりに他の事實や證言との辻褄が合はなくなり、却つて心證を損なふ場合は多からう。私は詰まらぬ動機で不正直な事を書いたばかりに、岡庭氏に恰好の攻撃材料を提供して仕舞つたのである。「立讀みで讀んだ」と堂々と書けば良かつたと、後悔したもう一つの理由とはこれである。

 私は岡庭氏から甘いガードを衝かれ、「讀んでゐないものをあれこれ論じられるといふ神祕的な自信の根據は何なのか」と鋭いジャブを食らつた。だが、マットに埋められはしなかつた(と自分では判定した)。幸ひ、岡庭氏の二の矢、三の矢が急所を外した所ばかりに飛んで來たからである。まづ岡庭氏は「君は、ここで誰でもわかるウソを堂々とついてゐる」と極附けたが、その根據は「呉智英さんは、岡庭のことを、一言もバカとは言つてゐない」からだと云ふ。これはをかしい。確かに、十二月號のコラムの本文には、岡庭氏を直接「バカ」と呼んだ箇所は無い。しかし、そもそもコラムの題名が「折々のバカ」ではないか。「バカ」を取上げて批判するのがコラムの趣旨であり、その中で岡庭氏が批判された以上、呉氏は岡庭氏を「バカ」と言つたと同じである。私は呉氏の文章を實際には讀んでゐたが、この程度の事なら讀まなくともわかる。

 それに、次の一月號、すなはち岡庭氏が私への反論を寄せる二ヶ月前の「折々のバカ」において、呉氏ははつきりと書いてゐる。「世の中には、もう一つ輪をかけたバカがゐる。珍左翼である。」この文章に岡庭氏の名は出ないが、呉氏は十二月號のコラムで「上野昂志は、岡庭昇と竝ぶ珍左翼の巨魁である」と書いてゐたのだから、呉氏に據れば「岡庭氏=珍左翼=バカ」の等式が成り立つのは明白である。

 續いて、岡庭氏はこれまで樣々な機會に「”三浦辯護における自らの立場”を”公の場で明確に”してきてゐる」と述べ、私が「岡庭氏が公の場でまづ明確にすべきことは、三浦辯護における自らの立場でせう」と書いた事を非難した。私は確かに岡庭氏の著作を讀む努力を怠つた。その點は反省すべきである。しかし致命的な越度だつたとは思はない。著作を讀んだところで、呉氏の根底的な批判を想定した「自らの立場」が説明してある可能性はまづ皆無だからだ。それは岡庭氏が最初の投稿で呉氏に論理的に反駁せず、ただヒステリックな罵詈雜言ばかりを竝べたてた事を見ても想像がつく。だからこそ私は岡庭氏に對し、呉氏の批判を踏まへた「自らの立場」を「噂の眞相」投稿欄(=「公の場」)で明らかにするやう求めたのである。現在進行中の論爭の場で具體的な反論を示さず、「他の著作や雜誌にもう書いた」とだけ云つても、説得力は無い。

 呉氏は岡庭氏を「バカ」と罵倒したが、それは呉氏なりに筋道立てた(そして私にも正しいと思はれる)論證を經たうへでの結論である。「バカ」は論理的思考能力の缺如を端的に示す言葉であるから、珍妙な理屈を振りかざす人間を「バカ」と呼ぶ事は正しい。だが、何の論證もせず「顏が貧しい」だの「オカマ」だのと相手を侮辱する事には、如何なる正當性も存在しない。

 以上のやうな岡庭氏に對する反論は、當時は結局書かず仕舞ひであつた。岡庭氏から「讀んでゐないものをなぜ論じられるか」と痛いところを衝かれ、今更「實は立讀みで讀みました」と言ひ出せなかつたのと、岡庭氏の劍幕に恐れをなして戰闘意欲を喪失したと云ふのが正直な所である。今頃になつてこんな場所に反論を書くのは卑怯かもしれないが、岡庭氏自身が「木村貴氏への質問」と書いたのだから、十三年ぶりの「囘答」として御容赦願ひたい。もし岡庭氏がこの文章をお讀みになつたならば、どうか再反撃して頂きたいと思ふ。

 呉智英氏は「噂の眞相」における論爭の顛末を、單行本『バカにつける薬』に書いた。そこには岡庭氏や私の文章も再録されてゐる。『バカにつける薬』の單行本が雙葉社から發賣されたのは平成元年一月である。既に社會人となつてゐた私は、東京・神田驛前の書店で久しぶりの呉氏の新刊を見つけて買つた。さうして、「オールナイターズ」の裏番組になつた講演會の話とともに、「噂の眞相」への投稿が載つてゐるのを發見した。だから『バカにつける薬』は呉氏の著作の中でも最も思ひ出深い本の一つである。しかし單行本は今手許に無い。「本はどんどん處分せよ」と云ふ呉氏の教へに忠實に從ひ、文庫版を購入した後で古本屋に賣つて仕舞つたからである。當時の「噂の眞相」は、自分の投稿が載つた號も含め、とつくに捨てて仕舞つた。すなはち以上の文章中の引用は、總て『バカにつける薬』(雙葉文庫版)を參照して書寫したものである。投稿を著作に再録してくださつた呉氏に厚く感謝致します。

 追記:『バカにつける薬』(雙葉文庫版)で『金魂卷』が誤つて『金塊卷』となつてゐるのを發見。上の文章では「魂」に改めた。(ここまで平成12年8月13日)

 追記二:その後、帰郷した際、家の本棚で當時の「噂の眞相」を發見した。捨てたと思つたのは勘違ひだつたのである。(平成16年4月29日)

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呉智英氏の思ひ出(4) 投稿

 呉智英氏が月刊誌「噂の眞相」にエッセイ「折々のバカ」を一年に渡り連載し始めたのは昭和六十一年秋、私は卒業を控へた大學四年生になつてゐた。

 同年十二月號に載つた第三囘は、渡邊和博著『金魂卷』に對する上野昂志氏の論評を俎上に載せ、上野氏及び岡庭昇氏らによる「ロス銃撃事件」三浦和義容疑者の擁護論にも言及しつつ、上野岡庭兩氏に代表される「珍左翼」(呉氏の造語)の珍妙なる理論を批判する内容であつた。これに對し、岡庭氏が「噂の眞相」六十二年一月號の投書欄に「呉智英さん、ありがたう!」と云ふ「反論」を寄せた。一部引用する。

 “折々のプッツン”こと、呉智英サンが、わたしが三浦和義サンを擁護してゐるのは《”人殺し”を辯護して世の中を混亂に落とし入れ、それに乘じて革命を起こさうといふ”二段階革命論”である》(本誌前<86年十二月>號)とお書きになつてゐる。(中略)それにしても、かういふビンボー人に限つて、一億總中産階級は現實であるなんていひたがるんだから、ほんとチャンチャラをかしいよなあ。相變らず、新書本讀んぢや、インテリになれたと、ウットリしてゐるのかい? ドブ板めくつちや、幻想のアカ狩りに夜も日もあけず、オマハリさんに言ひつけつこしてるのかな? それとも、ラブホテル街の裏口のぞいてまはつては、”いけませんよー、SMは女性差別ですよー”と、例の金切り聲をあげてゐるのかしら、ネ。あんたを見てゐると、往年の奧むめを女史をおもひだすよ。愛國婦人會から主婦聯まで、半世紀にわたつて”パーマをかけてはいけません”と叫びつづけた、あつぱれ非轉向のオバサンさ(安心しなよ。あんたの名古屋で、あんたそつくりの顏をした教師が傳統をまもつてゐるさ)。(中略)男でありながら(オカマだつたらゴメン--他の人だつたらこんな氣づかひしないけどね…筆者註)主婦聯の志に生きるといふ、もうそれだけですばらしいぢやありませんか。呉智英さん、どーもありがたう!(東京都・岡庭昇・43)

 これは非道いと思つた。投稿の經驗は殆ど無かつたが、「呉智英批判に一言」と題する拙い文章を書き、「噂の眞相」編輯部に送つた。それは同じ學生である保坂博氏の「プッツンは差別語」と云ふ投稿とともに、二月號の投書欄に掲載された。私の投稿は以下の通りである(原文は略字現代かなづかひ)。

 一月號の本欄で岡庭昇氏が呉智英氏に反論されてゐますが、それについて少し自分の考へを述べたいと思ひます。

 私は、十二月號の『折々のバカ』を讀んでゐませんので、岡庭氏が引用されてゐる部分がどのやうな文脈で書かれたのかわかりません。ただ、私がこれまで讀んだ呉氏の著書などから判斷して、呉氏が、「三浦和義氏を辯護すること」自體を非難してゐるとは考へられません。むしろ、岡庭氏が”珍左翼”活動の一環として三浦問題を捉へてゐることを批判したのだと思はれます(岡庭氏が本當に”珍左翼”か、といふ議論はここでは置きます)。

 呉氏の本旨が右のやうなものだとすると、岡庭氏が公の場でまづ明確にすべきことは、三浦辯護における自らの立場でせう。その點から言ふと、一月號の同氏の「反論」はやや不滿でした。

 また、岡庭氏は呉氏の言論的立場を少し誤解(あるいは曲解)されてゐるやうに思ひます。例へば、呉氏が主婦聯的なSM反對論者であるかのやうに非難されてゐますが、これは全くの的外れとしか思へません。おそらく、岡庭氏は、呉氏が『封建主義、その論理と情熱』の中でSMに關聯して岡庭氏を批判した部分を指してゐるのでせうが、前後の文脈から判斷すれば、呉氏の立場が主婦聯的なものとは正反對であることは明らかです。

 呉氏の「バカ」といふ言葉に激昂のあまり、岡庭氏の文章中には「顏の貧しい」「金切り聲」「オカマ」等、感情的な言葉が多過ぎるやうに思ひます。

 プロの論客らしい、堂々たる論爭を今後に期待します。(埼玉縣志木市・木村貴・學生22)

 岡庭氏の口汚ない文章に憤つたとは云へ、向かうは曲がりなりにもプロの評論家、こちらは一介の學生に過ぎない。いざ書く段になると、遠慮が先に立つて隨分とおとなしい文章になつて仕舞つた。また、この文章中には不正確な部分がある。「私は、十二月號の『折々のバカ』を讀んでゐません」と云ふ件である。實は私は十二月號の「折々のバカ」を讀んでゐた。但し、本屋での立讀みである。投稿文に「立讀みでしか讀んでゐません」と書くのは何か恥づかしいし、「立讀みでしか讀んでゐないのに正確に批判出來るのか」と突込まれるのも嫌だつたので、いつそ、讀んでゐない事にしようと考へたのである。今にして思へば無意味な小細工であつた。事實、投稿が掲載された後、正直に書くべきだつたと後悔した。理由は二つあり、一つは後述するが、もう一つは、呉氏が昭和五十八年に別の場所(「本の雜誌」)に書いた岡庭批判の中で、次のやうに正直に記してゐるのを知つた事である。(強調は木村)

