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2004年4月29日 (木)

呉智英氏の思ひ出(5) 反論

 岡庭昇氏は私と保坂氏との投稿に對し、次號三月号の投書欄で早速反論してきた。「汚れ切つた政治的動物どもに」と云ふ凄まじい題名である。私に對する批判の部分を引用する。

 ① 木村貴氏への質問。あなたは呉智英先生の文章を讀んでゐないと公言してゐるが、讀んでゐないものをあれこれ論じられるといふ神祕的な自信の根據は何なのか。なぜ、投稿する前に讀まうとしなかつたのか。だからこそ、君は、ここで誰でもわかるウソを堂々とついてゐる。

 “呉氏の「バカ」といふ言葉に激昂のあまり”といふデマだ。呉智英さんは、岡庭のことを、一言もバカとは言つてゐない。從つて、君の書いてゐるやうなことは、ありえません。讀んだことのないものは批評できない。常識ですね。君の最低限のモラルは一體どうなつてゐるのですか。

 木村君。あなたは、平氣でさらにウソを重ねてゐる。岡庭さんが、一體これまでどれほど”三浦辯護における自らの立場”を”公の場で明確に”してきてゐるか、本誌の讀者レベルなら誰だつて知つてゐる話ではないか。わたしはすくなくとも二册の書籍においてこのテーマを全面的に展開し、「創」誌三年の連載においても、おりに觸れて論じてゐます。だからこそ、鮎川信夫氏が「諸君!」でわたしの論を批判し、「諸君!」大好きの呉智英君が、鮎川さんを利用したわけぢやないか。すぐばれるやうなウソをついてまで、呉先生をかばはうとの志も結構ですが、さういふのをヒイキの引き倒しといふのです、覺えておきなさい。それに、何が起こつてゐるのかもわからないままに、文章を書かないこと、ママにきいてごらん。きつと、さういふからね。ともかくウソは上手について、アマチュアの論客らしくやつてください。

 さすがに岡庭氏は、「十二月號の『折々のバカ』を讀んでゐません」と云ふ私の屁放り腰の文章を見逃さなかつた。アメリカのある高名な辯護士は、訴訟に勝つ最大の祕訣は「正直に話す事」だと著作に書いたと云ふ。成る程、裁判で小さな嘘をついたばかりに他の事實や證言との辻褄が合はなくなり、却つて心證を損なふ場合は多からう。私は詰まらぬ動機で不正直な事を書いたばかりに、岡庭氏に恰好の攻撃材料を提供して仕舞つたのである。「立讀みで讀んだ」と堂々と書けば良かつたと、後悔したもう一つの理由とはこれである。

 私は岡庭氏から甘いガードを衝かれ、「讀んでゐないものをあれこれ論じられるといふ神祕的な自信の根據は何なのか」と鋭いジャブを食らつた。だが、マットに埋められはしなかつた(と自分では判定した)。幸ひ、岡庭氏の二の矢、三の矢が急所を外した所ばかりに飛んで來たからである。まづ岡庭氏は「君は、ここで誰でもわかるウソを堂々とついてゐる」と極附けたが、その根據は「呉智英さんは、岡庭のことを、一言もバカとは言つてゐない」からだと云ふ。これはをかしい。確かに、十二月號のコラムの本文には、岡庭氏を直接「バカ」と呼んだ箇所は無い。しかし、そもそもコラムの題名が「折々のバカ」ではないか。「バカ」を取上げて批判するのがコラムの趣旨であり、その中で岡庭氏が批判された以上、呉氏は岡庭氏を「バカ」と言つたと同じである。私は呉氏の文章を實際には讀んでゐたが、この程度の事なら讀まなくともわかる。

 それに、次の一月號、すなはち岡庭氏が私への反論を寄せる二ヶ月前の「折々のバカ」において、呉氏ははつきりと書いてゐる。「世の中には、もう一つ輪をかけたバカがゐる。珍左翼である。」この文章に岡庭氏の名は出ないが、呉氏は十二月號のコラムで「上野昂志は、岡庭昇と竝ぶ珍左翼の巨魁である」と書いてゐたのだから、呉氏に據れば「岡庭氏=珍左翼=バカ」の等式が成り立つのは明白である。

