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2004年4月29日 (木)

呉智英氏の思ひ出(1) 邂逅

 九州から上京し、大學に通ひ始めて間も無い頃だつた。國分寺驛前の本屋で何か面白さうな本は無いかと物色してゐると、題字の背景が赤で、虎と竹林と黒い兜の武士(恐らく加藤清正であらう)の漫畫が描かれた表紙が眼に入つた。『封建主義、その論理と情熱』。版元は情報センター出版局で、同じシリーズの椎名誠氏のベストセラー、その名も『さらば國分寺書店のオババ』と竝べて平積みしてある。私は虎の繪の本を手に取つた。派手な表紙だけが理由でなく、刺激的な副題に引かれたからである。そこには「さらば、さらば民主主義よ!」と記されてあつた。「さらばオババ」と「さらば民主主義」とでは偉い違ひである。私は迷はず購入した。豫想以上に面白かつた。否、私の讀書人生と物の考へ方とを變へる本の一つになつた。

 あれから十六年、椎名誠氏の本は依然として買つた事が無いが、『封建主義、その論理と情熱』(その後『封建主義者かく語りき』と改題)の著者、呉智英氏の著作は全て讀んで來た。『封建主義…』は呉氏の初めての單行本であつた。

 「面白かつた」と云つても、初めて讀んだ時には隨分驚いたり、理解に苦しんだりした部分もあつた。「さらば、民主主義よ!」と云ふ副題に引かれて本を買つたくらゐだから、私自身も民主主義乃至民主主義禮讚の風潮に對し漠然たる疑問を抱いてゐたのは確かである。しかし呉氏の根元的な民主主義批判には膽を抜かれた。

 ファシズムは民主主義である!/このきはめて明白な事實をあまりにも多くの人が知らないのには、私は、怒りを通り越して絶望感さへ覺える。

 谷岡ヤスジの飄々とした插繪が附いた頁を繰り乍ら、こんな「過激」な文章を私は繰返し讀んだ。「呉智英」が筆名であり、夢野久作の長篇小説「ドグラマグラ」の主人公に由來する事は、暫く後に知つた。

 餘談だが、雙葉文庫版『封建主義者かく語りき』の「改題増補版 あとがき」によると、『封建主義、その論理と情熱』と云ふ書名も、虎の繪の裝訂も、呉氏の本意では無かつたらしい。呉氏が當初望んだ書名は『封建主義宣言』『封建主義者かく語りき』のいづれかであつた。だが出版社側が代案として奇を衒つた書名を次々に持出した爲、「一種の妥協案として」、『封建主義、その論理と情熱』を提起したと云ふ。英文學者・批評家の松原正氏が著作の題名を『この世が舞臺』或いは『賢者の毒、愚者の蜜』にしたいと望んだが容れられず、『人間通になる讀書術』(徳間書店)に落着いたと云ふ插話を、私は想ひ起こした。

 裝訂については、さすがに呉氏も「もう代案を提起する氣力もなく、出版社の言ふがままに任せてしまつた」。雙葉文庫版の表紙は、デューラーの「パウムガルトナー祭壇畫」をあしらつた重厚なものである。これが呉氏の本來の好みであらう。さらに餘談だが、私は今年、ミュンヘンの美術館アルテ・ピナコテークを訪れ、雙葉文庫版の表紙で好きになつた「パウムガルトナー祭壇畫」の實物を觀る事が出來た。想像通り、異樣な迫力に滿ちた繪であつたが、實は二年前に不屆者に酸を浴びせられ、最新技術で修復される迄は無慘な姿だつたらしい。(平成12年7月31日)

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