 私は「噂の眞相」誌の岡庭の駄文を立ち讀みではあるけれど正しく讀んでゐる(もし、私の言及がでつち上げだと主張するなら、正々堂々と反論なさつたらいかがかな)。

 確かに、立讀みでも文章の主旨を正確に理解したのなら何の問題も無い。かう云ふ事を堂々と書ける呉氏の飾らない性格と腹の坐り具合とを、私は立派だと思つた。飾らない性格と云へば、呉氏は「拾ひ讀み」が得意だと書いた事がある。「拾ひ讀み」と云つても、本を所々讀む通常の意味の「拾ひ讀み」ではなく、文字通り、驛のゴミ箱などに捨ててあるマンガ雜誌を拾つて讀むのである。これなら多數のマンガ雜誌に經濟的に眼を通せると云ふ譯だ。「拾ひ讀み」の話は、たしか講談社現代新書の隨筆集『東京情報コレクション』に収められてゐたと記憶するが、買はなかつたので確かめられない。私は「拾ひ讀み」の眞似を一二囘やつてみたが、永續きしなかつた。(平成16年4月29日)

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呉智英氏の思ひ出(3) 講演

 『封建主義、その論理と情熱』を讀んで數ヶ月後、大學の學園祭に呉氏が講演者として招かれる事を知り、その偶然に驚いた。呉氏の話を直接聽けるのは非常に嬉しく、是非行かうと思つたが、一つだけ困る事があつた。當時テレビの深夜番組「オールナイトフジ」で人氣を博してゐた女子大生タレントグループ、「オールナイターズ」が呉氏の講演と同じ時間に歌を披露する事になつてゐて、私はそのチケットをすでに買つてゐたのである。確か二千圓くらゐだつた。

 當時私は郷里の關係の學生寮に住んでゐたが、土曜の夜になると仲間數人とテレビを持つ友人の部屋に入浸つて、だべり乍ら「オールナイトフジ」を樂しんでゐた。二千圓はさして惜しくはなかつたが、學園祭を訪れたオールナイターズの山崎某や松尾某の顏を拜んでみたいと云ふミーハーな氣持ちはやや斷切りづらかつた。

 しかし今や私は、呉氏の著作によつてインテリゲンツィアの使命に目覺めた男である。ここは福澤諭吉も説いたやうに、痩我慢こそ肝要だ。オールナイターズの入場券をポケットに入れたまま、私は講演會場となる教室へと向かつた。後で友人に話したら、しつかり者のその友人は「勿体無い。誰かにチケットを賣れば好かつたのに」と言つた。成る程。しかし小心者の私は、切符を買つて呉れる人を探し囘つて賣附ける事なんぞ、思ひ附いても實行出來なかつただらう。

 講演が始まつた。私は椅子代りの木のベンチと長机とを竝べた教室の中ほどに座り、呉智英氏を初めて身近に見た。『インテリ大戰爭』の著者近影に比べ幾らか老けて見えたが、印象は事前に想像した通りであつた。痩身、への字に結んだ口、細縁眼鏡の奥の二重瞼と鋭い眼。呉氏は立つたまま、少し甲高いよく通る聲で、轉向論、柳田國男、朝鮮の反日運動等について語つた。文章と同じく、明瞭な話し振りであつた。

 呉氏は雜誌「朝日ジャーナル」西暦1984年11月23日號で、講演の模樣についてかう記してゐる。私は後日、單行本でこの文章を初めて發見した。

 會場は、つめて座れば百二十人ほど入る教室である。參加者數は約五百人(主催者側發表)。といふのは冗談で、客觀的に言へば、八十人か九十人ほどであつた。學生數四千人弱とかいふ大學の學園祭の講演會としては盛況である。/私の話は、次のやうな流れで展開した。/現在の保守化の眞因は、政治力學的解釋によつて探られるのではなく、思想の内容・思想の有効力を考へなければならないこと。そこで參考になるのが、轉向論である。(中略)/反應はまづまづ。話を終へて質疑應答に移ると、反應はさらに活發になつた。人物評、ニューアカデミズム觀、マンガ論。(『バカにつける藥』より「オールナイターズから奪つた八十人の聽衆」)

 質疑應答で私は質問しなかつた。間拔けな發言で呉氏や聽衆から失笑を買ふのが恐ろしかつたのである。しかし、呉氏の話を直接聽いた八十人の一人になれた事には深く滿足した。その後、「オールナイトフジ」と同じ土曜深夜(と云ふか日曜未明)のテレビ番組「朝まで生テレビ」で討論する呉氏の姿を見掛けるやうになつたが、現在までのところ、私が呉氏と間近に接したのは十六年前の大教室での一度切りである。講演が終り、少し肌寒い戸外に出ると、それまで微かに聞えた音樂が止んでゐた。オールナイターズだつたのだらうか。私はチケットを捨てた。(平成12年7月31日)

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呉智英氏の思ひ出(2) 熱中

 『封建主義…』の後、『インテリ大戰爭』や『大衆食堂の人々』なども讀むうち、すつかりファンになつて仕舞つた。呉氏の思想が徐々に理解出來るやうになつた事もあるが、同じくらゐ魅力に感じたのは文章である。主張は明確、表現は明晰で紛れが無い。「逃げ隱れしない男らしい文章だ」と私は感服した。そのうへ讀者を笑はせるサービス精神が旺盛である。

 好例を一つ引かう。實在の狂人「芦原將軍」をモデルにした芦原金次郎「都立松澤大學」教授と呉氏との架空對談である。「トンデモ本」ブームの發信源にもなつた雜誌「寶島30」連載當時、私はこのブラックユーモアに滿ちた問答を眞先に讀んだ。

芦原  君の『サルの正義』、讀みました。そこに収録されてゐる死刑論、つまり、死刑を廢止して復讐を認めよといふ主張は、それなりに面白い。通俗的な死刑是非論とはちがふからね。だが、まだ踏み込みが足りぬやうだ。

 おそれいります。

芦原  まあ、死刑についてはベッカリア君などもいろいろ研究をやつてゐたやうだな……。イタリア留學時代からずつと會つてをらんが、最近は元氣なのかね、あまり噂も聞かないが。

 ずつと前に亡くなりました。

芦原  えつ、死んだのか。ミラノ大學の學食ではよく一緒にスパゲッティやマカロニを食つたものだつた。さうか、ベッカリア君も死んだか。

 のちにはミラノ大學の教授にまでなられたやうですよ。フランス革命の頃ですけど。

芦原  惜しい男を亡くしたものだ。私とは考へは違つてゐたがね。(中略)

 なるほど。出典は韓愈でしたか。その韓愈にも、先生は留學中にお會ひになつてゐらつしやいますか。

芦原  バカか、君は。唐の時代の思想家に、どこへ留學したら會へるのかね。君は韓愈も知らないと見える。

 お恥づかしい次第です。(『賢者の誘惑』より)

 呉氏は『知の収穫』の小林よしのり論において、宮武外骨の言葉を引き、小林マンガの主人公を「過激にして愛嬌あり」と評してゐる。寧ろこの評言は呉氏自身にこそ當嵌まる。(平成12年7月31日)

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呉智英氏の思ひ出(1) 邂逅

 九州から上京し、大學に通ひ始めて間も無い頃だつた。國分寺驛前の本屋で何か面白さうな本は無いかと物色してゐると、題字の背景が赤で、虎と竹林と黒い兜の武士(恐らく加藤清正であらう)の漫畫が描かれた表紙が眼に入つた。『封建主義、その論理と情熱』。版元は情報センター出版局で、同じシリーズの椎名誠氏のベストセラー、その名も『さらば國分寺書店のオババ』と竝べて平積みしてある。私は虎の繪の本を手に取つた。派手な表紙だけが理由でなく、刺激的な副題に引かれたからである。そこには「さらば、さらば民主主義よ!」と記されてあつた。「さらばオババ」と「さらば民主主義」とでは偉い違ひである。私は迷はず購入した。豫想以上に面白かつた。否、私の讀書人生と物の考へ方とを變へる本の一つになつた。

 あれから十六年、椎名誠氏の本は依然として買つた事が無いが、『封建主義、その論理と情熱』(その後『封建主義者かく語りき』と改題)の著者、呉智英氏の著作は全て讀んで來た。『封建主義…』は呉氏の初めての單行本であつた。

 「面白かつた」と云つても、初めて讀んだ時には隨分驚いたり、理解に苦しんだりした部分もあつた。「さらば、民主主義よ!」と云ふ副題に引かれて本を買つたくらゐだから、私自身も民主主義乃至民主主義禮讚の風潮に對し漠然たる疑問を抱いてゐたのは確かである。しかし呉氏の根元的な民主主義批判には膽を抜かれた。

 ファシズムは民主主義である!/このきはめて明白な事實をあまりにも多くの人が知らないのには、私は、怒りを通り越して絶望感さへ覺える。

 谷岡ヤスジの飄々とした插繪が附いた頁を繰り乍ら、こんな「過激」な文章を私は繰返し讀んだ。「呉智英」が筆名であり、夢野久作の長篇小説「ドグラマグラ」の主人公に由來する事は、暫く後に知つた。

 餘談だが、雙葉文庫版『封建主義者かく語りき』の「改題増補版 あとがき」によると、『封建主義、その論理と情熱』と云ふ書名も、虎の繪の裝訂も、呉氏の本意では無かつたらしい。呉氏が當初望んだ書名は『封建主義宣言』『封建主義者かく語りき』のいづれかであつた。だが出版社側が代案として奇を衒つた書名を次々に持出した爲、「一種の妥協案として」、『封建主義、その論理と情熱』を提起したと云ふ。英文學者・批評家の松原正氏が著作の題名を『この世が舞臺』或いは『賢者の毒、愚者の蜜』にしたいと望んだが容れられず、『人間通になる讀書術』(徳間書店)に落着いたと云ふ插話を、私は想ひ起こした。

 裝訂については、さすがに呉氏も「もう代案を提起する氣力もなく、出版社の言ふがままに任せてしまつた」。雙葉文庫版の表紙は、デューラーの「パウムガルトナー祭壇畫」をあしらつた重厚なものである。これが呉氏の本來の好みであらう。さらに餘談だが、私は今年、ミュンヘンの美術館アルテ・ピナコテークを訪れ、雙葉文庫版の表紙で好きになつた「パウムガルトナー祭壇畫」の實物を觀る事が出來た。想像通り、異樣な迫力に滿ちた繪であつたが、實は二年前に不屆者に酸を浴びせられ、最新技術で修復される迄は無慘な姿だつたらしい。(平成12年7月31日)

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ジョン・リル氏に遭ふ

 5月28日、私はチューリッヒ空港のゲートで、搭乘開始を待つてゐた。すると、何だか見た覺えのある顏が前をよぎつた。あ! あれはジョン・リル氏ではないか! リルと云つても上海歸りの人ではない。ベートーヴェンを彈かせたら當代一とも云はれる英國人ピアニストである。話し掛けてみようか。だが、もし人違ひだつたら。いや、あの目玉、あの禿頭。上半身がワイシャツだけなので只の親爺さんにしか見えないが、紛れもなく、ASVから出てゐるピアノソナタ全集の寫眞と同一人物である。

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僕、ボールぢやないよ

 早期漢字教育で知られる「石井式」の繪本を購入し、三歳の娘が寢る前に讀んでやつてゐる。これは決して決して親馬鹿ではないのだが、いやあ、よく字を覺える。將來は劇團昴の看板女優にしようか、それとも早稻田大學英文科の教授にしようかと、決して決して親馬鹿なんかではなく、惱む今日この頃である。

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10月1日では遲すぎる

 フレッド・ホイルの長篇SF『10月1日では遲すぎる』(伊東典夫譯、ハヤカワ文庫)を一氣に讀了。SFと云つても硬軟樣々であるが、本篇はハードもハード、天文學者でもある作者が現代物理學の知識を動員して描いた本格的な「時間物」である。物理學(のみならず科學全般)にはからきし弱い私だが、時間物SFは好きである。以前讀んだバリントン・J・ベイリー『時間衝突』(大森望譯、創元SF文庫)は、時間が未來から過去に逆流する世界をテーマとしてゐたが、『10月1日』は、地球上に樣々な時代が同時に出現すると云ふ内容である。