 續いて、岡庭氏はこれまで樣々な機會に「”三浦辯護における自らの立場”を”公の場で明確に”してきてゐる」と述べ、私が「岡庭氏が公の場でまづ明確にすべきことは、三浦辯護における自らの立場でせう」と書いた事を非難した。私は確かに岡庭氏の著作を讀む努力を怠つた。その點は反省すべきである。しかし致命的な越度だつたとは思はない。著作を讀んだところで、呉氏の根底的な批判を想定した「自らの立場」が説明してある可能性はまづ皆無だからだ。それは岡庭氏が最初の投稿で呉氏に論理的に反駁せず、ただヒステリックな罵詈雜言ばかりを竝べたてた事を見ても想像がつく。だからこそ私は岡庭氏に對し、呉氏の批判を踏まへた「自らの立場」を「噂の眞相」投稿欄(=「公の場」)で明らかにするやう求めたのである。現在進行中の論爭の場で具體的な反論を示さず、「他の著作や雜誌にもう書いた」とだけ云つても、説得力は無い。

 呉氏は岡庭氏を「バカ」と罵倒したが、それは呉氏なりに筋道立てた(そして私にも正しいと思はれる)論證を經たうへでの結論である。「バカ」は論理的思考能力の缺如を端的に示す言葉であるから、珍妙な理屈を振りかざす人間を「バカ」と呼ぶ事は正しい。だが、何の論證もせず「顏が貧しい」だの「オカマ」だのと相手を侮辱する事には、如何なる正當性も存在しない。

 以上のやうな岡庭氏に對する反論は、當時は結局書かず仕舞ひであつた。岡庭氏から「讀んでゐないものをなぜ論じられるか」と痛いところを衝かれ、今更「實は立讀みで讀みました」と言ひ出せなかつたのと、岡庭氏の劍幕に恐れをなして戰闘意欲を喪失したと云ふのが正直な所である。今頃になつてこんな場所に反論を書くのは卑怯かもしれないが、岡庭氏自身が「木村貴氏への質問」と書いたのだから、十三年ぶりの「囘答」として御容赦願ひたい。もし岡庭氏がこの文章をお讀みになつたならば、どうか再反撃して頂きたいと思ふ。

 呉智英氏は「噂の眞相」における論爭の顛末を、單行本『バカにつける薬』に書いた。そこには岡庭氏や私の文章も再録されてゐる。『バカにつける薬』の單行本が雙葉社から發賣されたのは平成元年一月である。既に社會人となつてゐた私は、東京・神田驛前の書店で久しぶりの呉氏の新刊を見つけて買つた。さうして、「オールナイターズ」の裏番組になつた講演會の話とともに、「噂の眞相」への投稿が載つてゐるのを發見した。だから『バカにつける薬』は呉氏の著作の中でも最も思ひ出深い本の一つである。しかし單行本は今手許に無い。「本はどんどん處分せよ」と云ふ呉氏の教へに忠實に從ひ、文庫版を購入した後で古本屋に賣つて仕舞つたからである。當時の「噂の眞相」は、自分の投稿が載つた號も含め、とつくに捨てて仕舞つた。すなはち以上の文章中の引用は、總て『バカにつける薬』(雙葉文庫版)を參照して書寫したものである。投稿を著作に再録してくださつた呉氏に厚く感謝致します。

 追記:『バカにつける薬』(雙葉文庫版)で『金魂卷』が誤つて『金塊卷』となつてゐるのを發見。上の文章では「魂」に改めた。(ここまで平成12年8月13日)

 追記二:その後、帰郷した際、家の本棚で當時の「噂の眞相」を發見した。捨てたと思つたのは勘違ひだつたのである。(平成16年4月29日)

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コメント

>岡庭氏を直接「バカ」と呼んだ箇所は無い。しかし、そもそもコラムの題名が「折々のバカ」ではないか。「バカ」を取上げて批判するのがコラムの趣旨であり、その中で岡庭氏が批判された以上、呉氏は岡庭氏を「バカ」と言つたと同じである。私は呉氏の文章を實際には讀んでゐたが、この程度の事なら讀まなくともわかる。
>二ヶ月前の「折々のバカ」において、呉氏ははつきりと書いてゐる。「世の中には、もう一つ輪をかけたバカがゐる。珍左翼である。」この文章に岡庭氏の名は出ないが、呉氏は十二月號のコラムで「上野昂志は、岡庭昇と竝ぶ珍左翼の巨魁である」と書いてゐたのだから、呉氏に據れば「岡庭氏=珍左翼=バカ」の等式が成り立つのは明白である。
★と言ってもあくまで推論の域であって確かに岡庭氏を直接「バカ」と呼んだ箇所は無い。そう思うならそう主張するべきでしょう。
>この程度の事なら讀まなくともわかる。
★と思っていても実際に読んだら違う感触を得る事も多く、又立ち読みでは気付かない発見があったりもします。
現代人の論語(文藝春秋)は立ち読みで面白かったので借りて読んだ。口語訳論語等他の本と併読して発見もあった。
>捨てたと思つたのは勘違ひだつたのである。
★みたいな。

