<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
         xmlns:rdfs="http://www.w3.org/2000/01/rdf-schema#"
         xmlns:foaf="http://xmlns.com/foaf/0.1/"
         xmlns:bio="http://purl.org/vocab/bio/0.1/">
<foaf:Person>
<foaf:mbox_sha1sum>ac3e40fb63648ac49ef26cfe3615c818d226aa89</foaf:mbox_sha1sum>
<foaf:weblog rdf:resource="http://kimura39.txt-nifty.com/" />
<foaf:name>木村 貴</foaf:name>
<foaf:homepage rdf:resource="http://kimura39.txt-nifty.com/hell/" />
<foaf:plan>【略　歴】
昭和39年(1964年)4月、熊本縣生まれ。昭和62年(1987年)、東京で大學を卒業、新聞社に勤務。現在、名古屋市在住。國語問題協議會會員。（平成18年9月更新）

【メールアドレス】kimura39@nifty.com

【緒　言】
　御覽のやうに、このサイトにはイラストも寫眞も無い。松原正氏の著作の引用も含め、作成者である私が打ち込んだ文章が全てである。しかも、「月が清いとか、風が涼しいとか」云ふやうな風流な隨筆なんぞは一つも無い。野暮極まりない意見文ばかりである。 
　子供の頃から本が好きであつた。大學生、社會人になつてからはオピニオン雜誌を良く讀むやうになつた。他人の考へを知れば、それに對して自分の考へを抱く。しかし表明する場は無かつた。否、生来小心な爲、投稿欄などの場があつても滅多に利用しようとしなかつた。學生時代は、友人と論壇の話題について議論する機會も殆ど無かつたし、皆が關心の薄い事をわざわざ話題にする勇氣も無かつた。仕事に就いてからも、自分が個人的に議論したい話題について心行く迄語り合つた經驗は少ない。しかし物言はざるは腹ふくるる業である。自分の考へを言ひたい、誰かと語り合ひたいといふ思ひは常に胸中に蟠つてゐた。 
　そんな時知つたのがインターネットの世界である。まさかと思ひながら、ヤフーに「歴史的假名遣」といふ言葉を入れ檢索してみると、あつた！　私は「國語問題研究會」を知り、 「言葉 言葉 言葉」を知り、「電腦正統記」を知つた。今でも時々信じられなくなるが、國語問題や月曜評論や松原正氏やについて存分に語り合へる場所がネットにはあつたのである。インターネットを内心馬鹿にしてゐた「活字派」の私は、反省した。昨年（平成十一年）夏の事である。 
　その後、幾つかのサイトの掲示板に投稿するやうになつた。メーリングリストにも參加した。しかし、矢張りそれだけでは物足りない。自分のサイトを作りたいといふ思ひが募つていつた。一年前はインターネットの實際に全く無知だつた私が惡戰苦闘の末、どうにか形を整へたのがこの「地獄の箴言」である。未熟な頭で考へた拙い文章ばかりだが、讀者諸賢の御批判を賜はれば幸ひである。 
　サイト作成に當つては、多くの方から有形無形の恩恵を賜つた。ここでは特に中村義勝、野嵜健秀の兩氏の御名前を記し、深い謝意を表したい。 「電腦正統記」の作者である中村氏は、私にサイトの作成を勸めてくださり、貴重な助言を賜つた。中村氏の勸めと勵ましが無ければ、これほど早くサイトは實現しなかつたであらう。 「言葉 言葉 言葉」の作者である野嵜氏の見識には常々驚嘆させられ、學ぶ事が多い。同サイトの存在は松原正氏を敬愛する私にとつて正に衝撃であり、やはりサイト作成の動機の一つとなった。当初使用した正字正假名辭書「北極三號」(サイト「北極の房」の千田俊太郎氏作成)も「言葉 言葉 言葉」のリンク集で知る事が出來たものである。 
　兩氏をはじめとする先輩諸氏の志を見習ひ、サイト充實に努力したい。なほ當ウェブサイトは私的著作物であり、内容は個人の意見である。作者はサイト作成・公開に關し法的な義務を負ふと同時に、無斷轉載禁止等の權利を有する。（平成12年3月、ジオシティズでのサイト公開時。16年4月28日、ウェブログ版移行に合はせ修正）