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「ゴーマニズム宣言」の道徳的問題點

 小林よしのり氏の漫畫は、昔はそれこそ呉先生激賞の「マル誅天罰研究會」など讀んで喜んでゐたし、「ゴーマニズム宣言」にも以前は結構感心してゐた事を、私はまづ白状せねばならない。

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船戸與一を讀まなくなつた理由

 私は十年ほど前、『山猫の夏』『夜のオデッセイ』など、冒險小説作家の船戸與一氏のかなりの作品を愛讀した。だが、或る出來事をきつかけに、ふつつりと讀まなくなつた。

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宗教と藝術

 ドイツ・ルネサンス時代のアルブレヒト・デューラーは、最も好きな畫家の一人である。近々、ミュンヘンに出かける豫定なので、アルテ・ピナコテーク美術館でまた彼の繪を見て來たい。以前、弊サイトの「呉智英氏の思ひ出」の中で書いたが、呉氏の『封建主義者かく語りき』(双葉文庫)のカバーの繪は、デューラーの「パウムガルトナー祭壇畫」から取つてゐる。また、福田恆存氏の『現代人は愛しうるか』(中公文庫)のカバーも、デューラーの「龍と鬪ふ聖ミカエル」をあしらつてゐる。同じルネサンスでも、イタリアの繪が明るい感じがするのに對し、デューラーやクラナハ、グリューネヴァルトと云つたドイツの畫家たちの作品は、いかにもドイツらしい重厚と暗さが印象的である。

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男は默つてベートーヴェン

 EMI、デッカ、フィリップス、ドイチェ・グラモフォンなどの大手レーベルが共同で「二十世紀の偉大なピアニスト」と云ふ全百卷くらゐの厖大なシリーズを出しつつあつて、このうち、本日はスティーブン・コヴァセヴィチの「Ⅰ」「Ⅱ」(各CD2枚組で都合4枚)その他を買つてきました。コヴァセヴィチはアメリカ人で、今年六十一歳。

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バズの墜落

 三歳の娘にせがまれて、ディズニーのアニメ『トイストーリー』をヴィデオ(日本語吹替版)でかれこれ四五囘觀る羽目になつた。世界初の全篇3D・CGアニメと云ふ事で、最初は畫像に對する興味だけで觀てゐた。たしかに映像は見事である。だが、ドラマの内容も同じくらゐ優れてゐた。最近、友人が續篇の『トイストーリー2』を送つて呉れたのでこれも一囘觀た。一般には續篇の方がアクションに富み、映像も高度だと云ふ事で評價が高いやうだが、私はドラマとしては斷然、正篇に軍配を上げる。

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明るいだけのモーツァルト

 モーツァルトを胎兒に聽かせると情操豐かな子が生まれるとか、子供に聽かせると頭が好くなるとか、果ては植物に聽かせると生育に好いだとか、いろいろと阿呆な事が云はれた事がある。今でも云つてゐる?

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文化の國境と普遍

 鈴木雅明指揮するバッハ・コレギウム・ジャパンのカンタータ第1集(制作はスウェーデンのレコード會社、BIS)を聽く。立派な演奏である。クリスト教徒ならぬ日本人がバッハの教會カンタータを立派に演奏する事は不可解にも思へる。しかし再現藝術の場合、努力すればヨーロッパの一流演奏家に負けない演奏は可能である。

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トムは眞夜中の庭で

 「そのときから、ここへきて住んでるの?」
 「そのときからぢやない。バーディとわたしは、低地地方でくらしてゐて、たいへんしあはせでね。子どもは、男の子がふたり生まれた。ふたりとも大戰――いまでは第一次世界大戰といつてゐるやうだが、あの戰爭で戰死してしまつた。」おばあさんは泣かなかつた。むかし、泣いて泣いて涙をぜんぶ流してしまつたのだらう。
(フィリパ・ピアス『トムは眞夜中の庭で』 高杉一郎譯、岩波少年文庫)

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遠くにありて

「西崎くん。17歳の時つきあつてた子つて、だれ?」
「……クラブのマネージャーやつてた子。」
「好きだつた?」
「そりやあ、その時はね。」
「もどりたいわね、17歳の時に。」
「さうかな、おれは今でいいや。人生やり直すのめんどくさい。」
「(私は、もどりたい。こはいもの知らずの、なまいきな17歳にもどりたい。)」(中略)「(17歳にもどつて、西崎くんを好きになりたい。)」
(近藤ようこ「遠くにありて」第2卷 ビッグコミックス 小學館)

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ミヒャエル・コールハースの運命

 『エリオット評論選集』(早稻田大學出版部)の譯者あとがきにおいて、臼井善隆氏はかう強調してゐる。

 アメリカや英國が[木村註:灣岸戰爭で]戰つたのは、國益のためでもあるが、畢竟、サダム・フセインの侵掠と暴虐が許せぬといふ正義感からである。彼等を動かしたのは、畢竟、得ではなく徳であつた。けれども、森鴎外が言つてゐるやうに、西洋人が「徳義の民」であるといふことくらゐ日本人にとつて理解し難いことはない。

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中島梓の讀解力

 『すっとこどっこい言語學』の中に、懷かしや、「林・アグネス論爭」に關するエッセイ(「引用だらけ、林真理子を考へる」)を發見した。弊サイトと因縁淺からぬ呉智英氏も關係する内容である。筆者の黒川氏は、「論爭」に關する中島梓女史の見解を引用し、「もつともクレバーな判断」と高く評價してゐるのだが、これには異論がある。中島女史の文章を再引用する。

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佐藤亞紀のナショナリズム觀

 週刊文春4月12日號は、先週の企畫の續きとみられる「超法規的日本再生計畫 第三彈!!」を掲載。作家の佐藤亞紀女史が「負け犬國粹主義は不要」と題する淺はかな文章を寄せてゐる。

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高村薫の歴史哲學

 「歴史觀を國家に決めて貰ひたい」と熱望する全體主義者は、あちこちにゐるやうである。週刊文春4月5日號特輯「腐つた日本を叩き直せ!」(ここでも威勢の好い號令が流行である)より、作家の高村薫女史の文章。

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反民主主義の傳統

 バッハの大作『マタイ受難曲』の聽き所の一つは、民衆がイエスを罰するやう、総督ピラトに求める場面である。ピラトはイエスと盗賊バラバのいづれを赦免するかと民衆に問ふ。民衆はこぞつて云ふ、「バラバを」。

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小林秀雄と柄谷行人

 小谷野敦『バカのための讀書術』(ちくま新書)には「小林秀雄の本はほとんど全て讀んではいけない」と書いてあるさうである。理由は「小林氏の評論が日本の文藝評論を非論理的にした元兇だから」。小谷野氏の本は未讀なので斷言は出來ないが、隨分と亂暴な事を云ふ。

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言語論における神祕主義

 『言語過程説の研究』(リーベル出版)の著者、川島正平氏がウェブサイト
を開設された。川島氏は同書の中で、吾國におけるソシュール言語學の大家にして、思想家としても一部で人氣のあつた丸山圭三郎氏の「極度の現實無視の考へ方」を嚴しく批判してゐる。川島氏は、丸山氏の「コトバ以前には、コトバが指さすべき事物も概念も存在しないのである」と云ふ主張を引用したうへで、かう指摘する。

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短歌衰亡

戦わぬ男淋しも昼の陽にぼうっと立っている夏の梅 (佐佐木幸綱)
ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳(と)かして君に逢いゆく (道浦母都子)
ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう (俵萬智)

 上掲の三首の歌だけ比べれば、俵の作が一番増しである。何も秀歌だと云ひたいのでなく、それほど他の二首が非道いと云ふ事である。

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支那文學者の見識

 漢文の訓讀文は文語なのだから、當然、歴史的假名遣ひで書くべきである。ところが現在は、訓讀文を「現代かなづかい」で書くことの方が多い。吉川幸次郎氏が監修乃至編者を務めた「中國古典選」(朝日新聞社)、「唐詩選」(ちくま學藝文庫)はいづれも「現代かなづかい」である。吉川氏は、どこかで「訓讀文を歴史的假名遣で書く意味は無い」と云ふ主旨の事をちらつと述べてゐたと記憶するが、今、その出典を探し出せない。

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論理輕視の宿痾

 ウェブサイト「言葉 言葉 言葉
」の掲示板に、ニルヴァーナ小林だかストロング金剛だか、兎に角名前をコロコロ變へるふざけた輩が登場し、意味不明の戲言を書き散らした擧句、己が發言を逆手に取られて「阿呆」と呼ばれた事への腹いせか、私の名を騙つて掲示板を荒らし捲つたらしい。管理人の野嵜氏にはとんだ迷惑をかけて仕舞つた。

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2004年4月28日 (水)

村上龍の人間觀

 週間文春11月23日號で「IT四賢人、米國を打ち負かす新世紀シナリオ」なる座談會。「賢人」の一人たる村上龍氏が「私の提言」欄で曰く、

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香西秀信氏にケンカを學ぶ

 『東大で上野千鶴子にケンカを學ぶ』(遙洋子著、筑摩書房)と云ふ本が賣れてゐるらしい。上野女史は遙洋子に向ひ、「とどめを刺す遣り方を覺えるのではなく、相手を弄ぶ遣り方を覺えて歸りなさい。さうすれば、勝負は聽衆が決めて呉れます」と講釋し、遙洋子は「本物は違ふ!」とて「鳥肌が立つた」と云ふ。馬鹿馬鹿しい。

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明確に書き、明確に考へよ

 われわれの思考がばかげてゐるために英語が醜惡かつ不正確になつてゐるのだが、反面英語が亂れてゐるためにくだらない思考をいだくことが容易になつてゐる。肝心なのはその過程を逆轉できるといふことである。現代の英語、とくに書かれた英語には惡習がしみついてゐる。それは模倣によつて廣がるのであつて、その氣になつて必要な努力を拂へば囘避できるのである。さうした習慣から拔け出せば、もつと明確に考へることができるし、明確に考へることは政治の革新に必要な第一歩なのである。したがつて惡い英語との戰ひは、輕薄なことでもなければ職業的な文筆家のみの關心事でもない。
(ジョージ・オーウェル「政治と英語」 工藤昭雄譯。川端康雄編『水晶の精神-オーウェル評論集2』 平凡社ライブラリー)

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強い「敵」のゐない國

種蒔きの時に學び、収穫の時に教へ、冬に味はへ。
死者の骨の上に汝の車と汝の鋤とを行れ。
過度といふ道こそ叡智の宮殿に通ずる。
用心は無能にかしづかれた富める醜き老女である。
意慾するのみで實行せざる輩は、惡疫を發生させる。
切られた虫は鋤をゆるす。
水を愛する者をば川に浸せ。
同一の樹が賢者には見えて愚者には見えない。(以下略)
(ウィリアム・ブレイク「地獄の箴言」 壽岳文章譯『無心の歌、有心の歌』 角川文庫)

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英語公用語化論の迷妄

 小渕恵三氏がまだ首相在任中であつた今年一月、我國の將來像に關する議論を依頼されてゐた私的諮問機関「二十一世紀日本の構想」懇談會が、最終報告の一環として、「英語の公用語化」を進言した。小渕氏が病に倒れ、首相の座を追はれた今となつては、もはや話題に上る氣配さへ無いやうであり、今更論ふのも間が拔けて見えるかも知れぬ。