投稿: 誤智英 | 2007年5月12日 (土) 17時06分

>現在進行中の論爭の場で具體的な反論を示さず、「他の著作や雜誌にもう書いた」とだけ云つても、説得力は無い。
☆私も90年に『バカにつける藥』を読んでそこが疑問に思った。93年迄三浦は悪だと思っていたのですが判決の後『週刊金曜日』に判決の問題点が指摘され、その後鳥兜事件についても冤罪視する様なりました。漫画の中ではロス事件をモデルにした物があり、その中で三浦がモデルになっている人間は必ず真犯人と言う事になっていた。無罪判決の後は逆に呉が「人殺し」と書いていた事を三浦に知らせようと思った事もあります。

投稿: 誤智英 | 2007年5月13日 (日) 13時14分

>もし岡庭氏がこの文章をお讀みになつたならば、どうか再反撃して頂きたいと思ふ。
☆ハッキリメールする等するべきでしょう。

投稿: 誤智英 | 2007年5月13日 (日) 13時16分

呉智英の研究もしてみたいのですがテキストデータにするいい方法がありません。OCRソフトで変換する積りですがいいのはありませんか?共同でテキストデータにして評論する積りですが出来ますか?

投稿: 誤智英 | 2007年5月13日 (日) 13時17分

マンガ狂につける薬(メディアファクトリー)にもおかしな所があります。後に出た本と全く矛盾する個所があるのです。
>呉氏に據れば「岡庭氏=珍左翼=バカ」の等式が成り立つ
★と言っても呉自身が自分で言っている事を覆す事も多いだけに。

投稿: 誤智英 | 2007年5月13日 (日) 13時19分

>★と言ってもあくまで推論の域であって確かに岡庭氏を直接「バカ」と呼んだ箇所は無い。そう思うならそう主張するべきでしょう。

 呉先生に仰つて下さい。

>★と思っていても実際に読んだら違う感触を得る事も多く、又立ち読みでは気付かない発見があったりもします。

 さうですね。

>無罪判決の後は逆に呉が「人殺し」と書いていた事を三浦に知らせようと思った事もあります。

 知らせなかつたのですか。

>☆ハッキリメールする等するべきでしょう。

 私の代はりに御注進して戴けると助かります。

>呉智英の研究もしてみたいのですがテキストデータにするいい方法がありません。OCRソフトで変換する積りですがいいのはありませんか?共同でテキストデータにして評論する積りですが出来ますか?

 殘念ながらそちら方面は詳しくありませんので。それに「出来ますか」とは、誰が? 何を? この部分のコメントと同じ内容のメールも頂戴しましたが、いづれにしても御返事致しかねます。

>マンガ狂につける薬(メディアファクトリー)にもおかしな所があります。後に出た本と全く矛盾する個所があるのです。

 さうですか。あるのですね。

>★と言っても呉自身が自分で言っている事を覆す事も多いだけに。

 さうですか。多いのですね。

投稿: 木村貴 | 2007年5月13日 (日) 22時23分

尤も>このページは岡庭氏が公認する(公認と言うのは、ここのページ部分だけについてです。念の為)唯一の岡庭ページです。

TITLE:岡庭 昇 氏のページ
DATE:2007/05/13 13:35
URL:http://www.amy.hi-ho.ne.jp/yumeno/Okaniwa.htm
にはメールアドレスはない。

