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2004年4月29日 (木)

呉智英氏の思ひ出(6) 豫兆

 のつけから云ひ譯めくけれども、今囘の原稿を書くに當り、本來ならば參照すべき資料にもかかはらず、紛失したり、現在手許に無かつたりするものが、過去二囘の場合以上に多數存在する。參照出來ない部分は記憶だけを頼りに書いてゐる爲、事實の細部や前後關係には誤りも多いかと思ふ。本筋にかかはる勘違ひ記憶違ひは無いと信ずるが、拙文の誤りや、不明な箇所の正しい情報について御指摘くださると幸ひである。

 これまで鏤々述べたやうに、私は呉智英氏の永年の讀者である。一頃は、單行本のみならず、呉氏の文章が載つてゐさうな雜誌を書店で片端から物色したものである。現在は廢刊となつたNHK出版の月刊雜誌「Be-Common」を都内の書店でふと立讀したら、呉氏の連載コラムを發見し、喜んだ思ひ出がある。そのコラムは單行本『サルの正義』に「シニカルな暴論」として収録されてゐる。その外にも、「朝日ジャーナル」「寶島30」「コミック・ボックス」「ガロ」……なぜか、今は無くなつて仕舞つた雜誌が多いのであるが、兎に角熱心に讀んだ。呉氏が漫畫評論を長期連載中の「ダ・ヴィンチ」も、「危ない」と云ふ噂を數年前に本屋の親爺から聞いた事があるが、これは何とか頑張つてゐるやうだ。

 さて、「話の特集」も、現在は姿を消した雜誌の一つである。編輯長(矢崎泰久氏だつたか)とゲストとの對談が目玉で、表紙には和田誠氏描くゲストの似顏が毎號載つてゐた。呉智英氏の似顏が表紙を飾つたのは、『バカにつける藥』が出て間もない頃、すなはち昭和六十三年だつたと思ふ。タイトルに曰く、「『バカにつける藥』 呉智英、大いに語る」。書店で見つけた私は、早速立讀した(それにしても私は立讀ばかりだ。この雜誌も買はなかつたのが今になつて惜しまれる)。

 印象に殘つた發言が幾つかある。まづ、西部邁氏を批判した件りがあつた。「西部氏は、馬鹿も賢者も同じ一票の投票權しか持たないのはをかしいと云ふ理由で民主主義を批判するが、そんな事は、どこにでもある不條理の一つに過ぎない」。かねての持論通りに西部氏を一應は高く評價したうへで、このやうに批判したのが新鮮であつた。この時以外、呉氏が西部氏を批判した文章を讀んだ事が無い。私が知らないだけなのかもしれないが、西部氏が『國民の道徳』を出版して脚光を浴びてゐる今こそ、呉氏による本格的な西部批判を讀みたいものである。

 呉氏が影響を受けたと云ふ三人の學者の名も覺えてゐる。小島祐馬、島田虔次、荒木見悟。いづれも支那思想が專門である。私は早速、神田の支那關係書籍專門店に通ひ、小島祐馬氏の『支那思想史』やら、荒木見悟氏の陽明學や禪宗に關する分厚い本やらを何册も買込んだものである。難しくて齒が立たず、今では殆ど手放して仕舞つたが……。

 私が最も注目したのは、政治體制に關する發言である。「私は、共和制は好いと思ふ」。呉氏はかう發言してゐた。私は驚いた。共和制とは、天皇の存在を政治的には否定すると云ふ事である。呉氏は「封建主義者」を名告つてゐるが、その理想とする封建社會は「天皇のゐない封建社會」なのか。しかし、天皇のゐない社會を果して「封建社會」と呼べるのか。恰度その頃、松原正氏の著作を熱心に讀むやうになり、後には「絶對神を戴かない日本人は天皇不在でやつて行けるのか」と云ふ疑問も浮んだが、インタヴューを讀んだ直後はそこまで深く考へた譯ではない。月日は過ぎ、それから約十年後、私は、天皇に關する呉氏の明確な判斷を知る。(平成13年4月29日。16年4月29日修正)

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コメント

革命軍に参加せんとする孔子と言うのもハッタリで
王妃と不倫する孔子、革命軍に参加せんとする孔子…。
TITLE:セブンアンドワイ - 本 - 現代人の論語
DATE:2007/05/13 14:23
URL:http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31786167
革命軍に参加せんとする孔子の方は17-05 公山不擾(こうざんふじょう)、費を以て畔(そむ)く。招く。子徃かんと欲す。子路説(よろ)こばずして曰わく、之(ゆ)くこと末(な)きのみ。何ぞ必ずしも公山氏にこれ之かん。子の曰わく、夫れ我れを招く者にして、豈に徒(ただ)ならんや。如(も)し我を用うる者あらば、吾れは其れ東周を為さんか。
公山不擾が費の町に拠って叛いたとき、先生をお招きした。先生は行こうとされた。子路は面白くなくて「おいでになることも無いでしょう。どうして公山氏などの所へ行かれるのです。」と言うと、先生は言われた、「ああして私を呼ぶからには、まさか無意味でもなかろう。もし誰かが私を用いてくれるなら、私はまあ東の周を興すのだがね。」
TITLE:9_1
DATE:2007/05/18 16:11
URL:http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/9_1.html
らしいですが、「叛いた」と書いてあるのを見ても判る様に「革命軍」でなく「叛乱軍」と表示するのが正しいのではないでしょうか?革命軍に参加せんとする孔子と言う表現は呉智英も取っているが呉智英流に言うと呉智英には革命が判っていない。革命とは命あらたまる事だが公山不擾にどんな命があるのだろうか?

投稿: 誤智英 | 2007年6月 4日 (月) 16時44分

 誤智英さんとやら、好い加減に自分のブログの文章
http://blog.goo.ne.jp/ayamari-tomohusa/e/c719fdb956db5dc2bc360e2c60ca8194
http://blog.goo.ne.jp/ayamari-tomohusa/e/bdb40be3f27f0af577bd6d6885c51d61
を貼附けるだけの“コメント”は止めて呉れませんか。宣傳したいのならトラックバックと云ふ方法があるのを御存知でせう。

 以後投稿したら削除します。さやうなら。

投稿: 木村貴 | 2007年6月 5日 (火) 00時57分

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