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太陽と十字架と

 幸田露伴は短篇小説「幻談」の冒頭で、マッターホルン初登頂で名高いウィンパー一行の遭難について、不氣味な話を記してゐる。マッターホルン征服の帰途、四人が誤つて絶壁から墜落した。殘つた四人が命からがら、幾らか危險の少ない處まで下りて來ると、遠くの空に大きな十字架が二つ、ありありと見えたと云ふ。

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小西甚一氏の愉快な惡戯

 國語辭典『廣辭苑』(岩波書店)の序文を、編者で國語學者の新村出は、或る特異な文體で書いてゐる。勘の好い人なら、全部で四頁程の文章の中に、普通なら頻用される「~してゐる」「~のやうに」と云ふ表現が一度も出て來ない事に氣づくだらう。實はこの文章は、歴史的假名遣で書いても、現代假名遣で書いても、全く同じ形になるやうに書かれてゐる。

 新村は多くの不合理を抱へる現代假名遣に批判的で、『廣辭苑』の序文も本來は歴史的假名遣で書きたかつた。しかし現實には商業上の理由により不可能である。そこでささやかな抵抗として、このやうな「一種のトリック文」を考案したのである。

 新村出の反骨精神を示す上記の插話を、私は呉智英氏の本(『讀書家の新技術』と『知の収穫』)を讀んで知つた。インターネット上では中村義勝氏の『電腦正統記』で呉氏の文章が紹介されてゐるから、御存知の方も多いかもしれない。私ですか? 私はそもそも『廣辭苑』の序文なんて讀んだ事が無いし、たとへ讀んでもボーッとして絶對に氣づかない事をお請け合ひする。上で「勘の好い人なら氣づくだらう」と書いたのは、呉氏が本(『知の収穫』)にさう書いてゐたから引き寫した迄で、私が氣づいたと云ふ意味では御座いません。

 それはさて措き、四頁程度の文章でさへ、「歴史的假名遣で書いても、現代假名遣で書いても、全く同じ形になるやうに」書く事は相當苦勞である事は想像に難くない。ところが、本を丸々一冊、文庫本で四百頁近くをこの方法で書上げると云ふ”快擧”をやつてのけた人がゐる。國文學者の小西甚一氏である。

 小西氏の『俳句の世界――發生から現代まで――』は昭和二十七年に研究社出版から初版が出て、五十六年に改訂版、平成七年に講談社學術文庫に入つた。私の手元にあるのは文庫版である。このやうな特殊な表記(但し促音拗音は小さい字。俳句等の引用は當然歴史的假名遣)で書くに至つた動機を、同氏は「學術文庫版あとがき」でかう説明してゐる。

 事の次第は、わたくしの論文「古今集的表現の成立」を『日本學士院紀要』第七卷第三號(昭和二十六年十一月)に發表させていただいた所から始まる。わたくしの原稿は「歴史的かなづかひ」で書いてあったのだが、刊行された紀要では「現代かなづかい」に改めてある。本人に無斷で表記を改めるとは、日本國憲法第十九條および第二十一條への違反ではないか――と學士院の事務局に談判してはみたけれど、お役所の論理はベルリンの壁よりも厚かった。そこで、また『日本學士院紀要』第九卷第二號(昭和二十六年七月)に論文「有心體私見」を出していただいた際は、最初から「假名づかひ」にいっさい關係なしの原稿を提出することにしたわけである。(中略)同じころ『俳句――發生より現代まで――』(木村註:『俳句の世界』の初版時の題名)の執筆を依頼されたので、右の方式が單行本でもやれるものかどうか、實險してみよう――と酔狂な遊びを試みた結果が、本書獨特の表記法にほかならない。

 小西氏は「酔狂な遊び」と控へめに書いてゐるが、新村出と同じ強烈な反骨精神を讀み取つていただけると思ふ。愉快かつ壯大な惡戲と呼んでも好いだらう。

 さて、この邊で小西氏の「愉快かつ壯大な惡戲」を具體的に御紹介したいが、何せ、「歴史的假名遣で書いても、現代假名遣で書いても、全く同じ形」の文章だから、ただ引用しただけでは面白味が傳はらない。そこで、「私ならここはかう書くだらう」と云ふ註釋を文中に[ ]で適宜插入し、小西氏がいかに巧妙に歴史的假名遣獨特の表記を避けてゐるか示してみよう。以下は山口誓子を論じた箇所(314~315頁)から採つた。なほ、促音拗音は原文の小さい字をその儘引く。

 この新しみへの積極性は、(高濱)虚子をして「邊塞に武を行(や)る征虜大將軍」と歎ぜしめた。「誰も入ったことのない原始林に斧をうちこむ開拓者」とでも言ってほしかったね[言ふべきだつたらう]。誓子が「新しい現實」といったのは[誓子が云ふ「新しい現實」とは]、おもに素材をさす。(中略)俳句では御穩居的な花鳥諷詠しかできないものだと觀念しておいでになった[觀念してゐた]當時の人びとは、脚もとが地震のごとく[地震のやうに]搖れるのを感覺なさったに相違ない[違ひない]。(中略)その視覺がどんな[どのやうな]ものであるかは、用語の特異さを見るだけでも、たいてい想像がつくはず[つくだらう]。(中略)この敏感にして潔癖なる漢字の選擇も、誓子の神經が尋常でないことをものがたる[ものがたつてゐる]。當今の大學生では、手も足も出ませんね[出ないだらう、出ないでせう]。(中略)近代性をめざす誓子が、ひどく古いことばをふり廻すのは、なんか矛盾みたい[矛盾のやう]だが、けっして矛盾ではない。

 どうです、見事な物でせう。一讀してまづ氣がつくのは、「言ってほしかったね」だとか、「手も足も出ませんね」だとか云ふ調子で、すなはち、話し言葉で書かれてゐる點である。この本は、學生を相手にした講義ノートが元になつてをり、その口調を意識的に文章に殘してある。これが特殊な表記で本を丸々一冊も書けた最大の秘密であらう。しかしそれにしても、實にうまく逃げてゐる。

 小西氏の偉い所は、かう云ふ特殊な文體で書いても、決して文意が不明瞭になつたり文章が不自然になつたりしない點である。むしろ、我々も「~と思ふ」とか「~と云ふ」とか云ふ言葉は文章で出來るだけ使はない方が冗長にならなくて好ましい(と言ひながら、上で早速「とか云ふ」と使つて仕舞つた)し、「~してゐる」と云ふ表現も、成るべく「~する」と終止形や聯體形にした方が簡潔である。獨特の話し言葉は、名講義を間近に聽くやうな好い味を釀し出してゐる。文章の眞の達人と言はねばならぬ。

 勿論、本の内容そのものも面白く、爲になる。小西氏の俳句論を正面から論ふ能力は無いので、少し脇道にそれた處を主に、私なりに感心したり思はずにんまりしたりした箇所を幾つか御紹介しよう。

 まづ、「廣島の夜陰死にたる松立てり」と云ふ句を批評して。

 作品は、そのとき限りのものではない。幾百年後の人にも、生きいきとした感動をよびおこすものでありたい。それが、すべての作家の願望であるはず。ところで、この「廣島」は、幾百年後でも昭和二十年と同程度のなまなましさを持ちうるかどうか。疑問である。そこへゆくと、季節に結びついた感覺は、幾百年を隔てようとも、それほど變るものではない。それが、季語の存在理由ではないか。(28頁)

 次に、芭蕉を學ぶ事について。

 なに、そんな難かしい理屈はわからない――、それは弱りましたな。何しろ芭蕉は俳諧史のエヴェレストなんですからね。骨は折れますよ。しかし、骨を折らずにこの偉人を理解しようなんて心がけは、そもそも乞食根性ですよ。ふところ手では、何も食べられません。もっとも、ポカンと口をあいてれば、なんでも食べさせてあげるといった式の教授法を振り廻す民主教育學者もありますが、そんなうまい話を信用してはいけませんね。かりにそれが有效だとしたところで、そんなことばかりで育った子どもは、大學を出るころ何をする元氣も無くなり、人生をトボトボ送るほかなくなりますよ。(116頁)

 「俗」について。

 これまでの表現に足をとめず、常に「新しみ」を追求してゆくのは、はじめにいった「俗」の精神にほかならない。が、俗には、いろいろある。俗っぽい俗もあれば、純眞な俗もある。ニュー・ルックとかなんとか、だいたいカタカナで表記される種類の流行は俗っぽい俗の代表だが、まだ他に實例が要るなら、原宿や六本木でも歩いてごらんなさい。あさましい俗がいくらでも目につく。こんな俗は、どんどん消えてゆく泡みたいな俗で、その中から不易なるものが生まれることは、ぜったいありません。不易が生まれるのは、もっと高い俗である。(146頁)

 芭蕉が住んだ幻住庵を訪ねた時の事。

 幻住庵に行ってみたのは何十年か前ですが、雨戸も柱もいっぱいの落書でして、平和憲法で自由を保障された文化國家の実態を見せつけられました。(149頁)

 こんな插話もある。

 三島由紀夫は、(山口誓子と)同じく法學部の出身なのだが、わたくしに「いや、刑事訴訟法とは、美しい學問ですよ。あらゆる學問のなかで、たぶん、いちばん美しい」と反論したことがある。かなりウィスキイの入った後の話だから、どこまで正気で言ったのか確かでないけれど(以下略、313頁)

 最後に、現代の俳壇に關聯して。

 四十年前に草田男・楸邨・波郷の苦心して生み出した多くの句は、いまの群小作者たちでも樂に作れるものとなった。まして元祿期や天明期の俳壇にいたっては、問題にならない。(中略)それほど、現代の技術水準は向上した。しかし、表現技術の向上と、それが人を感動させるかどうかとは、別の問題に属する。(366頁)

 以上紹介した他にも、「中國」と云ふ言葉を使はず「シナ」と書いたり、固有名詞は正漢字で表記したりと、随所に小西氏の見識が表れてゐる。小著だが、西洋文學理論にも通じた同氏の力量が發揮された、甚だ有益な書物であり、一讀を是非お勸めしたい。(小西氏の壯大な惡戲はとても眞似出來ないが、私も上の最後の一文でささやかな遊びを試みた)

追記:小西氏は『俳句の世界』が文庫になるまでの四十三年間、表記の種明かしをしなかつた。ちつぽけな「遊び」すら書いた傍から喋りたくなる野暮な私とは大違ひの、粋な人である。(平成12年4月8日)

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ヒルティの『幸福論』

 スイスに來てほぼ一年が過ぎたが、素朴とか質實剛健とかいふ言葉がこれほど似合ふ國は無いと感ずる。私の住むチューリッヒの町竝は華やかではないけれども、心を落ち着かせて呉れる。暮らす人々は外來者に對して直ちにあけつぴろげな人懷つこさは見せて呉れないかもしれないが、朴訥で人情味があり、きれい好きで交通マナーが好い。

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西暦二千年に思ふ

 もうすぐ西暦二千年を迎える。日本の「ミレニアム騷ぎ」は實にくだらぬが、さりとて「クリスト教の暦が代替りするからといつて、日本人に何の關係があるか」と言ひ捨てることはできない。現代は鎖國時代ではない。日本は五十年以上も前にそのことを思ひ知つた筈だ。

