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2004年4月29日 (木)

呉智英氏の思ひ出(4) 投稿

 呉智英氏が月刊誌「噂の眞相」にエッセイ「折々のバカ」を一年に渡り連載し始めたのは昭和六十一年秋、私は卒業を控へた大學四年生になつてゐた。

 同年十二月號に載つた第三囘は、渡邊和博著『金魂卷』に對する上野昂志氏の論評を俎上に載せ、上野氏及び岡庭昇氏らによる「ロス銃撃事件」三浦和義容疑者の擁護論にも言及しつつ、上野岡庭兩氏に代表される「珍左翼」(呉氏の造語)の珍妙なる理論を批判する内容であつた。これに對し、岡庭氏が「噂の眞相」六十二年一月號の投書欄に「呉智英さん、ありがたう!」と云ふ「反論」を寄せた。一部引用する。

 “折々のプッツン”こと、呉智英サンが、わたしが三浦和義サンを擁護してゐるのは《”人殺し”を辯護して世の中を混亂に落とし入れ、それに乘じて革命を起こさうといふ”二段階革命論”である》(本誌前<86年十二月>號)とお書きになつてゐる。(中略)それにしても、かういふビンボー人に限つて、一億總中産階級は現實であるなんていひたがるんだから、ほんとチャンチャラをかしいよなあ。相變らず、新書本讀んぢや、インテリになれたと、ウットリしてゐるのかい? ドブ板めくつちや、幻想のアカ狩りに夜も日もあけず、オマハリさんに言ひつけつこしてるのかな? それとも、ラブホテル街の裏口のぞいてまはつては、”いけませんよー、SMは女性差別ですよー”と、例の金切り聲をあげてゐるのかしら、ネ。あんたを見てゐると、往年の奧むめを女史をおもひだすよ。愛國婦人會から主婦聯まで、半世紀にわたつて”パーマをかけてはいけません”と叫びつづけた、あつぱれ非轉向のオバサンさ(安心しなよ。あんたの名古屋で、あんたそつくりの顏をした教師が傳統をまもつてゐるさ)。(中略)男でありながら(オカマだつたらゴメン--他の人だつたらこんな氣づかひしないけどね…筆者註)主婦聯の志に生きるといふ、もうそれだけですばらしいぢやありませんか。呉智英さん、どーもありがたう!(東京都・岡庭昇・43)

 これは非道いと思つた。投稿の經驗は殆ど無かつたが、「呉智英批判に一言」と題する拙い文章を書き、「噂の眞相」編輯部に送つた。それは同じ學生である保坂博氏の「プッツンは差別語」と云ふ投稿とともに、二月號の投書欄に掲載された。私の投稿は以下の通りである(原文は略字現代かなづかひ)。

 一月號の本欄で岡庭昇氏が呉智英氏に反論されてゐますが、それについて少し自分の考へを述べたいと思ひます。

 私は、十二月號の『折々のバカ』を讀んでゐませんので、岡庭氏が引用されてゐる部分がどのやうな文脈で書かれたのかわかりません。ただ、私がこれまで讀んだ呉氏の著書などから判斷して、呉氏が、「三浦和義氏を辯護すること」自體を非難してゐるとは考へられません。むしろ、岡庭氏が”珍左翼”活動の一環として三浦問題を捉へてゐることを批判したのだと思はれます(岡庭氏が本當に”珍左翼”か、といふ議論はここでは置きます)。

 呉氏の本旨が右のやうなものだとすると、岡庭氏が公の場でまづ明確にすべきことは、三浦辯護における自らの立場でせう。その點から言ふと、一月號の同氏の「反論」はやや不滿でした。

 また、岡庭氏は呉氏の言論的立場を少し誤解(あるいは曲解)されてゐるやうに思ひます。例へば、呉氏が主婦聯的なSM反對論者であるかのやうに非難されてゐますが、これは全くの的外れとしか思へません。おそらく、岡庭氏は、呉氏が『封建主義、その論理と情熱』の中でSMに關聯して岡庭氏を批判した部分を指してゐるのでせうが、前後の文脈から判斷すれば、呉氏の立場が主婦聯的なものとは正反對であることは明らかです。

 呉氏の「バカ」といふ言葉に激昂のあまり、岡庭氏の文章中には「顏の貧しい」「金切り聲」「オカマ」等、感情的な言葉が多過ぎるやうに思ひます。

 プロの論客らしい、堂々たる論爭を今後に期待します。(埼玉縣志木市・木村貴・學生22)

 岡庭氏の口汚ない文章に憤つたとは云へ、向かうは曲がりなりにもプロの評論家、こちらは一介の學生に過ぎない。いざ書く段になると、遠慮が先に立つて隨分とおとなしい文章になつて仕舞つた。また、この文章中には不正確な部分がある。「私は、十二月號の『折々のバカ』を讀んでゐません」と云ふ件である。實は私は十二月號の「折々のバカ」を讀んでゐた。但し、本屋での立讀みである。投稿文に「立讀みでしか讀んでゐません」と書くのは何か恥づかしいし、「立讀みでしか讀んでゐないのに正確に批判出來るのか」と突込まれるのも嫌だつたので、いつそ、讀んでゐない事にしようと考へたのである。今にして思へば無意味な小細工であつた。事實、投稿が掲載された後、正直に書くべきだつたと後悔した。理由は二つあり、一つは後述するが、もう一つは、呉氏が昭和五十八年に別の場所(「本の雜誌」)に書いた岡庭批判の中で、次のやうに正直に記してゐるのを知つた事である。(強調は木村)

 私は「噂の眞相」誌の岡庭の駄文を立ち讀みではあるけれど正しく讀んでゐる(もし、私の言及がでつち上げだと主張するなら、正々堂々と反論なさつたらいかがかな)。

 確かに、立讀みでも文章の主旨を正確に理解したのなら何の問題も無い。かう云ふ事を堂々と書ける呉氏の飾らない性格と腹の坐り具合とを、私は立派だと思つた。飾らない性格と云へば、呉氏は「拾ひ讀み」が得意だと書いた事がある。「拾ひ讀み」と云つても、本を所々讀む通常の意味の「拾ひ讀み」ではなく、文字通り、驛のゴミ箱などに捨ててあるマンガ雜誌を拾つて讀むのである。これなら多數のマンガ雜誌に經濟的に眼を通せると云ふ譯だ。「拾ひ讀み」の話は、たしか講談社現代新書の隨筆集『東京情報コレクション』に収められてゐたと記憶するが、買はなかつたので確かめられない。私は「拾ひ讀み」の眞似を一二囘やつてみたが、永續きしなかつた。(平成16年4月29日)

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