【讀書遍歴】
　中學か高校の頃、父親の本棚にあつた會田雄次氏の『日本人の忘れ物』を讀んだあたりが私の思想遍歴の始りだつた氣がする。父は中學の英語教師。本が好きで、本棚には多數の文庫・新書のほか、當時人氣だつた中央公論社の『日本の文學』の全卷揃ひがあつた。日本の主要作家の名前や作品はこの全集を眺めてゐるうちに覺えてしまつた。私は會田雄次を讀んだ後、エッセイの面白さを知り、中公文庫で出てゐた『日常茶飯事』など山本夏彦氏の本を殆ど讀んだ。これも父が持つてゐたからだと思ふ。丸谷才一氏の『日本語のために』を讀んで國語に關心を深めたのもこの頃。福田恆存氏の『私の國語教室』を初めて讀んだのは、大學に入つた頃ではなかつたかと思ふ。福田氏の評論を多く讀んだのはもつと後になつてからである。 
　しかし一貫して「保守反動」だつたわけではなく、高校から大學にかけ、今度は本多勝一の評論を殆ど讀んだ（ルポは殆ど讀んでない）。考へてみれば、私は本多勝一の民族主義者的側面に惹かれてゐたやうである。『麥とロッキード』『しゃがむ姿勢はカッコ惡いか？』といつた著書や、食堂で「ライスのお替りは？」と聞かれたら、斷乎として「御飯をください」と答へる、なんてエピソードはその典型であらう。二十歳前後は「左傾」した時期で、大學も當初は文學部志望だつたが、「飯が喰へぬ」と云ふ親の意見に妥協して法學部に進み、教養課程を終へてからは憲法學（左翼の巣窟！）を專攻した。學生運動はしなかつた。好きだつた山本夏彦氏を讀まなくなり、代りに朝日ジャーナルで知つた大西巨人氏の批評・小説を殆ど讀んだりした。この間、呉智英氏との出會ひなどを經て徐々に再び「右旋囘」し、大西氏から一時離れたが、最近、また讀み出してゐる。政治信條と文章の價値は別物だと學んだからである。
　誰から學んだかと云ふと、勿論、松原正先生である。初めて買つたのは、たしか『戰爭は無くならない』だつた。大學を出てすぐの頃だつたらうか。松原先生の本は以前にも書店で見掛けてゐながら、私は當時まだ「左」を引き摺つてゐたから、『戰爭は無くならない』だの、『自衞隊よ胸を張れ』だのと云ふ餘りにもストレートな題名に恐れをなして暫く手を出さずにゐた。買つたきつかけが少し妙で、若者向け雜誌『ダ・カーポ』の讀書日録か何かに、ジャーナリストのばばこういち氏が「久しぶりにウルトラ右翼の本を讀んだ」と、松原先生の本に附いて簡單に記してゐた。ばば氏は特に好きな物書きではないが、「ウルトラ右翼」と云ふ凶々しい表現に興味を惹かれた。「ウルトラ右翼か。どんな事を買いてあるのだらう」。こんな經緯だつたと思ふ。
　松原先生の本は、最初讀んだ時は、よく理解出來なかつた。私が本當の松原ファンになつたのは、その後暫くして、『人間通になる讀書術』を讀んでからである。私は此の本によつて、文學の世界に眞に眼を開かれた。人間はなにゆゑ文學を讀まねばならないかを、文學がいかに深い人間觀を教へて呉れるかを學んだ。その後、松原先生の他の本や、古今の名著を讀み返すと、これまで見えなかつたものが見えるやうになつてきた、少なくも見えるやうに思へて來た。私は思想遍歴の初めの頃から、「人間にとつて善惡・正邪の究極的な判斷基準は何なのだらう」と考へるのが好きだつた。その大きなヒントを教へてくださつたのが、松原先生なのである。（平成12年12月19日）


</foaf:plan></foaf:Person>
</rdf:RDF>