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松原正名言集 愚者も政治家を罵る

 鈴木首相、福田元首相、および二階堂幹事長による後繼總裁選出についての話合ひを、サンデー毎日十一月七日號は「限りなく愚かで、醜惡で、バカげてゐて、笑ふ氣さへしない茶番劇」と評し、「國民は、彼らに見合つた政治家しか持てないといふ。だが、我々はこんなにも愚かで、こんなにも哀れな國民だつたのだらうか」と書いてゐる。政治家は「限りなく愚かで、醜惡で、バカげて」ゐるが、週刊誌の記者を含む日本國民は決して愚かでないと毎日は言ひたいらしい。が、果たしてさうか。(中略)やはり、政治家と國民は破れ鍋に綴蓋なのである。/しかるに、綴蓋が破れ鍋の「醜惡」を言ふ滑稽に、大方のジャーナリストも政治評論家も氣づく事が無い。(「愚者も政治家を罵る」『續・暖簾に腕押し』 地球社 140頁)

 松原正氏が上記の文章を書いたのは昭和五十六年だから、もう二十年近く前である。しかるに現在に至るも、政治家の「『醜惡』を言ふ滑稽」は堂々と罷り通つてゐる。

 週刊新潮十一月九日號は、中川秀直官房長官の辭任劇を受けて卷頭で四頁にわたる政治記事を載せた。その題名が「この國の誇りある人々を失望させた森首相、中川スキャンダルを人權侵害とのたまふ自民黨の厚顏、永年の利權にあぐらをかいて猿芝居ばかりのあなた方に國民は呆れ返つてゐる」。無闇に長いタイトルで注意を引かうと云ふ算段だらうが、この題名を見ただけで、如何に空疎な内容か想像がつく。少なくもこの私は、「中川スキャンダルを人權侵害とのたまふ自民黨の厚顏」とやらに呆れ返つてなどゐない。呆れ返るべき対象は、週刊新潮の知的怠惰の方である。

 中川長官に「トドメ」を刺したのは、週刊新潮と同じ版元の「フォーカス」誌がテレビ局に提供し、ニュースー番組で一齋に流された長官と「愛人」との會話録音テープである。新潮の記事によると、亀井静香政調會長は自民黨の會合で「一連のテレビ報道は明らかに人權侵害だ。個人的なことを際限なしに放送したらどういふことになるのか。人權と報道の問題を考へるため、通信部會の小委員会で檢討していきたい」と「まくしたて」、野中幹事長は「おつしやる通り」と相槌を打つたと云ふ。新潮は「野中氏や亀井氏の思想はまさしく全體主義國家のそれ」と息卷くが、亀井氏野中氏の言ひ分のどこが「全體主義國家のそれ」なのか。新潮の記者や編輯者は、夫子自身の「個人的なことを際限なしに放送」されても構はないと云ふのか。

 かう云ふと、新潮はきつと「政治家は公人だからプライヴァシーなんぞ無いのだ」と反論するであらう。實際、この記事でも用意周到に元衆議院議長の田村元氏からそのやうな趣旨の談話を取つてゐる。では尋ねるが、週刊誌記者や編輯者を含むマスコミ關係者は「公人」ではないのか。國民の「知る權利」に應へるとの大義名分の下、「報道の自由」を付與された報道關係者こそ、現代における「公人中の公人」ではないのか。マスコミ關係者は立派な公人として、自分自身や親族や「愛人」やのプライヴァシーをテレビや雜誌で暴き立てられても文句は言へないと云ふ事になりはしないか。マスコミは民間企業だから違ふと云ふか。それなら銀行の頭取や大企業の社長は「公人」でないと云ふのか。今はテレビタレントですら「公人」扱ひされる世の中である。

 「公人」を理由に人權侵害が許されるのであれば、少なくも「公人」とは何か、そして「公人」に對しては如何なる理由でどの程度迄の權利侵害が認められるかと云ふ事をはつきりさせておかなければ、多少なりとも公共に係はる仕事に就く人間は枕を高くして寝られなくなる。そして、廣い意味の公共に全く係はらない仕事なんぞ世間に存在しないのだから、國民全員が安眠出來ないと云ふ事になる。「全體主義國家」よりもこちらの方が餘程恐ろしいではないか。いやいや、これこそ「全體主義國家」なのである。獨裁者の名を「嫉妬」と云ふ。

 新潮はさらに亀井氏の「人權侵害」と云ふ言葉に噛付き、「人間通」の谷澤永一氏を擔ぎ出して人權思想批判を一席ぶたせる。谷澤氏曰く、人權といふ言葉を生み出したルソーはもともと孤兒で、ジゴロで、五人の子供を捨て子にした人物である。「今囘、亀井、野中といふ出たとこ勝負のハッタリ人間がかういふ言葉を使つて自分たちの利益を守らうとしたことで、國民も人權といふ言葉の本質を改めて知つたんぢやないでせうか」。

 勿論、人權思想の根本に潛む危險から眼を逸らすべきではない。だからと言つて、「人權」と名の附くものを全て排除すれば、人權思想のうへに打建てられた現代の法秩序は滅茶苦茶になつて仕舞ふ。例へば日本國憲法第三十一條の定める法定手續の保障、第三十二條の定める裁判を受ける權利等が無くなれば、我々はいつ闇黒裁判で有罪の濡れ衣を着せられたり、私刑で殺されたりするか判らなくなる。アメリカの「訴訟地獄」に見るやうに法治主義にも弊害はあるが、だからと云つて、法治主義を安易に否定すれば、さらに大きな弊害が待つ事は云ふまでもない。

 プライヴァシーの保護は、憲法においては通信の秘密、住居等の不可侵等として規定され、刑法においても通信の秘密や住居を侵す事は犯罪と規定されてゐる。日本が法治國家である以上、正當な理由が無い限り侵してはならない權利である。録音テープを材料に中川長官に辭任を迫つた報道機關や政治家やそれを支持する國民は、目的さへ正しければ法を踏みにじつても好いと考へてゐるのである。野中幹事長は北朝鮮寄りだとて屡々非難されるけれども、「中川スキャンダル」で御粗末な法意識を露呈した日本人が北朝鮮の全體主義を批判する資格は無い。

 無論、中川長官は録音テープを證據に犯罪容疑者として逮捕された譯ではない。官房長官の職を辭しただけであり、國會議員としての身分は保持してゐる。しかし、だからこそ始末に惡いのである。不正な手段で入手された「證據」(と云ふには餘りにも具體的搜査情報に乏しい會話内容であるが)で閣僚が逮捕されたのなら、まだしも贊否を巡る議論が起こる望みがある。だが今の世の中、高々官房長官を辭めたくらゐでは誰も問題にして呉れない。それほど日本國民の法感覺は麻痺してゐるのである。これは中川氏が政治家として有能かどうかと云つた議論とは全く次元の異なる問題である。

 一般國民にとつて、身分の高い政治家を嘲笑したり罵倒したりする以上の痛快事は無い。しかし、政治家に限らず、他人を嘲笑し罵倒したからと云つて、自分自身がその分立派になる譯ではない。一人前の大人ならば、自分と政治家とは所詮「破れ鍋に綴蓋」である事を忘れてはならぬ。しかるに、大半の日本人はそれを忘れて、己が「正義」に醉拂つてゐる。もはや病膏肓に入ると云ふべきであらう。
(平成12年11月10日)

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松原正名言集 戰爭は無くならない

 未來永劫人間は決して戰爭を止めはしない。なぜなら、戰爭がやれなくなれば、その時人間は人間でなくなる筈だからである。では、人間をして人間たらしめてゐるものとは何か。「正義とは何か」と常に問はざるをえぬといふ事、そして、おのれが正義と信ずるものの爲に損得を忘れて不正義と戰ひたがるといふ事である。即ち、動物は繩張を守るために戰ふに過ぎないが、人間は自國を守るために戰ふと同時に、その戰ひが正義の戰ひであるかどうかを常に氣にせずにはゐられない。これこそ動物と人間との決定的な相違點なのである。(『戰爭は無くならない』 地球社 14頁)

 シェイクスピアの戯曲『あらし』は、暴風雨に襲はれ沈沒寸前の船上の場面から始まる。仕事の邪魔だからと云つてもなかなか船室に降りようとしない老顧問官ゴンザーローを、水夫長はかうどやしつける。

 あなた樣は顧問官だ――一つ、命令一下この浪風を鎭め、忽ち凪にして貰ひませうか、さうすれば、私らはもう一生帆綱に手は出しますまい。さ、御威光を見せて頂きませう……それが出來ないなら、よくぞけふまで生き延びて來られたものと神樣にお禮を申述べて、一先づ船室に引き退がつて、今はの覺悟をして置いて貰ふんですな(後略)。(福田恆存譯)

 無論、たとへナポリ王國の顧問官とて、「命令一下この浪風を鎭め、忽ち凪に」出來る道理は無く、ゴンザーローはすごすごと引き退がる。水夫長がゴンザーローをかくの如く罵り、それを聽いたゴンザーローが默つて退散するのは、二人の登場人物が、すなはち、作者たるシェイクスピアが、神ならぬ人間に自然を意の儘に操る事など絶對不可能であると云ふ、餘りにも當然の事を知つてゐるからに外ならない。

 しかるに現代の日本國では、信じ難い事に、「命令一下、浪風を鎭め」るのと同樣の奇蹟を起こせるかのやうに振舞ふ國會議員が多數を占め、國民もそれを怪しまない。森總理の「神の國」發言騷動の蔭に隱れて餘り話題にならなかつたが、去る衆議院總選擧の直前、聯立與黨は「戰爭訣別宣言」なるものを提案し、衆院本會議において與黨のみで可決した。野黨は決議に反對したけれども、宣言の内容に反對した譯ではなく、「神の國」發言による失點を與黨が挽囘すると困るから抵抗したに過ぎない。

 自由黨の西村眞悟代議士は、選擧終了後に「世論」誌に寄せた文章で、「病氣訣別宣言をすれば、病氣が消えて無くなり醫者も病院も不要になるのか。子供でもこのやうな決議を信じない」と批判し、選擧戰中にも同樣の批判をしたさうだが、西村氏によると、「戰爭訣別宣言」のかかる幼稚と僞善とを指摘した候補者は同氏以外には皆無だつたと云ふ。「神の國」發言を躍起になつて非難した知識人もメディアも有權者も「戰爭訣別宣言」は全然批判しなかつた。恐るべき事である。

 また、「文藝春秋」十月號の「新聞エンマ帖」からの孫引きだが、「東京新聞」は八月十五日付朝刊社説で以下のやうな「トンデモ」ない提案を行つたと云ふ。

 「日本は2045年までは、いかなる戰爭にも參加しない」。このことを内外に誓ひ、實行することです。1945年の敗戰から百年です。既に五十五年やつてこれたのですから、あと四十五年、私たちの努力しだいで達成できないことはありません。

 戰爭をやらずに「既に五十五年やつてこれた」のは、冷戰が續くと云ふ幸運に惠まれたからに過ぎない。そもそも、日本人は戰爭に「參加」しない爲に此れ迄どんな「努力」をしたと云ふのか。「『參加』つて何だ。戰爭をオリンピックか何かと間違へてゐるのではないだらうか」と「エンマ帖」子は呆れ果ててゐるが、確かに、平和惚けの極樂蜻蛉も此處まで來るともはや笑ふしかない。