投稿: 誤智英ayamari-tomohusa@mail.goo.ne.jp | 2007年5月14日 (月) 17時31分

>>★と言ってもあくまで推論の域であって確かに岡庭氏を直接「バカ」と呼んだ箇所は無い。そう思うならそう主張するべきでしょう。

 呉先生に仰つて下さい。
★私が木村さんに「確かに岡庭氏を直接「バカ」と呼んだ箇所は無い。しかし、そもそもコラムの題名が「折々のバカ」ではないか。「バカ」を取上げて批判するのがコラムの趣旨であり、その中で岡庭氏が批判された以上、呉氏は岡庭氏を「バカ」と言つたと同じである。私は呉氏の文章を實際には讀んでゐたが、この程度の事なら讀まなくともわかる。」と思うなら岡庭氏にそう主張するべきでしょうと言っているのです。

文章の引用は元の文が新仮名なら新仮名で引用するべきでしょう。

カキコもうとすると>問題が発生しました
メールアドレスを正しく入力してください
と表示され、
メールアドレスを再度コピー&ペーストしなければならないです。
クッキーで保存しているメールアドレスと同じのですが。

『バカにつける薬』で香山健一が論語の「及ばざるは過ぎたるより勝れり」を家康から
孫引きしていると批判しているが論語では「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」であり、論語さえまともに読んでいるか判らない。(この遺訓については、専門家の中には後世家康を神格化するために他の人が作ったと考える人も多いらしいが、まあここでは置いておく。)
 
TITLE:更新履歴を兼ねた日記
URL:http://www.geocities.jp/rarabeya/kako/041027_1101.htm

投稿: 誤智英 | 2007年5月17日 (木) 12時43分

>★私が木村さんに「確かに岡庭氏を直接「バカ」と呼んだ箇所は無い。しかし、そもそもコラムの題名が「折々のバカ」ではないか。「バカ」を取上げて批判するのがコラムの趣旨であり、その中で岡庭氏が批判された以上、呉氏は岡庭氏を「バカ」と言つたと同じである。私は呉氏の文章を實際には讀んでゐたが、この程度の事なら讀まなくともわかる。」と思うなら岡庭氏にそう主張するべきでしょうと言っているのです。

 ええと、人間が他人を批判する時には、ウェブサイトや出版物で書くだけでは駄目で、相手にメールや手紙を送らなければいけないと云ふ事でせうか。すると誤智英さんは當然、ここで書いた呉智英批判を呉先生に直接お傳へになつてゐるのでせうね。

>文章の引用は元の文が新仮名なら新仮名で引用するべきでしょう。

 元の文章が英語なら英語で引用しろと云ふ事ですか。

>カキコもうとすると>問題が発生しました
メールアドレスを正しく入力してください
と表示され、
メールアドレスを再度コピー&ペーストしなければならないです。
クッキーで保存しているメールアドレスと同じのですが。

 ニフティに言つて下さい。

>『バカにつける薬』で香山健一が論語の「及ばざるは過ぎたるより勝れり」を家康から
孫引きしていると批判しているが論語では「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」であり、論語さえまともに読んでいるか判らない。(この遺訓については、専門家の中には後世家康を神格化するために他の人が作ったと考える人も多いらしいが、まあここでは置いておく。)

 呉先生が論語を讀んでゐない? それこそ直接お尋ねになつたら如何でせう。

投稿: 木村貴 | 2007年5月17日 (木) 13時02分

>ええと、人間が他人を批判する時には、ウェブサイトや出版物で書くだけでは駄目で、相手にメールや手紙を送らなければいけないと云ふ事でせうか。
★と投稿しておけば良かったと言っているのです。
>すると誤智英さんは當然、ここで書いた呉智英批判を呉先生に直接お傳へになつてゐるのでせうね。
★確かにそうでした。今後はそうします。只呉の出鱈目ぶりは『バカにつける薬』の『ゴルゴ13論争』で明らかで、相手を馬鹿にした態度で「バカ」を連呼して終るだろうと思っていました。
論語講座 以費塾第14期(最終講義)

講師 呉 智英  
企画 浅羽通明
開講 二〇〇五年九月九日、以後、毎月第二、第四金曜日・午後六時半より二時間(予定)
教室 WセミナーI館(ここを参照のこと)
受講料 全期一括で一万円 半期のみ6千円(支払いは第一回講義の際)

 申し込み 〒170-0002 豊島区巣鴨1-41-7第一丸茂荘206浅羽方みえない大学本舗に葉書
問い合わせはメールでasaba@piko.to まで

TITLE:論語講座「以費塾」
DATE:2007/05/22 15:03
URL:http://ich.jp.vu/
にメールしました。
asaba@piko.to
件名: 拝啓呉智英先生。王妃と不倫する孔子、革命軍に参加せんとする孔子…。
日時: 2007年05月22日 15:04:46