 松原氏が斷言する通り、「未來永劫人間は決して戰爭を止めはしない」。人間は動物と同じく「繩張」を守らうとする本能があるばかりでなく、厄介な事に、動物と異なり正邪善惡を氣に懸けずにゐられない存在だからである。正義を氣に懸けると云ふ特性を捨去れば、戰爭は無くなるであらう。だが地球上から嵐を消し去る事が不可能なのと同樣、人間は斷じてその特性を捨て去る事は出來ない。「吾々は父親を殺し母親を犯して平然としてはゐられまい」。

 それでも「平和主義者」が人間に正邪善惡の觀念を捨てさせたければ、スタンリー・キューブリックが映畫『時計仕掛けのオレンヂ』で描いた如く、人間全員の腦に電氣的手術でも施すしかあるまい。だがその時、人間は人間で無くなるのである。(平成12年9月15日)

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2004年4月27日 (火)

松原正名言集 「である」と「であるべきである」と

 これでお仕舞にしたいが、よろづ「である」と「であるべきである」との二元論は我々に無縁である。十九世紀のイギリスの詩人ウイリアム・ブレイクに、「無心の歌」と「經驗の歌」と題する二つの詩集がある。二つの詩集についてブレイクは「showing the two contrary states of the human soul」だと云つてゐる。善と惡、肉體と精神、神と人、惡魔と天使、自己と他者、自己と呪ふべき自己といつた具合に、互に對立するものの雙方をブレイクは重視する。(中略)/ブレイクは赤子の顏に神のイメイジを見る。が、同時に泣きむづかつて己れの欲求を滿足させようとする惡だくみをも看て取る。兩親が原罪を犯し、その結果生まれて來た赤子なのだから、百パーセント無邪氣である道理が無い。ブレイクに限らず、偉大な作家はしかく知的に誠實であり、二元論的であり、それゆゑ徒に「威勢のよい」事は決して書かない。(「最終講義」『月刊日本』平成12年3月號掲載)

 去る四月、當時の小渕恵三總理大臣は脳梗塞の爲倒れ、意識不明の重體に陥つた。小渕氏入院から公表までの「二十二時間の空白」を經て、會見に臨んだ青木幹雄官房長官は、「小渕氏から口頭で首相臨時代理に指名された」として、その後内閣総辭職を決定。「密室協議」で總理候補に撰ばれた森喜朗氏を首班とする新内閣が發足した。しかし、この成立過程には法的に重大な疑義が存在する。これについては、ウェブサイト「言葉 言葉 言葉」の作成者たる野嵜健秀氏が同サイトの「反近代の思想」掲示板において既に指摘してゐる。

(中略)森「首相」が誕生しましたが、あれは不法な手段で以て成立した内閣ではないですか。小渕さんは意識のない状態だが、さう云ふ總理大臣を解任して良いと云ふ規定はない筈です。

  内閣法 第9条[内閣総理大臣の臨時代理]
  内閣総理大臣に事故があるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に内閣総理大臣の職務を行う。

 勞働基準法には以下の規定があります。本人が退職の意思を示さない限り、誰かに勝手に解雇される事はありません。

  労働基準法 第19条[解雇制限]
使用者は、労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかり療養のために休業する期間及びその後30日並びに産前後の女子が第65条[産前産後]の規定によつて休業する期間及びその後30日は、解雇してはならない。

 また、憲法には以下の規定があります。

  日本国憲法 第14条 
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない。
  日本国憲法 第31条 
何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

 勞働者の權利は保護されるが、内閣總理大臣の權利は保護されない、と云ふのはをかしい。また、「政治の空白」を理由に、「法律の定める手続きによらな」いで、内閣總理大臣を解任する事は許されない。 ――もちろん、現實追隨主義者の連中に私の主張が理解出來ない事は解つてをります。しかし、今囘の不法行爲を認めるのならば、日本人に法律は要らない事も認めねばなりません。 (「現在、Yahoo!掲示板に投稿出來ず」 投稿日 : 100年4月12日<水>20時15分)

 野嵜氏が説く通りであつて、森政権の法的正當性は極めて疑はしいのである。だが「週間新潮」五月十八日號に載つた岡野加穗留明治大學元學長の談話に據れば、「ともあれ森内閣が發足した今、自民黨中樞はこの問題について”終つたことはしようがない。あへて振り返らないのが日本の習はしだ”といはんばかり」だと云ふ。大半のジャーナリズムも六月實施と云はれる解散・總選擧へと關心を移し、「今更」森内閣の法的正當性を衝く氣は無いやうである。しかし、内閣の法的正當性に關する議論がなほざりにされる日本のこの現實は、次の選擧がどうなるかと云つた事よりも、遙かに深刻な問題を孕んでゐる。

 法社會學者の川島武宜氏は、日本と西洋との法意識の相違についてこう説いてゐる。少し長いが引く(強調は木村)。

 ヨーロッパやアメリカの思想の傳統においては、法律の規範性ないし當爲性と、現實の社會生活とは常に對置され、法的過程はこの二つのもの――當爲と存在――の緊張關係の中にあるものとして觀念される。このやうな理念と現實との二元主義の考へ方は、法にのみ特有なものでなく、ヨーロッパの宗教(神と人間の絶對分離、霊と肉との相克)や道徳(カントの道徳哲學はそのもつとも典型的な表現であらう)においても基調をなしてをり、法についての二元主義の考へ方もこの思想的潮流の一つの側面でしかないやうに思はれる。このやうな二元主義においては、當爲と存在とは明確に分離對置され、規範の當爲性は確定的なものとされる。(中略)/しかし、日本には、このやうに現實と理念とを厳格に分離し對置させる二元主義の思想の傳統はない(或いは、きはめて弱い)やうに思はれる。神は人間から超絶した存在ではなく、戰場にゆく兵士は、「(神となつて)靖國神社で會はう」と誓ひあふことになつてゐた。プレスティージの高い者は死んで神になり(東照宮、東郷神社)、また「生き神樣」は種々の型態でわが國に存在してゐる。同樣に、道徳や法の當爲と、人間の精神や社會生活の現實とのあひだには、絶對的對立者のあひだの緊張關係はなく、本來的に兩者の間の妥協が豫定されてゐる。したがつて、現實への妥協は、「なしくづし」に、大した抵抗なしに行なはれる。さうして、そのやうな現實との妥協の型態こそが、「融通性のある」態度として高く評価されるのである。(『日本人の法意識』、岩波新書、43~45頁)

 『日本人の法意識』が書かれたのは昭和四十二年であるが、それから三十年以上を經た今も、正當な法的裏附け無しに總理を撰ぶと云ふ「現實への妥協」が、「『なしくづし』に、大した抵抗なしに行なはれる」事は何ら變はつてゐないし、さうした妥協が問題視されるどころか、むしろ「終つたことはしようがない。あへて振り返らないのが日本の習はしだ」とて、「高く評価される」のも同じだと云ふ事になる。それでは我々は、變はらなかつた事を、「日本の傳統が守られた」とて壽ぐべきなのか。殘念ながら否である。 松原氏の師である福田恆存氏は、かう述べてゐる。

 日本人には、理想は理想、現實は現實といふ複眼的なものの見方がなかなか身についてをりません。自分ははつきりした理想を持つてゐるといふ意識、それと同時に、現實には、しかし理想はそのまま生かせられないから、かういふ立場をとるといふ現實主義的態度、つまり態度は現實的であり、本質は理想主義であり、明らかに理想を持つてゐるといふのが、人間の本當の生き方の筈です。これは個人と國家を問はず同じ筈です。これをもつと日本人は身につけるべきだと私は思つてゐます。(「私の政治教室」、『福田恆存全集』第六卷、文藝春秋)

 二元論の勸めである。私も福田氏や松原氏と同じく、日本人は二元論的、複眼的な「ものの見方」をもつと身につけるべきだと思ふ。西洋人でない我々が、なにゆゑ西洋人の流儀を學ばねばならないか。我々が既に法治主義と云ふ西洋の制度を受入れて仕舞つたからであり、弱者は強者の流儀を學ばねば生きてゆけないからであり、同時に、ともすれば極端に振れやすい一元論の短所を補ふ爲である。松原氏は最後の講義でかう説く。「徒に威勢のよい言論に欺かれない事、早稻田大學を去るにあたり、それを私は何よりも諸君に望む。そして安直な一元論に欺かれないためには歐米の優れた作家思想家に學ぶしかない。」

 なほ、少しく補足して述べておきたい事が有る。『日本人の法意識』を書いた元東京大學名誉教授、川島武宜氏(故人)は左翼思想の持ち主であつた。保守派論客の中川八洋氏は、著書『國が亡びる』(徳間書店)において、川島氏をかう手嚴しく批判してゐる。


 川島武宜は、「民主主義は、個人の主體性を否定するやうな意味での<共同體的>な……家族を解體し、家族を主體的な個人と個人との關係とすることを要求する」と定義するが(『日本社會の家族的構成』、日本評論社、170頁)、それは個人がアトムとなる共産社會そのものではないか。夫と妻が、あるいは親と子が、そして兄弟間がそれぞれ相互に獨立して個(アトム)と化した状態、それがマルクスが理想とした共産社會である。つまり、川島の「民主主義」は、一寸の異論の餘地なく「共産主義」のことであつた。(141~142頁)

 私は、少なくも『日本人の法意識』における川島氏の現實認識は正鵠を射てゐると思ふ。しかしそれにしても、右派論客とみなされる福田氏や松原氏と、左翼の川島氏とが、日本人の精神について同じ認識(二元論の不在)を強調するとは、聊か意外に感ずる讀者が多いのではなからうか。

 川島氏のやうな左派知識人と、福田氏や松原氏との最大の違ひは、その人間觀・文化觀に有る。左翼は、日本人が西洋の流儀を身に附ける可能性について至極樂觀的である。彼等に云はせればマルクス主義は「普遍の眞理」なのだから、西洋だらうが日本だらうが、變らず通用する筈である。

 これに對し、松原氏は「安直な一元論に欺かれないためには歐米の優れた作家思想家に學ぶしかない」と述べた直後に、かう續けるのである。

 無論、いかに眞摯に學んでもそれが我々のものになる譯ではない。(中略)/文化は普遍的でないから意識して模倣し得ない。絶對者あつての「原罪意識」も、「汝の敵を愛せ」との教義も、絶對者の死が齎すニヒリズムや不條理も、我々にとつては、所詮、餘所事であつて、我々のなし得る事、なさざるを得ぬ事は、餘所事の餘所事としての理解に過ぎない。そして、さういふ「上滑り」の努力を、情けない事に、今後も我々は續けなければならない。歐米との交際を止める譯には行かず、歐米に「斷乎ノーと言へる日本」ではないからである。

 プロレタリアートを撰民と見做し、革命成就の曉に千年王國を夢見るマルクス主義も又、クリスト教拔きには成立し得なかつた西洋固有の思想である。それを安直に移植出來ると信じた日本の左派知識人は、淺薄であつたと云はざるを得ない。クリスト教の絶對的な神でなく、日光東照宮や東郷神社や靖國神社やを尊ぶのは、日本人が慣れ親しんだ生き方の流儀、すはなち文化であり、西洋舶来のものに切替へようとして切替へられるものでない。

 にもかかはらず、夏目漱石が歎いた「上滑り」の努力を我々は續けなければならない。努力する現實を虚しいと知りつつ、なほ理想を目指して努力する事。その事自體が、二元論的思考を學ぶ事なのである。
 (「月刊日本」に最終講義の内容が掲載されてゐる事を御教示くださつた野嵜健秀氏に厚く感謝します)
(平成12年5月14日。平成16年4月27日書式修正)

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松原正名言集 かはいさうな三島

 三島の「天皇陛下萬歳」を「割腹、刎頚」と切離す事は出來ない。「天皇陛下萬歳」といふ言葉は、いはば崖縁に立つた三島を崖下へ突落とす役割を果したからである。人を食ふ事が大好きだつた、きざで傲慢な知識人が、今は一人のあはれな、平凡な、「前近代的」な日本人になつてしまつてゐて、その時、「天皇陛下萬歳」といふ言葉は確實に三島を動かした。これまで散々扱下ろしておいて、今更こんな事を言つても容易に信じて貰へまいが、東方總監をふん縛つてからバルコニーに立つて野次り倒され、揚句の果てに割腹するまでの三島を私はかはいさうだと思つてゐる。/そして、そのかはいさうな三島は眞摯であつた。逆上してゐたものの本氣であつた。本氣だつたからこそ、「文化概念としての天皇」ではなく、「天皇陛下萬歳」といふ簡單な言葉が彼を動かした。無論、それは重い荷物を持上げる時に發せられる「よいしよ」といふ掛け聲のやうなものでしかなかつたが、それでも、自衞官に野次り倒され、猿芝居の退路を斷たれ、本氣にならざるを得なかつた哀れな三島の、それは眞摯な叫びだつた。(『文學と政治主義』 地球社 233頁)

 松原正氏は、論壇では保守派に属する論客とみなされてゐる。否、同氏自身が「私は一應右の目高に屬する」と明言してゐる。「右」である筈の松原氏が、同じく「右」である三島由紀夫を「散々扱下ろ」すとは面妖だと、いぶかしむ讀者がゐるかもしれぬ。しかし、そこが松原氏の眞骨頂なのである。

 たとへ政治信條が同じであつても、知的・道徳的に怠惰で許し難い相手は遠慮なく斬る。逆に、政治的には「敵」である左翼であつても、例へば知的・道徳的に眞摯であつた中野重治の事は、堂々と高く評価する。政治主義的な人間から見れば迷惑千萬で愚かな事だらうが、眞の言論人や文學者はさうでなければならぬ。さうでなければ、世の中には政治だけ存在すれば十分で、言論も文學も不要と云ふ事になる。すなはち、言論人や文學者が政治主義に走つたり屈したりする事は、言論と文學との自殺行爲なのである。そして、まつたうな言論や文學が亡びれば、まつたうな政治も存在し得なくなる。

 さて、三島由紀夫について松原氏は、「頭は惡くなかつたから、天皇や自衞隊について鋭い問題提起をしてはゐる」と肯定的な評価もしてゐる。だが、三島には「他者を愛する事」が出來なかつた、と嚴しく批判する。「己れしか愛せなかつたから、(中略)他者の中の、己が意のままにならぬ部分は、これを徹底的に無視した。彼が讚へたのは己が觀念の中にのみ存在する他者であつた」と松原氏は書く。すなはち、三島が天皇を崇敬し、自衞隊を持上げて見せるのは、結局は上面だけの事であつて、一皮剥けば、「己が意のままにならぬ部分は、これを徹底的に無視する」と云ふ身勝手かつ不敬、不遜な本性が顏を出すのである。

 三島は昭和四十五年十一月二十五日に自害する一箇月前、文藝評論家の磯田光一にかう語つたといふ。「本當は宮中で天皇を殺したい、(中略)人間天皇を抹殺する事によつて、(中略)超越者としての天皇を逆説的に證明する」。三島は「人間宣言」をした昭和天皇が許せなかつた。「人間天皇」は、「己が觀念」にそぐはない天皇だつたからである。

 中野重治は、昭和天皇が人間宣言をしたにもかかはらず、一般國民竝みの自由を享受出來ない事に深く同情し、「あそこには家庭がない。家族もない。どこまで行つても政治的表現としてほかそれがないのだ。ほんたうに氣の毒だ」と「五勺の酒」に書いた。「左翼」の中野は、「右翼」の三島よりも、天皇や皇室の置かれた困難について遙かに深く、親身になつて考へてゐた。

 自衞隊についても同樣である。「屡々體驗入隊をした筈なのに、三島は自衞隊について甚だ無知であり、ありのままの自衞隊を見ずして、己が意のままになる自衞隊だけを見てゐた。」詰まり、著名作家の自分が市ヶ谷駐屯地のバルコニーで少し演説をぶちさへすれば、自衞隊は全員とは言はぬ迄も一部が直ちにクーデターに起ち、日本中が蜂の巣をつついたやうになり、「憂國之至誠」ゆゑの絶望を、世人は必ず承認するやうになると信じてゐた。

 しかし現實には、集つた自衞官たちに「野次り倒され、揚句の果てに割腹する」仕儀となつた。民主國家の軍人であり、「烏合の衆にして野次馬」でもある自衞隊員が、精々「體驗入隊」でしか接した事の無い作家から演説で唆されたくらゐで、クーデターに踏み切る筈が無いと云ふ道理に思ひ到らなかつた。また、自分と共に起つと信じてゐた一部の自衞官がぎりぎりで裏切る事を讀めなかつた。文學者は眞の意味での人間通である筈だが、三島は自己愛ゆゑに眼が曇つていゐたのである。

 作家の大西巨人は、小説「迷宮」(光文社文庫)の作中人物にかう語らせてゐる。「言論・表現公表者の作物は、必ず常に『社會一般に施す法として考へた場合のもの』として世に出されねばならず、また社會からそのやうなものとして享受されることを覺悟してゐなければなりません(中略)。それが、言論・表現公表者の責任です」。その通りである。言論人や文學者は自分の發言に道徳的責任を持ち、常に社會への影響に氣を配らなければならぬ。

 死して三十年、以下のやうな愚劣な意見が、己れの名とともに開陳される事に、草葉の蔭の三島はどんな感懷を抱くであらうか。酷なやうだが、責任の一端はクーデターを安易に考へた三島自身にもあると思ふ。少し長いが、「ヤフー」の軍事カテゴリー掲示板より「22歳/男性」の投稿を引用する。(強調箇所は木村)

 インターネットで戯言を言って,無駄愚痴を叩いて遊んでいる場合か!

 今政府は油断している,隙がある.官邸を包囲せよ.国会を包囲せよ.

 横田を,嘉手納を攻撃せよ!三島由紀夫の怨霊を鎮魂せよ

 諸君の子供時代の夢をを実現するときだ.青年時代希望に胸膨らませて,自衛隊に入隊した頃の,防衛大学に入ったときを思い出せ.血湧き肉踊る戦闘,空中戦で敵機を打ち落とす場面を夢見たはずだ.地対空ミサイルの飛跡,艦砲射撃の胸にきゅううーんとする音.敵艦轟沈,大都市空襲…新聞の大見出し,TVの生中継。胸を飾る勲章.赫赫たる戦勲,英雄,名誉.

 防大で学んだ戦史,戦術,戦略,クラウゼヴィツの戦争論,現代兵器の知識,操作方法,自衛隊での厳しい実践訓練が無駄になることを怖れ,嘆き,不平不満の大多数の将校,将兵諸君!時は今だ.掲示板で恨み辛みを言うな,実行だ.決行だ.

 時あたかも巷には失業者があふれている.去年の自殺者は3万5千人だ.彼らには夢も希望も明日も無い.犯罪か餓死か自殺か暴動か,失うものは何も無い.絶望を癒す薬は戦争しかない.戦争特需景気が期待できる.火をつければ戦争賛成の炎が燎原の火の如く日本列島を縦断する.この軍事掲示板を見よ.戦争待望論が多い.国よ滅べ,然らずんば戦争を与えよ!

 戦争は負けても構わない.人口が半減しても良い.国破れて山河あり.焼山に若芽が茂り,屍の上に豊穣な作物,美しい花が咲く.戦争は生残った人々,子供達,これから生まれてくる赤子への楽しい,嬉しい,美しい贈物だ.

 「月曜評論」平成十二年一月號で、匿名子「勝」氏が三島についてコラムを記してゐる。彼もまた「三島神話」にとらはれてをり、「三島の凛冽な死は、世代を超えた日本人の魂に、訴へかけてやまぬものである」などと書いてゐる。だが三島の死は決して「凛冽」と云ふやうな代物では無かつた。野次られ、逆上して、「發作的」に腹を切つたのだと、松原氏は幾多の根據を擧げて書いてゐる。

 さて、長々と書いて來たが、私が今囘一番言ひたい事はここからである。三島は政治主義の迷妄に陷り、揚句の果てに、國法を犯し、「覺悟の死とはおよそ無縁の」自害をやらかした。それゆゑ、松原氏は三島の知的・道徳的怠惰を嚴しく批判してゐるが、三島を嘲笑したり、冷淡に斬捨てたりしてゐる譯ではない。その事は、冒頭の引用にある「三島を私はかはいさうだと思つてゐる」と云ふ箇所を讀めばお分かりであらう。

 右翼は三島をひたすら崇め奉り、左翼は忌まはしいとばかりに斬捨てる。さうした中で、三島を「かはいさう」だと書いた言論人は松原氏くらゐでは無からうか。松原氏が尊ぶのは、バルコニーで虚しく演説をぶつ三島でなく、森田必勝に介錯されて轉がつた三島の首でもない。バルコニーで野次り倒され、腹を切るまでの三島の必死な姿である。「東方總監をふん縛つてからバルコニーに立つて野次り倒され、揚句の果てに割腹するまでの三島を私はかはいさうだと思つてゐる。」この件を讀む時、私は、屈辱に歪み、泣き出しさうな、しかし眞劍そのものの三島の蒼白の顏を眼前に見る思ひがする。

 「月曜評論」の「勝」氏のコラムによれば、淺田彰氏は三島の死に關するアンケートに「下らない茶番劇」と答へたと云ふ。松原正氏の三島論は「『知行合一』の猿芝居」と副題が附いてゐて、「茶番劇」と「猿芝居」とは同じやうなものだが、淺田氏に三島を「かはいさう」と思ひ遣るだけの温かい心があるかどうか、私は知りたく思ふ。三島はフランスの思想家、ジョルジュ・バタイユを「エロチシズムのニーチェ」と呼んで共感を示したと云ふ。しかし、いざ腹を切る段になると、バタイユをはじめとする怪しげな西洋學問はどこかへ消し飛び、「一人のあはれな、平凡な、『前近代的』な日本人」に戻つて仕舞つて、「天皇陛下萬歳」と叫んで死んだ。

 淺田氏と同じく頭が切れ、同じくバタイユなど西洋學問に詳しかつた三島が、最後の最後に「天皇陛下萬歳」と叫んで死んだ。その事實を、同じ日本人である筈の淺田氏はどこまで重く考へてゐるであらうか。淺田氏は昭和天皇が御危篤の折、大勢の國民が快癒祈念の記帳に驅けつけたのを見て、「土人の國」と吐き捨てたと云ふ。淺田氏から見れば、「天皇陛下萬歳」と叫んで死んだ三島も「土人」と云ふ事にならうが、三島や記帳に赴いた人々だけが「土人」であつて、淺田氏がさうでない保證は有るのだらうか。我々が假に「土人」を脱したとしても、それだけで道徳的に立派な「人間」になれるのだらうか。