拝啓呉智英先生。王妃と不倫する孔子、革命軍に参加せんとする孔子…。
TITLE:セブンアンドワイ - 本 - 現代人の論語
DATE:2007/05/13 14:23
URL:http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31786167
と帯に書いてあったので期待したのですが王妃と不倫する孔子の方はハッタリで終わった様です。該当する個所があれば教えて貰いたいです。48頁の06-28 子見南子、子路不説、夫子矢之曰、予所否者、天厭之、天厭之、
子、南子を見る。子路説(よろこ)ばず。夫子(ふうし)これに矢(ちか)って曰わく、予(わ)が否(すまじ)き所の者は、天これを厭(た)たん。天これを厭たん。
先生が南子にあらわれた。子路はおもしろくなかった。先生は誓いをされて「自らによくないことがあれば、天が見捨てるであろう、天が見捨てるであろう。」
南子=衛の霊公の夫人。不品行の評判が高かったので、子路はこの会見に不機嫌であった。
TITLE:3_2
DATE:2007/05/18 16:14
URL:http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/3_2.html
らしいですが疑惑の域に過ぎない。尤も疑惑を持たれない様に第三者を立ち合わせようとすれば出来たのだから矢張り疑惑は事実だと言えなくもないが呉夫子はそうは断言していません。
と。

>今頃になつてこんな場所に反論を書くのは卑怯かもしれないが、岡庭氏自身が「木村貴氏への質問」と書いたのだから、十三年ぶりの「囘答」として御容赦願ひたい。もし岡庭氏がこの文章をお讀みになつたならば、どうか再反撃して頂きたいと思ふ。
TITLE:地獄の箴言: 呉智英氏の思ひ出(5) 反論
DATE:2007/05/17 12:37
URL:http://kimura39.txt-nifty.com/hell/2004/04/5.html
★と書いてあったので
☆ハッキリメールする等するべきでしょう。
と書いたのです。

>元の文章が英語なら英語で引用しろと云ふ事ですか。
★可能な限りそうすべきでしょう。私は「19-16 曾子曰、堂堂乎張也、難與竝爲仁矣、
曾子の曰わく、堂堂たるかな張や、与(とも)に並んで仁を為し難し。
曾子が言われた、「堂々たるものだね、張は。だが一緒に仁を行うのは難しい。」
TITLE:10_1
DATE:2007/05/18 16:10
URL:http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/10_1.html
と「だが」の様な逆接助詞を付けた方が判り易いのですが本文に忠実であろうとすれば「だが」の様な逆接助詞はない方が正しい。」
の様に可能な限り原文を併記しています。

>呉先生が論語を讀んでゐない? それこそ直接お尋ねになつたら如何でせう。
★『バカにつける薬』で香山健一が論語の「及ばざるは過ぎたるより勝れり」を家康から孫引きしていると批判しているが論語では「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」であり、論語さえまともに読んでいるか判らない。と書きました。
「及ばざるは過ぎたるより勝れり」が論語にない事は普通の『論語』読みなら知っている筈の事だからだ。
論語さえ“まともに”読んでいるか判らない。相手に「バカ」を連呼する為に故意に曲解しているのは明らかで、メールするのも面倒です。どうしても反論があるならそれを呉夫子にメールして再反論して欲しい。

投稿: 誤智英 | 2007年5月24日 (木) 15時41分

ハハハみんな論語を読んでない

投稿: >★>★>★>★ | 2007年5月24日 (木) 19時59分

>★可能な限りそうすべきでしょう。私は「19-16 曾子曰、堂堂乎張也、難與竝爲仁矣、
>曾子の曰わく、堂堂たるかな張や、与(とも)に並んで仁を為し難し。
>曾子が言われた、「堂々たるものだね、張は。だが一緒に仁を行うのは難しい。」
[略]
>と「だが」の様な逆接助詞を付けた方が判り易いのですが本文に忠実であろうとすれば「だが」の様な逆接助詞はない方が正しい。」
>の様に可能な限り原文を併記しています。

 それは誠に御立派です。古典研究をしてゐるわけでもない私にどう云ふ關係があるのかは存じませんが。

投稿: 木村貴 | 2007年5月25日 (金) 04時10分

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