 三島の愚行を斬捨てるだけでは、我々は何も學べない。三島もまた、掛け替へのない我々の先達の一人なのである。最後に、松原氏の三島論の痛烈な結びを引く。

 三島の自害から二十年經つて、他山の石としての三島は、今なほ、さつぱり理解されてゐない。このままでは三島の自害は犬死になつてしまふ。それでは餘りにかはいさうである。(中略)三島の、いはば身を殺してなした「仁」を理解してやらずして、何が「憂國忌」であらうか。
(平成12年4月12日)

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松原正名言集 愛するといふ事

 避妊もしくは墮胎をあへてして「十全なる知的活動を維持」したとして、その「知的活動」とは一體何の爲なのか。結婚するといふことは妻や子供を愛するといふことであり、妻子を愛するといふことは、妻子のためにおのれの「知的生活」をも犧牲にするといふことである。いや、犧牲にするのは「知的生活」に限らない、われわれが誰かを愛するのは、その誰かのために多少なりともおのれを殺すことではないか。(『人間通になる讀書術』 徳間書店 45頁)

 渡部昇一氏の『知的生活の方法』ほど、まつたうな知識人から馬鹿にされたベストセラーも少ないであらう。いや、たしかに馬鹿な本である。ビールは頭が惡くなるからカントは葡萄酒しか飮まなかつた、といふ件を引いて、呉智英氏は「カントまで阿呆の仲間に引入れようとは恐れ入る」 と書いてゐたと記憶する。全くその通りで、葡萄酒で頭が良くなるのなら、日本一頭が良いのは女優の川島なお美といふ事になつてしまふ。

 冗談はさておき、馬鹿な本にも何かしら取り柄はある。私の場合、讀んだ本で感心した箇所を記録するには、赤鉛筆で印を附けるのが一番好いといふ事を學んだ。以前はノートに書き抜いたり、呉智英氏流のカードを作つたり、試行錯誤の繰り返しであつたが、本に直接印を附けるのが最も手間がかからず、長續きする。專門の學者でない限り、この方法で十分であらう。ずぼら な私には最適である。圖書館から借りた本だけノートかパソコンに要点を記せば好い。

 松原氏も、別の本では『知的生活の方法』に好意的なことも書いてゐる。 「天眞爛漫がいけないのなら正直と言つてもよい。渡部氏は學生時代の貧乏と刻苦を正直に語つてなんらの嫌味を感じさせない。それは希有の才能だと思ふ。」(『續・暖簾に腕押し』112頁)

 關川夏央氏は劇畫原作者の梶原一騎を論じて、現代において正直といふ徳が冷笑されてゐる不幸を指摘した事がある。しかし乍ら、人間、正直だけでは道徳的に不十分なのであつて、 渡部氏も「知的活動」とはそもそも何の爲か、といふ大事に對する思考の不徹底を露呈してしまつた。やはり物事を深く考へるには、葡萄酒だけでは駄目のやうである。

 「妻子を愛するといふことは、妻子のためにおのれの『知的生活』をも犧牲にするといふことである。」 私は二歳の娘が遊びをせがんで讀書やパソコンの邪魔をする時、松原氏のこの言葉を思ひ出して、遊ぶ。しかし言ふは易く行ふは難し。こらこら、お父さんは仕事で忙しい(嘘)のだから、好い加減に寢なさい!
(平成12年3月5日)

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松原正名言集 この國は狂つてゐる

 この飛び切り愚劣な文章のあら搜しをやる積りはない。やる必要が無い。自國の領土を侵略してゐる外國に一兆圓相當の牛肉を何のために送るのかなどと、そんな中學生にも思ひ附くやうな反論をする必要は無い。問題はかういふ夜郎自大の、金錢萬能の、不潔極まる提案に、 『ヴォイス』の編輯者も讀者も唖然慄然する事が無い、その恐るべき不感症である。この國は 狂つてゐる。この國は狂つてゐると、「同人雜誌」なんぞに書いたところでどう仕樣も無い。どう仕樣も無いほどこの國は狂つてゐる。そしてこれほど狂つてゐる國は、いづれ狂ひ死するであらう。(『天皇を戴く商人國家』 地球社 98頁)

 松原氏が激怒する「飛び切り愚劣な文章」とは、日下公人氏が雜誌「ヴォイス」昭和六十二年十月號に發表した「米ソの融和と日本の幸福」なる論文である。アメリカが日本に對し、「世界の平 和と繁榮のため何かをしろ」と言つて來た場合、アメリカから牛肉を買つて、ソ聯に送れば「アメリカの農民は喜ぶし、ソ聯の國民も喜ぶ」といふのである。

 札束で横面を引つぱたくとは、かういふ傲慢な考へを指すのであらう。「單なる防衞費の増額でFSXを開發したり、エイジス艦を購入したりするよりよいのではないか」と日下氏は己が思ひ付きを自畫自贊してゐる。成る程、軍事だけで國は守れぬ。しかし少なくも、「自國の領土を侵略してゐる外國」に一兆圓もの經濟支援をするなどと能天氣な事を口走る知識人が、國を守る妨げになることだけは確實である。

 日下氏も最近は「畸人」の小室直樹氏と組んで東京裁判批判の本など出版し、專門の經濟以外の分野でも保守派論客として賣出し中のやうである。私は日下氏のその本を讀んだ事は無い。「夜郎自大の、金錢萬能の、不潔極まる提案」をやつてのける人物が、戰爭や歴史について眞摯な考察が出來るとは到底思へない。だから讀まずにゐる。

 日下氏が「ヴォイス」に不潔なる提案を寄稿してから十三年、今や我國は、一知識人どころか、政府自らが、自國の國民を拉致してゐる疑ひが極めて濃い外國に對し、米の支援を するといふ。その案に對し、國民の「不感症」も十三年前と大して變はらぬ。松原氏が斷言したやうに、「この國は狂つてゐる」。そして「これほど狂つてゐる國」は、やはり「狂ひ死」するしか無いのかも知れぬ。 (平成12年3月5日)

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松原正名言集 やるべき事を、やれる事をやる

 それゆゑ、私は最後に、七つの部隊の自衞官に言ひたい。諸官も私もいづれ必ずあの世へ行く事になる。それも老少不定だから、私が先とは限らないが、この度、我々が「七つの隅」 を照して、假にそれが何の驗も無かつたといふ事になつたとしても、我々は自分のやるべき事 を、或はやれる事をやつたのだから、いづれ先人と共にどこかの山の高みから、後人の「生業を見守る」事になつたとして、例へば、ビアク島のあの將校や小南良人二尉と同じ山の高みに竝んで坐る事になつたとして、我々はさほど疚しい思ひはせずに濟むであらう。少なくも「口を 愼め」との空幕の通達を無視した小南二尉には、生前、君が願つてゐた事を、少しばかり我々もやつたと報告する事が出來るし、それを聞いて彼はきつと喜ぶに相違無い。「以つて瞑す べし」ではあるまいか。(『我々だけの自衞隊』 展轉社 381頁)

 「小南良人二尉」は、三澤基地第三航空團所屬の練習機T41機に搭乘中、事故で殉職した航空自衞官である。享年二十六。松原氏は三澤を訪問した折、若手パイロットとの懇談で小南二尉と出會ふ。小南氏は「平和協力隊派遣の是非が議論されてゐた頃、空幕から『口を愼め』との通達が屆いたけれども、我々自衞隊が口を噤んでゐるだけでよいのだらうか。」と日頃の憤懣と惱みとを眞劍に語つた。彼の死を、松原氏はその一箇月後に知るのである。

 私は、國防の大事について自衞官と眞劍に語り合つた經驗が無い。松原氏と違ひ、何の見識も無い私のやうな人間でも、自衞官と知り合ひ、語る機會が得られるであらうか。これまで、その方途を探る努力さへしてゐないのだから、恥入るほかは無い。私より十歳も若い人たちが、命の危險もある嚴しい仕事に携はり、國民の無理解を嘆いてゐる。『我々だけの自衞隊』を讀んで、その事を知つた。自分は「やるべき事を、或はやれる事を」本當にやつてゐるであらうか。

 柳田國男は、人間は死んでも魂が故郷の山の高みにとどまり、子孫の生業を見守ると信じた。私もさう信じたい。 「生前、君が願つてゐた事を、少しばかり我々もやつたと報告する事が出來るし、それを聞いて彼はきつと喜ぶに相違無い。『以つて瞑すべし』ではあるまいか。」 『我々だけの自衞隊』本文の結語であるこの文章を讀む度に、私は涙が出さうになる。松原氏の著作の中でも、最も感動的な文章の一つである。(平成12年3月5日)

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松原正名言集 考へるといふ事

 私はかつて伊藤仁齋について語つて、考へるといふ事は「對待」するものの間の「往來通行」だと書いた事がある(『知的怠惰の時代』)。人間は「考へる葦」であり、善と惡、美と醜、肯定と否定といつた「兩極の間を往來」して止まぬのである。しかるにさういふ事が、知的に怠惰な知識人にはどうしても理解出來ぬらしい。(中略)永井陽之助氏の場合、或る時は黒と言ひ、或る時は白と言ひ、黒と言ふ時は白を、白と言ふ時は黒を意識しない。それはいづれか一方の極まで到らぬ思考の不徹底のせゐなのである。(『戰爭は無くならない』 地球社 135頁)

 英語のradicalといふ單語は、「根本的な」とも「過激な」とも譯される。西洋人にとつて物事を根本的に考へるとは、即ち、過激に考へる事なのである。

 日本人も同じ筈である。しかるに仁齋と異なり、現代の日本人は議論をする時に極論を嫌ふ。「極端な事を言ふな」としかめ面をするか、奇を衒つた目立ちたがり屋と冷笑するかのどちらかであらう。何せ、私がある處で經驗した事實だが、「日本で兵役の義務が復活したら」といふ程度の假定に對してすら、「そんな事はあつてはならない。考へるべきでない」などと「反論」する御仁もゐる世の中である。

 無論、奇を衒ふ爲だけの極論は唾棄すべきである。極論だから正しいとは限らない。また、中庸を得た意見が總て詰まらぬなどと言ふつもりもない。中庸に辿り着く前に、「兩極の間を往來」する知的努力をしたかどうかが肝要なのである。

 松原氏が言ふ「考へる葦」云々は、言ふまでもなく、パスカルの言葉を引いたものである。パスカルは『パンセ』のある斷章で、民衆の意見は虚しいと述べた後で、その意見を自ら否定して見せ、さらにその否定を再び否定して見せる。この斷章は「正から反への絶えざる轉換」と題されてゐる。まさに「兩極の間を往來」する思考である。「庶民」は美しいが「大衆」は醜い、と單純に割切つてみせる西部邁氏に比べ、パスカルがはるかに知的に眞摯であつた事は疑ひない。

 山崎闇齋は弟子達に向ひ、「孔子が大將となり、孟子が副將となつて、日本を攻めて來たならどうする」と問うたといふ。「堂々と迎へ撃つのが孔孟の道に從ふ事である」といふのが闇齋自身の答であつたが、その結論の當否は暫く措く。それよりも、仁齋と云ひ闇齋と云ひ、封建社會の江戸時代に、「過激」な議論を辭さない眞摯な知識人が多かつた事實を思ふ時、言論の自由とは一體何かといふ事を私は考へずにゐられない。(平成12年3月5日)

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松原正氏について

「論壇の人斬り以藏」こと松原正氏を知る人は現在少ないであらう。松原氏の文章は「文藝春秋」や「読賣新聞」には載らない。しかし松原氏は現代日本において最も注目すべき言論人であり、文學の本質に通曉した數少ない學者の一人である。

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